五ノ巻11話 出会ってしまった二人
――一方、その少し前。
薄墨色の壁で仕切られた校内を、百見は足早に歩いていた。走りはしなかった。敵にとって都合が良いであろうこの道を行く以上、体力は温存しておきたかった。崇春や、あるいは平坂のような体力があればまだしも、到達点すら分からない道を走り回る消耗は決して小さなものではない。
それに、考えるべきこともある。敵はなぜそもそも――
その思考をさえぎるように、聞き覚えのある声が辺りに響いた。ひどく脳天気な、女子の声。
「おぉーい! 百見! 百見ではないか!」
百見が来た方とも、向かう方とも違う道。薄墨色の壁に仕切られた
「いやー良かった、安心したぁ……何せ、斉藤くんと分かれ分かれにさせられてすごく――」
百見の所へ着くより先に、賀来は笑って喋り出したが。
その言葉が終わるのを待たず、百見は駆け出した。いつも手にしている本を抱えて、賀来の来ていない方、元々向かっていた方向へと。
全速力で。無言で。決して目を合わせずに。
「ちょ、ちょぉおおお!? 待て、待たぬか百見!」
厚底靴の音を立てて賀来も駆け出す。
百見は変わらず全速力で逃げ、角を曲がり、吹き抜け構造の階段を下り、その階段をさらに下り、その先の廊下を足早に駆け。
賀来も彼女なりの全速力で追った。だが厚底靴が災いしたか、階段の下の方で盛大に転ぶ。
「
聞こえるようにため息をつき、きびすを返し。階段の下で倒れ込んだ、賀来へと手を差し伸べた。
「大丈夫かい。無理に立たない方がいい、座れるか」
「うん……」
賀来はひざを押さえてうずくまっていたが、手を借りて体を起こす。床にあぐらをかいた。
ひざをさすりながら言う。
「すまぬ。助けられてしまったな」
「気にしないでいい。じゃ」
あいさつするように片手を上げると、百見はまた駆け出した。
「ちょ!? だから待てえぇ!」
目を見開いた賀来が、片手を突き出して叫ぶ。
あからさまに舌打ちし、百見は足を止めた。
「何だい、まだ何か――」
「何かではないわ!」
百見の言葉を食い気味に賀来は叫ぶ。
「よいか、こんな状況だぞ! 我と斉藤くんも、その……そなたらを心配して、早朝から来てみれば! 変な壁で分かれ分かれにさせられるし! どうせ何やら、敵の怪仏の仕業なのであろうが――」
その言葉にかぶせて百見は言う。
「そう、敵の仕業なんだ。さすが魔王女カラベラ嬢、そこまで分かっておいでなら話が早い」
また賀来に背を向け、片手を上げた。
「その原因の敵は僕が倒す、待っていてくれ。じゃ」
賀来は立ち上がっていた。
「だから待てぇぇ!」
百見は立ち止まる。はっきりとため息をついて言った。
「説明している時間が惜しい。そもそも説明しなくても、だいたいのところは察してほしかったけどね」
眼鏡を押し上げて続けた。
「僕たちは敵によって分断されている。その敵をそれぞれが倒せば結界は解ける、元の学校に戻れる。僕はこれから敵を倒す。君は邪魔だ。以上」
「じゃ、邪っ魔ぁあああ!?」
目を見開く賀来に対し、百見は表情を変えずに言う。
「邪魔だよ。覚えていないなら言って差し上げてもいいが――君が昨日何をしたか。怪仏の力を得て、斉藤くんと谷﨑さんに」
賀来は黙った。しおれるように目を伏せた。しわり、と歪んだ唇を、小さな歯の先が噛んだ。
またため息をつき、百見は続ける。
「悪いが、なぐさめている時間も惜しい。……全て終わったら、すぐに君の怪仏を封じよう」
歩き出し、背を向けたまま言う。
「敵はこの先だ、君は戻っていてくれ。元の学校に戻ったら、生徒会室で合流しよう」
歩を進めながら小さく言う。
「それと……気に病むな。誰も君を責めてはいない」
そして駆け出し、廊下の角を曲がった。
「百見……」
賀来が顔を上げ、つぶやいたのと同時。
「んがっ!!?」
百見は何かにぶち当たり、
片側の耳からずり落ちた眼鏡をかけ直し、見れば。角を曲がったそこ、廊下の全面が、薄墨色の壁で塞がれていた。
立ち上がり、つぶやく。
「何だ、これは……? 賀来さんが来た方に敵がいるはずはない、他に分かれ道もなかった。この先に敵がいるはずだが」
壁に手をつく。薄暗い色をした壁の表面は、ガラスのように周囲の景色を反射していた。その端に、階段の前に立つ賀来の姿が映っていた。
「……! しまった!」
目を見開いた百見は、靴を鳴らしてきびすを返したが。
遅かった。敵は跳び来たっていた、吹き抜け階段の遥か上から。
他のどこでもなくここだった、道の果ては――敵の用意した、戦いの場所は。
宙を落下するその敵は、たくましい六本の脚で次々に壁を蹴り、手すりを蹴り、縦横無尽に加速した。『
その顔は正面と左右の三面、その上にまた小振りな頭部が載り、そこにも正面左右の三面があり。そして、六面合計十二の目が見据えるのは。階段の下にいる、賀来だった。
「――
百見は即座に印を結ぶ。光を帯びたもやが集い、広目天の姿を形作るが。賀来のいる場所まで距離がある、その力を振るったところで到底間に合わない。
「っ……上だ! 逃げろ!」
「え?」
目を瞬かせて賀来が上を見る。
その視線の先にはもう、明王が迫っていた。六本腕のうち三本が持つ、剣が宝棒が
がす、と、重く、肉を打つ音。
その響きと同時に。賀来の目前で止まっていた、明王の三本の腕は。
賀来の肩から漂い出た青黒いもや。それが集って形作った、
「――な……」
「……にぃ……!?」
明王と百見が同じ言葉を洩らす中。一人、賀来は笑っていた。
「なんだ、敵が来ておったか。それならそうと言えばよいのに。まあよいわ」
百見の方を見て言う。
「わざわざの心配ご苦労。この魔王女、カラベラ・ドゥ・イルシオン=フォン・プランセス・ドゥ・ディアーブルスが誉めてとらそうぞ。だが――」
その右目が、ツインテールに分けた髪の右側の房が、金色の輝きを帯びる。
重い声が続きを喋った。怪仏の声が。
「――心配無用。魔王女が
賀来が笑う。その口の右端から、牙のような犬歯がのぞく。
素のままの茶色の瞳と、金色に光る瞳が百見を見た。
二つの声が重なり、響く。
「超――」
「――強いぞ」
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