五ノ巻28話  迷宮アンド・ドラゴンズ


 渦生は印を結び――両手の指を甲の外ではなく、掌の内へと差し込んで組む。そこから人差指、中指を広げ、中指同士の頭をつける。そして右親指を左親指で巻きこむ、烏枢沙摩うすさま身印――、真言を叫ぶ。

「オン・シュリ・マリ・ママリ・マリシュシュリ・ソワカ!」

 炎の燃える音を立て、火の粉を散らして現れた怪仏。火焔が人型を成したかのような赤い肌の烏枢沙摩うすさま明王は、赤熱する刃のほこを振るう。


「焼き尽くせ……【炎波えんぱ豪乱瀑ごうらんばく】!」

 渦生の叫びと共に、明王の矛から炎がほとばしる。波のように高く広く広がったそれは敵をまとめて巻き込んだ。

 歓喜天の分身らは長い鼻をもたげ身をよじらせ、象と同じ悲鳴を上げながら、灰のように崩れて消えていった。


 至寂もまた、すでにんでいた不動明王に命ずる。

「振るうのです般若はんにゃの利剣、【不動倶利迦羅九徹剣ふどうくりからきゅうてつけん】!」

 青黒い肌をした、隆々たる肉体の不動明王はそのたくましい腕で、背丈を越える大剣を振るう。その太く広い刃が、殺到した敵をまとめてかっさらうかのように両断した。


 渦生は鼻を鳴らす。

「ふん、こんなもんかよ。オッサンだからってなめられたもんだぜ」


 だが、打ち払った先からさらに、より大群の象人が足音を轟かせて現れる。

 渦生と至寂は油断なく、互いに間を開けつつ背中を守り合うように身構えた。


 が。その二人の間に、横合いから通路の壁が突如として倒れ込み。そこから押し寄せてきた。壁の向こうにいたらしい、大量の象人が。


「な……にいぃぃ!?」

「しまった……!」


 二人の叫びはたちまち、濁流のような象人の群れに飲み込まれ。それぞれ反対の通路へと、体ごと押し流されていった。



 象人らに押し流され潰されかけつつ――味方同士を傷つけ合わないためか、武器を手にしていないのは幸いだった――渦生は無理にも声を上げた。

「クッ……ソがあぁ! やれ……つかんで・燃やして・ブッ飛ばせ! 【炎浄・爆炎破】!」


 傍らで同じくもみくちゃにされていた烏枢沙摩うすさまは赤い腕を広げ、周囲の敵を抱き止めるようにつかむ。そのまま両腕に爆炎を上げ、爆発音と共に腕の中の敵をもやへと変えた。


 それでどうにか空いたスペースで、渦生は足を踏みとどまる。

「やれ烏枢沙摩うすさま明王、斬って・焦がして・ブチ殺せ! 【炎舞・焦撃斬しょうげきざん】!」


 明王の手にした矛から炎が上がる。その矛を縦横じゅうおうに振るい、炎で焼いては刃で斬り、柄でまとめて打ち倒す。円を描くような動きで、そこへさらに炎を浴びせる。

 赤く逆立つ炎髪えんぱつを乱しながらも繰り出す明王の炎舞に、周囲の敵はほどなく打ち滅ぼされた。


 ひざに手をつき、渦生は深く息をついた。

「畜生……やってくれるぜ。しかしどこだよ、ここは」


 身を起こし、周囲を見回す。辺りには先ほどと同じような壁が、さらに入り組んで続いている。壁は背丈以上に高く、助走をつけて跳んでも手が届きそうにはなかった。

 足下はいつの間にかアスファルトではなく、土となっていた。裏門前の道路から学校の敷地内、グラウンドにまで押し流されたか。


 鼻息をつき、ともかく歩き出す。

「ふん、『用が済むまで待て』か……この迷路とあのザコどもで、時間稼ぎでもしようって腹か。だがよ、そう上手く――」

 不敵に笑みを浮かべつつ、角を曲がってすぐ。


 龍と出くわした。通路一杯にみちみちと巨体を詰め込んだ、龍。西洋風のドラゴンではない、長い体に緑の鱗、鹿にも似た長い角と、細長いひげをそなえた、龍。


「え」

 渦生が口を開けたとき、龍もまた口を開けていた。渦生の肘から先ほどもあるかと思われる長さの牙が並んだ口。渦生がそのまま足を踏み出していれば、たやすく一呑みにされるであろう大口を。


「ええぇぇーーっ!!?」

 回れ右と同時に駆け出す渦生。その背後で――目を向ける暇は到底ない――牙が硬く咬み合わされる音がし、その風圧が渦生の首筋に届いた。


 とにかく走る。走る。背後から地面と壁を擦る音がして、どうやら追ってきているとは分かった。

 それはそうと、前を行く赤い背に手を伸ばして肩をつかんだ。

「待て、てめえは何先に逃げてんだよ、えーっ!」

 烏枢沙摩うすさまは振り向くこともなく、先を駆けながら渦生の手を振り払う。つかまれたところをさらに何度か払った。


「何だよその態度!? ちょ、マジ待てや、てめえ!」

 渦生は速度を上げ、烏枢沙摩うすさまも速度を上げて逃げる。


 赤い背が目の前の角を曲がる。渦生もワンテンポ遅れ、そこへ身を滑り込ませようとして。

 角の先から、慌てたように烏枢沙摩うすさまが戻ってすれ違い、別の分かれ道へと駆けていった。


「え、何だ――」

 目を瞬かせる渦生が、角の先に見たものは。大口を開けた龍だった。

「げええぇぇーーっ!?」

 腕を脚を振り回すかのような勢いで駆け、龍から逃げる。

「なんでここに!? っつーか烏枢沙摩てめえ、一言何か言えやコラァ!」


 と、そのとき。だいぶ前を行っていた烏枢沙摩うすさまが反転、駆け戻ってきた。矛を小脇に抱えて胸の前で手をバツの字に組み、首をぶんぶんぶんと横に振りながら。


「え」

 当然、その向こうからは追ってきていた。よだれを滴らせた別の龍が。


 渦生の顔が引きつる。

「ってオイ……こいつら二匹、いや三匹いるってことか……!」


 後ろを見れば。先ほど出くわした一体と、どこからか迂回したのか、最初に現れたものであろう一体。それが三叉路のそれぞれ向こうから、這いずる音を立てて向かってきていた。

 三叉路の、残る一本の道に目を向けた後。渦生は長く鼻息をついた。笑う。

「どーせよ、そっち行ってもまた出てくんだろ? なら、逃げんのは終いだ……腹ぁくくれや、行くぜ烏枢沙摩うすさま!」


 小躍りするように烏枢沙摩うすさまは飛び跳ね、矛をかついで見得を切る。


「撃ち抜け・燃やせ・清めてやれ! ――【火弾・金剛砕】、【火弾・金剛砕】【火弾・金剛砕】!」

 渦生の声と共に明王が矛を振るい、一抱えもある火の弾を三方向へとそれぞれ放つ。

 小さな炸裂音と共に受けた龍が、あるいは身をよじりあるいは舌を焦がすうちに。

烏枢沙摩うすさま明王は矛に新たな炎を宿す。先ほどのどれよりも大きな火弾を。


「【大轟火弾・金剛災】!」

 身をしならせて後方へ振りかぶり、体全体のバネを使って投げつけた大火弾は。飛ぶうちにもその径を広げ、膨らみ。龍の大口に入ったときには、その大きさとぴたり同じにまでなっていた。

 それでも先へ飛ぼうとする火弾が、やはりそれでも膨らもうとし。龍の口の中で、みちりみちりと音を立てる。

 さらなる肉の裂ける音と、炎の爆ぜる音が響いたが。渦生も明王も、もはやそちらを見てはいない。


 次の龍へ向け、烏枢沙摩うすさまは横殴りに矛を振るう。

「【大轟炎波・豪爛瀑ごうらんばく】!」

 放たれた炎の波は通路いっぱいに広がり、それでも足らずに壁の高さを越え。正面から上から、その身を乗り越えて後ろから巨龍の口へと飛び込み。鼻の中を焼きながら駆け抜け、まぶたを焦がして目をただれさせ、なおもなおもその奥へ。

 焦げて崩れる音がした、肉も骨も全て。


 もう一体へと烏枢沙摩うすさまが駆ける。

「【大轟炎舞・焦激斬しょうげきざん】!」

 赤の温度を越えて白く、さらには青い炎をまとったその矛を、円を描いて舞うように振るう。龍の肉体はまるで、溶けたバターを切り分けるようにたやすく、焦げる音を立てていくつもいくつもに焼き斬られた。


 動くもののなくなった通路で、渦生は地面に座りこむ。壁にもたれ、荒い呼吸を繰り返した。

 あらゆるけがれを焼き尽くし浄化する火焔の権化、烏枢沙摩うすさま明王。瞬間の最大火力――攻撃力――でいえば、ほとんどの怪仏のそれに劣ることはないはずだが。それを何度もできるかといえば、また別問題ではあった。


 傍らでは烏枢沙摩うすさま明王が同じ姿勢で座り込み、同じく肩を上下させていた。


 渦生はその頭をはたく。

「バカ、まだやることあんだろうが。頼めるか」


 烏枢沙摩うすさま明王はうなずいた。

立ち上がると顔の前で腕を交差させ、胸一杯に空気を吸い込む。上を向きざま腕を引き、炎と化した吐息を盛大に吐き出す。高く高く、火柱を天へ。


「見えるか至寂! 俺はここだ!」


 承知しました、との声が間延びして遠く聞こえ。ほどなく、土壁を砕く音が響いた。


「【不動倶利迦羅九徹剣ふどうくりからきゅうてつけん】! 【不動倶利迦羅九徹剣ふどうくりからきゅうてつけん】!」

 その声が繰り返し響いた、かと思うと。

 渦生の目の前、寸前の壁が打ち破られ、人の胴ほども身幅みはばのある剣が振るい落とされた。


 壁の間から顔を見せた至寂は屈託なく笑う。

「ここでしたか。無事で何よりです」


 表情もなく、固まったまま渦生はつぶやく。

「……もうちょいで、無事でも何でもなくなるとこだったがよ」


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