五の巻27話  文学ヤンキー・華森 隆誠(はなもり りゅうせい)


 そのかなり前、四大明王が襲い来た時よりも前。

 斑野高校裏門直近の道路に車――渦生うずき愛用の軽四貨物車――を停め、二人の男は待機していた。ジャージ姿の伝法でんぽう渦生うずきと、山伏姿の三津野みつの至寂しじゃくは。

 生徒ではない二人は校内に入れず、車の中でそれぞれ運転席と助手席に座り、東条紫苑と崇春らの会談をビデオ通話で見ていた――先ほど紫苑が事情を説明した後、土下座して謝罪したところだ。話は平和裏にまとまりそうかとも思えた――が。


 不意に、運転席の窓が外からノックされる。

 それなりに長時間停まっていたせいで学校職員にでも不審がられたか。そう思いながら渦生は外を見た。


 そこにいたのは、何時代か前の不良ヤンキーだった。

 盛り上げた金髪をひさしのように額の先へ伸ばしたリーゼント。ちょうラン――ロングコートのように裾の長い改造学ラン――を模したのか、制服であるブレザーの裾が異様に長い。その服装に似合わず、かけている眼鏡は真面目そのものの角ばった黒ぶち。


 両手を腰の後ろで組み、胸を張った不良ヤンキーは小さく頭を下げた。

押忍オス一発パツイチ文学ブンガクかまさせていただきます」


「……は?」

 渦生は片眉を上げ、口を開けていた。


 不良ヤンキーは後ろ手に持っていた、本を胸の前で開く。表紙、裏表紙共に象の顔が太い筆致で描かれた、ブックカバーのかけられた本。

「『人は誰でも、他人を襲うとき(それが戦場であれ、情事の戯れのときであれ)自分の顔を鏡にうつして見ておどろくだろう。気がつかなかったが、自分もまた一匹の狼だったのである』――寺山修司『幻想図書館』。押忍オス


「……は?」

 渦生の眉がさらに急角度になったとき、不良ヤンキーは言った。


「うだうだ言われんの好かんので、先言っときます。小生、文学不良ブンガクヤンキー華森はなもり 隆誠りゅうせい。怪仏『歓喜天かんぎてん』の結縁者けちえんじゃ。……つ~ワケで、てめ~ら襲わせていただきます。そこんとこ、夜露死苦ヨロシク


 華森はなもりと名乗った男が一歩下がる、と同時。土を押し固めて乾かしたような壁が――どこから出たというのか、アスファルトの地面から伸びゆくように――渦生らの乗った車を囲うように現れた。


「何!?」


 窓の外は四方とも、もはや完全に壁に囲まれた。

その外から声がした。

「分かたれた大自在天の力、再び一つとするまでは。てめ~ら二人を足止めしろ、それがあの御方の御命令……そこで大人しくしとくなら、命までは――」


 渦生は舌打ちし、ドアに手をやるが。土壁は車体にぴったり寄り添うように建ち、ドアを開ける隙間さえない。ともかく窓を開けようとした、そのとき。


「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!」

 右手の人差指と中指のみ立て、その二指を左手の親指、薬指、小指で握る。残る二指を右手と同じく立てる、不動剣印を結んで。至寂は助手席から身を乗り出し、その指先で後席の方を指した。


 とたん、火の粉をまとって現れた、柱のように巨大な剣が。車のリアガラスもろとも、その先の壁を突き破り崩した。


「……、……!」

 完全に割れ落ちたガラスを指差しながら、口を何度も開け閉めするしかできない渦生に。至寂は静かにほほ笑んだ。

「車のフロントガラスはどれも、事故に備えて頑強に作られているものですが。リアガラスは跳ねた小石で砕けるほど脆いもの……水害等で閉じ込められた際には、ここを砕くのが手でしょう。車内に脱出用ハンマーをそなえつけておくとよいですね」


 ようやく声が追いついたかのように渦生は言う。

「……ああそうだな無い場合はシートのヘッドレストを外して、棒状の金具の先を窓の端に差し込んでテコの原理で砕くといいな、って待てオイ!」

 力強く窓を指差す。

「防災知識はいいんだよ! 窓は! 窓は開くっつうの普通に今は! 何してくれんだてめえ!」


 至寂は穏やかな顔のまま目を瞬かせる。

「……保険は、入っていますね?」


「そりゃ入ってるわ入ってるけどよ! 保険屋になんて説明すんだよ壊れた理由!」


 至寂は合掌し、頭を下げる。

「恐縮です」


 渦生は頭をかきむしる。

「そりゃするだろうよ恐縮ぐらい! クッソ、こうなりゃさっきの奴に全額弁償させてやるからな畜生!」

 ともかく後席から荷台のドアを押し開き、土壁の破片を踏み分けて外へ出る。

 そこには華森はなもりと名乗った男が、開いた本を片手に立っていた。


「ほほう、それぐらいは越えてくるかよ。壁を壊し、自由の身となったつもりだろ~がしかし『「自由」という言葉と「明日」という言葉は似ているのであって、それが現在形で手に入ったと思うときは死を意味しているのです』――寺山修司『家出のすすめ』」

 眼鏡をかけ直しながらあごを上げ、見下ろすように言う。

「そこで囚われてた方がよかったろ~によ~。死ぬぜてめ~ら」


 顔全体を引きつらせながら渦生は言う。

「うるせえ、てめえこそ死ね! 弁償してから死ねバカ、バーカバーカ!」


 なおも罵ろうとする渦生を手で制し、至寂が前へ出る。

「お名前は先ほどうかがいましたが。なぜあなたは我々の邪魔をするのです、それにどこで怪仏の力を。そして、あなたは最前さいぜん仰った、『大自在天の力を再び一つとするまで足止めを』『あの御方の御命令』で、と。あの御方とやら……それはもしや、シバヅキ、という者ですか」


 華森は指を一つ立てる。

「一つ一ついきましょ~やお坊さんよ~、うっかり忘れないよ~に。『若い時は、興味が散漫なため忘れっぽく、年をとると、興味の欠乏のため忘れっぽい』――ゲーテ『温順なクセーニエン』。まず一つ、てめ~らの邪魔するワケは。あの御方から怪仏の力いただいた、その恩義」


 手にした本を愛おしげになでる。

「小生の怪仏『歓喜天かんぎてん』、仏教においては福徳・和合・除災と緒願成就の神仏かみとされるが。その前身たるヒンドゥー教の『ガネーシャ』、大自在天破壊神シヴァの息子たるそいつは富と商売、名声と幸福、智恵と学問と書物の神とされてよ~。その力を具現化したのがこの本よ」


 ページを開いてこちらに向け、ぱらぱらとめくってみせる。そこに書かれていた文字が消え、また別の文字が浮かび、また消えては浮かぶ。

 華森は歯を見せ、顔中でうっとりと笑う。

「『一度でも触った本、その全ての文章を再現する本』! どんな本にもなれる本……いいぜ~こいつは、もう学校の図書館も、町立図書館も! 全部の文学、小説、片っ端から触ってやったぜ~!!」


 象の表紙に頬ずりする。

「全読書家垂涎すいぜんアイテム……こんないいもんもらっといて、味方しね~ワケねえっしょ。いずれは隣の市の図書館、そして県立図書館の本も! 完全制覇してやるぜぇ……!」


 不意に表情を消し、眼鏡をかけ直して言う。

「ああ、残り二つの答えは別にいいだろ。あの御方から力もらった、ってだけでよ。それより気づかね~か、な~んか変だな~、ってよ」


 華森が指した足下を見れば。いつの間にか、地面からもやが上がっていた。不自然な薄墨色のもや。

「何……?」


 もやはさらに立ち昇った。渦生たちがいる道、斑野高校を囲む道路の端、学校とは反対側に。まるでそこへ壁を造り、町から分断するかのように、高く。


 身構えようとしたとき、一瞬だけ地が揺れて。ご、と何かが鳴っていた。地の底か天より高みか、ともかくどこか。この世の奥底が鳴るような。

「な……!?」


 目を瞬かせたとき――一瞬にも満たぬだけ目をつむり、再び目を開けたとき――には。辺りは一変していた。


 道の端、学校とは反対側。道路の端に沿ってどこまでも、壁が築かれていた。薄墨色をした半透明の壁、先ほどのもやがこごったかのような。

 それは見上げる限り天の果てまで高く続き、その向こうの太陽すらも嘘くさい色に変えている。いや、頭上の空までも同じく薄暗い色に覆われていた。

 壁の向こうに透ける町並はこれも嘘くさく、まるで立体的に見えるよう描かれた一枚の絵にも見えた。少なくともその先で動くものは何もない。人も車の類も。


 華森は言う。

「【裏獄りごく結界】。囚われたんだぜてめ~らは、結縁者だけを隔離するこの異界によ。言っとくが小生がやったんじゃねえ、あの御方の配下たる四大明王の仕業よ」


 至寂が印を構えつつ華森を見据える。

「四大明王、四方を守護する明王ら。その怪仏ということですか……しかし何なのです、その者らは。何の目的が――」


「オン・キリク・ギャク・ウン・ソワカ」

 華森は応えず、印を結んだ。

 両手の薬指と小指のみを組み、中指は自然に伸ばして互いの指先をつける。人差指はそれに沿わせ、親指は伸ばした状態の印――歓喜天かんぎてん、またの名を聖天しょうてん、それを示す聖天しょうてん印――。


 渦生も印を結んではいたが。烏枢沙摩うすさま明王をぶより先に、アスファルトの上にどこから現れたか、土がこぼれ、寄り集まり。たちまちに背丈を越える壁となって突き上がった。華森と渦生らを分断するように。


 至寂が歯噛みする。

「く……ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン! やるのです不動明王、【不動倶利迦羅九徹剣ふどうくりからきゅうてつけん】!」


 火の粉を散らして現れた不動明王が、背丈を越える柱のような剣を突き出す。

 音を立てて崩れた壁の向こうには、しかし誰もいなかった。ただ、道が続いているのが見えた。背丈を越える土壁で仕切られ、幾度も直角に折れ曲がり幾筋にも枝分かれした、迷路のような道が。


 どこからか華森の声が響く。

「小生の怪仏・歓喜天ことガネーシャはよ~、『障害物の王』ヴィグネーシュヴァラとも呼ばれてよ。さらには仏道修行者を迷わせ惑わす『障礙神しょうげしん』、魔王毘那夜迦ビナヤカとも同一視されてよ~。その特性を具現化したのがこの【歓喜毘那夜迦かんぎビナヤカ・大迷宮】なわけよ。んで――」


 どこから、地を揺らすような音が聞こえた。先ほどのように地の奥深くからではない、それでも確かに地面を揺らす、大勢の足音のような。


 見ると。迷路のそこかしこから渦生らの方に向かって、大軍勢が押し寄せてきていた。背丈こそ渦生より頭一つ低いが、長い象牙を生やした象頭人身。図像に描かれあるいは神仏像にかたどられるとおりの、歓喜天。

 彼らの二本の手にはいずれも手斧や剣、宝棒や戟が握られていた。薄墨色の壁を通した薄ら寒い色の日差しに、それらの刃が不穏にきらめく。


「もう一つの名がガナパティ、『群集の王』。その力で創り出した分身ども、【歓喜俄那鉢底かんぎガナパティ・大群衆】よ。せいぜいそいつらの相手して、あの御方の用が済むまで待っててもらうぜ……ま、そこまでお前らの身が持ちゃ~いいがな。そこんとこ、夜露死苦ヨロシク


 数え切れないほどの象人が、二人へ向けて殺到する。武器を打ち込もうというよりも、その数と体積で押し潰し、押し流そうとするように。


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