五ノ巻25話  戦いの結末


 円次は切先をひざの高さほどまで下げ、構えを下段に変える。

 そこから狙う技がある、というわけではない。竹刀ならともかく、鉄の塊たる真剣を宙へ突き出し続けておく――構える――という行為は、それだけでそれなり以上の体力を消耗する。それを軽減する一つの手としては下段の構えが有効であった――宮本武蔵の記した『五輪書ごりんのしょ』にもそうあった、現代語訳を黒田から借りて読んだことがある――。


 そこからさらに切先を右へずらし、自然なくらいを取る。

「能力を封じる能力、か……なるほど、地味だが超厄介だな」

 口の端を吊り上げてみせた。

「ま、そこの厄介者どもが片づいて清々せいせいしたぜ。後はオレの能力が決まるか、てめェの封じ技が決まるか、その勝負ッてとこか……おっと、だからってボサッとしてたら叩ッ斬るがよ」


 無論、円次に――その守護仏たる持国天に――能力などない。

 数多あまたの人の業重なり、重なる重みに歪んだ想いと、力とを得た怪仏とは違う。円次一人の小さな業の具現。ゆえに『怪仏であること』『ゆえにその武器が怪仏に通用すること』の他、何の特別な力もない。本地たる円次に腕力や体力、頑強さの類を与えるといったことも――おそらく崇春などは、そうして増長天の力を借りているのだろうが――ない。

 だから、もしも刃物の一撃を、頭か胸か腹に喰らえば。その時点で円次は死ぬ。


 だが、それゆえに円次はハッタリを口にした。少しでも揺さぶりをかけ、相手の蹴りを引き出すために。

 二本腕だろうが八本腕だろうが、それを支える脚は二本。蹴りを出すならその一本をわざわざ差し出し、バランスを崩してくれる格好になる。蹴り足を斬るか胴を斬るか、体を支えて動けない軸足を刈るか。タイミングを見切りさえできれば、お好きなところをどうぞ、といったところ。


「――ふ」

 なぜか降三世ごうさんぜが息をこぼした。三面全ての顔で。


「何がおかしい」


 降三世ごうさんぜは笑みを浮かべたまま、武器を構えて間合いを詰める。

「――なに、少々滑稽だったのである、その強がりがなあ……いつまで続くものであるかな!」

 一本の腕が戟を繰り出す。


 円次はそれを右へと打ち払った。そのまま刀身で戟の柄を圧しつつ、刃を相手へ滑らせる。

 そのまま刃を返して敵の胴を斬り上げる【橋掛はしがけ】、もしくは戟を返して抵抗するなら、刃を返し上段から斬る【橋立はしだて】。そのどちらかで斬るつもりだった、が。


 まただ、まただった。直剣と金剛れいが交差し、円次の刀を受け止める。武器を持たない三つの手が同時、鋭い貫手ぬきてを繰り出す。

 刀を引き、素手と剣の間合いから離れる。そこへ放たれた矢を間一髪、横っ跳びでどうにかかわせた。

 相手が体勢を立て直す前に再び斬り込むつもりだったが。そのときにはもう、明王は戟を構えていた。それが再び突き出される。


「くそッ!」

 その穂先を打ち払い、何度も足を継いで跳びすさる。着地するそこにまた矢、しかし自ら足を滑らせ、倒れ込むようにしてかわせた。やじりに裂かれた髪の端が宙を舞う。


 同じだ、同じだった。先ほどまでの戦いと。

 剣道三倍段――『素手の武術で剣を制するには、相手の三倍の段が必要』と解されることが多いが。元は『剣で槍を制するには、相手の三倍の段が必要』という意味といわれている――、その槍、この場合は戟をかいくぐる必要があり。その先では剣と金剛鈴が防御に専念、二つの武器で刀を食い止める。そこから突き来る素手の三腕、身を引いても弓矢の追撃。

 逆に円次が手を止めていれば、向こうから矢を射かけ戟を突くだろう。こちらの間合いの外から。


 遠距離、中距離、防御に近距離。八腕を的確に使い分け、攻防に分厚い手段を備えたこの敵は。まるで単発銃隊を長槍隊で護衛する、中近世欧州の軍隊。

 まさにこの明王は、一体のみで構成された軍隊だった。


 円次は自らの手を見る。ただ一刀を両手で握ったその腕を――腕が二本しかないことを恨めしく思ったのは生まれて初めてだ――。

 頬を引きつらせつつ構えを変える。左足を前にし、両手で持った刀を立てた野球の打者のような姿。そこから切先を斜め前へと倒し、攻防へすぐに転じられる姿勢【中段・霞の構え】。

 それからわずかに身をかがめ、脇に引き絞っていた刀を体の前へ出す。まるで刃に身を隠すような【入身正眼いりみせいがんの構え】。だがその刀身は、身を覆うにはあまりにもか細い。


 降三世ごうさんぜが肩を揺すって笑う。

「――降三世ごうさんぜ降三世ごうさんぜ! 臆したかサムライよ、腰が引けておるのである!」


 円次は努めて表情を変えず、突如その構えのまま突進した。

「使うぜ、オレの能力ちから!」


 突然かつ何の脈絡もない行動、だが。だからこそ相手は反応せざるを得ないはず。『能力封じの能力』を活かすべき場面はまさにそこ、敵に能力を活かされる前なのだから。


 が。

「――ごうあぁっ!」

 降三世ごうさんぜが繰り出したのは突き。先ほどと同じ、戟による攻撃――封印の蹴りではない。


「な!?」

 円次は刀で弾く、その隙に斬り込む。そこから先は同じだった。二つの武器が刀を受け止め、貫手が繰り出され弓矢の追撃。

 どうにか全てをかわし切り、大きく間合いを取って。肩を大きく上下させ、荒い呼吸の下で思う。


 おかしい。

 なぜ蹴りを出さない。能力を封じる能力、能力を使うと言った相手になぜ使わない。別にいきなり繰り出す必要はない、刀を受け止めた後に貫手の間合いで出してもいい。それも、ない。

 勘づいているのか、こちらに能力などないことを? だがいったいどの時点で、どうして。

 ――いや。もしや、そもそも――


 後ずさる円次のかかとが何かに当たる。揺らいだそれはふすま。作法室の入口、靴脱ぎ場へ続くふすまだった。今そこは開け放たれたままで、廊下が向こうに見えていた。


 ふすぅ、と鼻で息をつき、円次は肩を落とした。

「参った」

 かぶりを振って言う。

「降参だ。降参だよ降参、八本も腕ある奴に勝てるかッての」


 刀を鞘に納め、ベルトから抜く。正座し、敵意がないと示すよう――右手で抜くことができないよう――自分の右側に置き、正座した。

 畳に手をつき、頭を下げる。

「参りました」


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