五ノ巻26話  使いたくなかった手


 離れた場所にいた帝釈天が目を剥く。

「――な……」


 円次は顔を上げ、頭の後ろをかく。

「いやー頑張った、それなりにイイ試合だったと思うンだがなー。まあオレの負けだわ、記念に握手してくれねェか……いや、八本のどれかでいいからよ」

 座したまま右手を小さく出す。


 帝釈天は引きつる頬を震わせ、どすどすと足音も高く駆け寄る。

「――何を貴様、汝ともあろう者が……!」


 ふ、と降三世ごうさんぜの三面が、吹き出したように息をこぼす。

「――ふふ、ははは、ごうっはっはっは! 降三世ごうさんぜ降三世ごうさんぜ! 下手な芝居よ、零点・零点・零点の、三面満場一致で赤点である! とはいえ、その剣技だけはなかなかのもの」


 八腕の一つ、何も持たない手が畳の上の刀を指す。

「――なあ、サムライよ。貴様ほどの腕前であれば、通常とは逆の手で抜き打つ……それぐらいの芸当はできるのではないか?」


 敵意のないことを示すため右側に置いた鞘を右手で取り、左手で抜き打つ――暗殺技とも思われる古いかたが、比良坂心到流ひらさかしんとうりゅうには伝わっていた。


 げ、と円次は声を上げた。読まれていたか、この目論見もくろみは。

 大きくため息をついた。

「しゃーねェな……バレたか。じゃあもう、どーにもなンねェか」


 刀を取り、入口の向こうへと放り捨てる。ふすまの陰になった場所へ。

「これでいいだろ、後はなんも邪魔できねェ。オレのことは放っといてくれ」


 三面が歯を剥いて笑う。

「――そうはいかん。貴様の腕、それなり以上のものではある……生かしておけば吾輩らの主に如何いかな害があるやもしれん。殺す・見逃す・半殺すのどれかでいえば……殺す、それが確実である!」


 そのとき。慌てたような足音を響かせ、帝釈天が降三世ごうさんぜの前に出た。押し留めるように両手を出して。

「――ま、待て! この者、なかなかに気持ちの良い男。我とて敵同士ではあるが……許されることなら、殺したくはない」

 円次の方をちら、と見た後で続ける。

「――ここは一つその、怪仏同士のよしみというか……我に免じて、見逃してもらうわけに――」


 降三世ごうさんぜは三面の目を吊り上げた。

「――ええい、何を世迷言よまいごとを! 邪魔立てするでないのである!」

 戟と剣を持つ手を振り上げかけたが。思い直したように、前蹴りで帝釈天を打ち倒す。


 自らの座した横に倒れ込んだ帝釈天に向け、円次は両手を掲げてみせた。胸の前で交差するように。

「バツ」


「――は……?」


 倒れたまま口を開ける帝釈天に円次は言う。両手をバツの字に重ねたままで。

「バツだぜオッサン、その態度。命乞いとかみっともねェ。……助けようとしてくれたのは、ありがてェと言っとくけどよ」


 いぶかしげに顔を歪めつつ、帝釈天は身を起こす。

「――何を、だいたい命乞いなら貴様こそ、汝ほどの武人ともあろう者が……!」


 円次は表情を変えずに言う。

「それよりオッサン、二つ聞くがよ。一つ、オレの刀はどこにある? 二つ、オレは何をしている?」


「――はぁ……?」

 帝釈天はおろか降三世ごうさんぜも、眉をひそめて円次を見る。


 手を重ねたまま円次は言う。

「まず、オレの刀は放ったがよ。もう引っ込めた、消したンだ。オレがんだものだからな。で、今オレがしてるのはよ。魔女っ子のカワイイ変身ポーズみてェでイヤなんだけどよ。百見によりゃ、印だとよ。持国天の。オン・ヂリタラシタラ・ララ・ハラマダノウ・ソワカ」


 円次の手は右手を上に、バツの字に重ねたまま。拳を握り、両の人差指だけを立てていた。

「で、『引っ込めた』ってことは。『またべる』ってことよ、ガラ空きの背後にな。帰命頂礼きみょうちょうらい……やれよ、持国天」


 果たして、降三世ごうさんぜの背後に。刃物のように白いもやが渦を巻き、ほどなく人の形を取る。

 円次と同じ背丈、同じ体格。青く彩色された兜を目深に被り、同じ色をした唐風の明光鎧めいこうがいを身に着けた守護仏、持国天がそこにいた。その手に持つのは、鞘に納められた日本刀【持国天剣】。


「――な……おのれぇ!」

 降三世ごうさんぜは歯を剥き出し、背後を振り向きつつ戟と剣を振るう。三面の目で新たな敵を見据えながら。


 持国天は無言のまま、表情一つ変えず踏み込みつつ。手にした物を振るい、どうにか明王の攻撃をいなした。その手に持った、鞘で。


「――! しまっ――」


 た、と降三世ごうさんぜのどの面が言うよりも早く。円次は刀を手にし、明王の胸を背中から、深々と貫いていた。持国天が抜き放ちざま、畳の上をこちらへ滑らせてくれた【持国天剣】で。


 持国天は――いや、平坂円次のぶ持国天は――たった一人の業から生まれた怪仏。数多の人の業重なり、積み上げたその力と共に、業の重みに歪んだ意思を持つ、他の怪仏とは違う。

 たった一人分の力しかないそれは、何の能力も無い最弱の怪仏。本地たる円次と同じだけの、剣の腕前を持つ他は。

 そして、たった一人分の意思で構成されたそれは。本地たる円次と同じ意思を持ち、完璧以上の連携を可能とする唯一の怪仏。


 虚ろな目を見開いたまま、どう、と音を立て。降三世ごうさんぜが崩れ落ちるようにひざをつく。

 介錯かいしゃくするように、円次の刀がそこへ走り。三面のついた一つの首が、赤黒い体液を上げながら、畳の上を重く転がる。

やがてその首も胴も体液も、赤黒いおりのようにほどけて。宙に漂い、消えた。


 刀を額の上に掲げ――貫いた肉の、斬り離した頚椎けいついの感触に、指は冷たく震えていたが――、血を払うように斜め下へ振るう。つぶやいた。

「使いたくなかったンだぜこんな手……だまし討ちみたいでよ。真正面から倒してやりたかったが、ま。ここを越えねェことには、後輩あいつら守ってやれねェんでな。悪く思うな」


 帝釈天は表情もなく、降三世ごうさんぜが散った辺りを見ていたが。ややあって固く口を開く。

「――……そう、来ようとはな。大した――」


 円次はその眼前に刀を突きつける。

「黙れ。いや、喋ってくれ。喋り足りねェことがあるだろ、全部喋れ。……改めて言ってやる、てめェらは敵だ」


 動きを止めた帝釈天を、円次は静かに見る。

 背中を合わせるように立った持国天は鞘を構え、正観音ライトカノンへと無言で視線を向けていた。


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