五ノ巻7話  螺旋を描く蛇のように


 針の群れと共に、明王をちりと散らした後。崇春は合掌する。


南無阿弥陀仏なむあみだんぶ南無阿弥陀仏なむあみだんぶ南無妙法蓮華経なんみょうほうれん南無妙法蓮華経なんみょうほうれん般若波羅蜜多心経はんにゃはらみったしんぎょう、南無大師遍照へんじょう金剛」


 未だ横たわったまま、荒い息の下から斉藤が言った。

「さすが……スね」


 崇春は微笑む。

「何を言うちょる。おんしこそ、よ。さ、悪いが立てるか」

 差し出された崇春の手を取り、斉藤は震えながらも身を起こす。

「もちろん、ス……急ぐス、からね」


 立ち上がり、出口へ向かう二人の上に、聞き覚えのある声が降った。


「――ぐう……まさにまさに、おさすが……です、な」

 苦しげにかすれてはいたが。それは滅したはずの敵、軍荼利ぐんだり明王の声。


 見上げれば、漂っていた。黒いちりのようなものが視線の先、ステージ上の空間一面に。

 風もなくそれが渦を巻き、渦を巻き。音もなく寄り集まり、大蛇の如く太く長い、ちりの竜巻と化し。それがさらに渦を巻き螺旋らせんを描き、大蛇がその身を絡ませて、自らを縛るような塊と化し。


 さらには辺りの床、砕け折れた針の破片と共に散らばっていた、明王の肉片。その千切ちぎれた指が、足先が、どことも分からぬ肉の欠片が。黒い竜巻に引かれるように寄り集まり、あるいは自らにじり寄り。竜巻の内へと吸い込まれた。

 そして。吸い上げられて宙を舞い、あるべき位置に――耳なら耳の、指なら指の――浮かんだ肉片の先に。黒いちりが寄り集まり、かたどっていく。その先の肉体を。まるで砂粒ほどのピースの、ジグソーパズルが形作られていくかのように。


「な、ん……じゃと!?」

 崇春がうめく間に、元のとおり。傷一つない軍荼利ぐんだり明王がそこにいた。


 軍荼利ぐんだりは微笑む。

「――いや、お見事。これほどの武人、二人もとまみえられたとは……光栄の至りにございますな。そして」

 笑みを消し、八本の腕を構えた。

「――これほどの武人、二人もを仕留しとめねばならぬとは……無念の極みにございますな」


 その巨体が二人を目がけて跳び、胴を中心に渦を巻く。武器を携えた八本の腕が、残像を残しつつ螺旋らせんを描いた。

「――受けられよ。【剛螺ごうら旋牙撃せんがげき】!」


 その武の渦に、為すすべも無く巻き込まれ。斉藤はその身を覆う石を砕き散らされ、床に転がる。

「が……!」


 一方、崇春は。

「ぐう……!」

 跳ね飛ばされ、武器に穿うがたれ血を流しつつも。床に着地し、拳を構えた。

「こちらの番よ……【真・スシュンパンチ】じゃあああ!」


 繰り出す金色こんじきの拳は、しかし。

足を止めた軍荼利ぐんだりの手にいなされ、さらに次の手にいなされ。胴を中心に円を描いて舞う、その八腕に順繰りにいなされ、流され、さらには捕まれ。

「――【柔螺じゅうら旋手投せんじゅとう】」


 気づけば投げ飛ばされていた、崇春は。ステージ後ろの壁目がけ。たたきつけられていた、その壁にひびが走るほどに。まるで自身の力を、まるごと返されたかのように。


 軍荼利ぐんだりは静かに言う。

「――勝負あった……認めるならば、お命までは獲りませぬ。認めぬとあらば、今すぐ介錯かいしゃくつかまつる」


 数秒経って壁からずり落ち、床に横たわったまま崇春はつぶやく。

「……なるほど……の。分かったわい」


「――負けを認められると――」


「いいや? 分かったのは、の……」

 壁に身を擦り、もたれかかりながら。崇春は立ち上がる。

「おんしには勝てる。その方法があると、分かったのよ」


 ぴくり、と軍荼利ぐんだりの眉が、そして額の第三の目が動く。

 それを隠すように朗らかに言った。

「――ほう、それは初耳ですな。そのような方法があるのなら、後学のため拝聴いたしたいところ」


 壁にもたれたまま崇春は言う。

「とぼけまいぞ。語るに落ちる、どころではなく。それを示したのはおんし自身よ」


「――な……」


 切りつけるように崇春は言う。

「再生する力、不死身の肉体。それを持つもんが、何故なにゆえ守りの技なぞを持つ? 要らんじゃろうが、真昼に灯篭とうろう、夏に炬燵こたつ

 表情をなくした敵を前に、崇春は腰に両手を当てて身を反らす。

「まあ、その倒す方法が何かっちゅうのは分からんがのう! がーっはっはっは!」


「――……成程。それは、そうかもしれませんな」

 表情を消したまま、軍荼利ぐんだりは立ち尽くしていたが。

「――ですが。そこに思い至った以上、貴殿は必ずここにて仕留しとめる」

 狙いを定めるように三つの目を細め、八腕を構えた。


 穏やかに崇春は言った。

「言うておくがの。その方法が何かは知らんが、何にせよおんしは勝てんよ。それもまた、おんし自身が示しておる」

 表情を消し、構えを取る。

「弱点があるとばれた後で、ようやっと本気になるとはの。いくらなんでも慢心が過ぎようわい……明王、武辺の怪仏ほとけたる覚悟、おんしには欠片もなし」


 軍荼利ぐんだりの全身、その動きが、ぴたり、と止まる。その後で歪むように、眉間にしわが寄り、口元が歯を剥いた。

「――わざわざの苦言……痛み入る!」

 声と同時、跳んだ。螺旋を描く八腕を竜巻のように振るう。

「――【剛螺ごうら旋牙せんが――】」


 その声が終わらぬ間、螺旋に勢いが乗り切らぬ間に。


「【真・スシュンパンチ】じゃああああ!」

 撃ちくような直線を描いて拳を振るう。螺旋の中心、軍荼利ぐんだりの頭部を目がけて。

 堅い音を立てて打ち込まれたそれに、明王の首が揺らぎ、螺旋が崩れる。


「おおおっっ! スシュンパンチ! スシュンパンチ! スシュンパンチ――【スシュン・ラッシュ】じゃあああ!!」

 薄く金色の光を帯びた拳を無数に繰り出す。それが鈍い音を立て、明王の胸を腹を顔を打った。


「――ぐぶ……!」

 だが。いかに連続で繰り出そうと、二腕の拳はいつしか八腕にいなされ。受けられ、流され。つかまれ、投げ飛ばされた。

「――【柔螺じゅうら旋手せんじゅ――】」


 その声が終わらぬ間に。投げ飛ばされながら。崇春は空中で身をひねっていた。

「【胴まわしスシュン脚】っっ!!」

 真っ逆さまに投げ飛ばされながらも、強く伸ばした崇春の脚。薄く金の光を帯びたそのかかとが、軍荼利ぐんだりの頭部を捕らえていた。


「――が……っ!?」


 もろともに体勢を崩し、重なり合うように崩れ落ちる。

 震えながらも崇春は先に立ち上がり、敵を踏みつけるべく足を打ち下ろしたが。

 軍荼利ぐんだりは転がり、その打撃を避けていた。


 荒い呼吸の下から崇春は言う。

「柔道の達人に妙技あり……投げられつつも相手の足を刈り、逆に相手を倒す技が。斉藤から聞かせてもろうた、その技のわしなりの真似まねごとよ」


 地に伏したままの明王へ構えを取り。四本の指を曲げ、くいくい、と手招きしてみせる。

「立つがええ。仏法と世界四方の守護者、武技武辺にて護る守護仏ほとけ。四天王の、お手本見せちゃる」

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