五ノ巻6話  不死なる者対死者の王


 その言葉を聞いたところで、崇春は同じ顔をして笑った。目の前の敵と。

「ほう、なかなか目立ったことを言うてくれるの。じゃが、真に目立つのは――」


 そのとき。構えを取ったまま、斉藤が前へと進み出る。

「……ス。ここはオレが……ス」


 笑みを浮かべたまま軍荼利ぐんだりが言った。

「――ほう。どうやら、もっと目立つ御仁がおられる様子」


「むう……!」

 表情を険しくする崇春へ、敵に目を向けたまま斉藤が言う。

「オレ、急ぐ……ス。あの人の所へ、行って守らなきゃ……なん、で」


 斉藤はその太い指を、胸の前で組み合わせる。合掌の形から、人差指と小指だけを内へ曲げ、左右の爪を合わせるような形。

「……オン・ヤマラジャ・ウグラビリャ・アガッシャ・ソワカ――」

 その結んだ印は、唱える真言は。慈悲の化身たる地蔵菩薩でも、慈愛を抱きつついくさに臨む勝軍地蔵でもなく。

帰命頂礼きみょうちょうらい閻摩天えんまてん……!」

 死後の裁きを司る、地獄と死者の王のそれだった。


 ひび割れるような音を立てて、斉藤の足下から石が盛り上がる。たちまちにその体を駆け上がり、包み込み。古代中国風の冠の下、とげのように鋭く尖った、石のひげそなえた閻摩天えんまてんの姿を形作った。ただしその顔だけは憤怒に歪んだものではなく、地蔵のように柔和だった。


 石造りの剣を敵に向け、斉藤は言葉を放つ。

「受ける……ス。【地獄道大針林だいしんりん】」

 その剣の指した先から、樹木のように長大な針の群れが敵に向かって――は、いかなかった。


「――何!?」

 軍荼利ぐんだりが三つの目を剥き、見たのは。

 体育館側のステージの端。その床から幾重にも伸び、砕く音を立てて天井へと突き刺さる針の群れ。それはまるで、体育館とステージを隔てる壁のような。


「【地獄道大針林だいしんりん】」

 再びつぶやく斉藤の声と共に、今度は軍荼利ぐんだりの背後へ壁ができる。その退路を断つように。


「【地獄道大針林だいしんりん】」

 さらには斉藤の背後にも壁が築かれた、ただし。やや離れた位置にいた、崇春を外へと置き去りにして。


「むうぅ!? おんし、何を――」

 分断された崇春は針の群れへと取りつき、叩き壊そうとするが。

 針の隙間から見えた。斉藤が改めて印を結ぶのが。

「オン・エンマヤ・ソワカ……頼む、ス……閻摩天えんまてん


 斉藤は声を張り上げた。それまでつぶやくようだった声を、敵へ叩きつけるかのように。

「【地獄道……大・大・大・大・大針林だいしんりん】!!」


 一瞬だった。床から、天井から、針の群れが同時に伸びた。一切の隙間をも残さぬかのように大量に。咬み合う牙のようなそれらは、もはや貫くための針ではなく。し潰すための鉄の群れ。

 床を、壁を、天井を、そして何かを――潰し、砕く音がした。


 針の壁に顔を押しつけ、崇春は叫んだ。

「な……! 斉藤、斉藤っ!」

 壁の向こうから返答はなかった。何者の声も、動く気配すらしなかった。


 だが。やがて針の外壁が、その中の針のいくつかが。ぼろり、ぼろりと、朽ちたように崩れ落ち。

 それらと共に、背中から倒れ込んでくる。石造りの閻摩えんまの巨体が。


「無事か、無事か斉藤!!」

 崇春がすがりつき、揺すぶったその巨体は。全身に傷跡が穿うがたれ、あるいは折れた針の先が突き刺さったままだったが、血を流してはいなかった。


「どうにか……ス」

 石造りの大きな手が動き、石造りの仮面を――西洋かぶと面頬めんぽうのように――押し上げ、斉藤自身の顔を見せた。その呼吸は荒く、大きく肩を上下させていたが。


 崇春は息をつくと共に、湧き上がるような笑みを浮かべた。

「おおおおおっ! 無事か、よかったわ……いや、それにしても!」

 斉藤の手を強く握る。

「まさにまさにこのわしよりも、超大目立ちの大活躍よ! いや、これは降参したわい!」


 言った後で改めて周りを見る。砕け落ちた針は辺りに融けこむようにその姿を薄れさせ、かき消えていったが。未だ大半の針が、み合う巨大な牙のようなそれが、ステージ上には満ちていた。


「むうう……。これがおんしの、閻摩天えんまてんの力か……。空恐ろしいものよ。どうやら以前たたこうたときは、ずいぶん手加減されとったようじゃ。……おんしはそれほどまで、閻摩天えんまてんあらごうてくれちょったわけか」


 斉藤に向き直り、深く、深く頭を下げる。

「まっこと、すまぬ。おんしのその慈悲がなけりゃあ、わしは生きてはおれんかった。がとうの、言葉に尽きるわ」


 荒い息のまま、斉藤は微笑む。

「い、や……崇春くんなら、きっと勝った、ス……ぶち破ったス、こんな、もの」


 そのとき。ひしめき合う針山の奥から、声がした。

「――いや、お見事……まこ、と……お見事」

 うめくような、しかし確かに聞こえたその声は。軍荼利ぐんだり明王。


「――呑んでかかるつもりはない、などと……申しておきなが、ら。お恥ずかしい……正直、めて……おり、ました」

 変わらずうめくような声はしかし、苦笑するような響きを帯びていた。


 その言葉が終わる前に、崇春は立ち上がり。真言を唱えていた。

「オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ。受けるがええ、引導いんどう代わりにわしの拳も。【南贍部洲なんせんぶしゅう護王拳】――【真・スシュンパンチ】じゃああああ!!」


 体ごと飛び込む崇春が放つ、打ち抜くような拳。その前には金色こんじきの光をまとう、鬼神の拳が浮かんでいた。

 その拳が、咬み折るように高く硬い音を立て、針のかたまりを打ち砕き。

 その先、針に貫かれ咬み潰されていた、四散した明王の肉体、半分に分かたれた顔。それらをまとめて打ち砕いた。粉微塵こなみじんに。


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