四ノ巻23話 預かるその背は大暗黒天
誰もが長く黙っていた後、百見がぽつりと言う。
「確かに
紫苑は苦笑する。
「やはりロマンがないな、君は。だが、真言が他の神仏とかぶるということはまずない。そう考えれば同体説も成り立たなくはないはずだ」
むう、と唸って崇春が言う。
「何とも大胆な説、肝が冷えるような目立ちぶりよ。……じゃが、まだ見えてこん」
真っ直ぐな視線を紫苑に向ける。
「怪仏によって七福神を揃えるとして、六尊まではお
紫苑は小さくかぶりを振った。視線を伏せてつぶやく。
「あー、その。単純な理由なんだ、つまらない理由。これさ」
片手の指を軽く広げ、親指と人差指で輪を作ってみせる。
『これは……阿弥陀如来の来迎印、もしくは釈迦如来の説法印? しかし、どちらにせよもう片方の手でも印を結ぶ必要があるはずですが』
スマートフォンの向こうから至寂がそう言ったが、誰もそちらには取り合わなかった。
紫苑は言う。輪を作った手を小さく上下させながら、視線を誰とも合わせずに。
「
今までの穏やかな、楽しむかのような余裕さえある口調とは違って。吐き捨てるような言い方だった。
誰も何も言わずにいると、紫苑は椅子から立ち上がった。
「まあ、具体的にどういう形で金が手に入るかは知らないがね――現金が湧き出てくるとも思えない、運が向いて宝くじでも当たるのか――。少なくとも、こんな幻なんかじゃない」
黒いもやを上げる手の上に、黒みがかって輝く小判が現れたが。弾き捨てたそれは、床に当たると高い音を上げて小さく跳ね、黒いもやへと還っていった。
むう、と崇春が
「……しかし、そんなことで……」
紫苑は鼻で笑った。
「そんなこと? 君のように徳の高いお坊様にはそうかもしれないがね。むしろそちらの方が異常ではないかな」
かすみの手にしたスマートフォンに指を向ける。画面の向こう、至寂と渦生を指差すように。
「怪仏退治はタダ働き、そうおっしゃっていたが。それがまず異常ではないか? 危険な労働に対する正当な報酬が無い、おかしいのではないか? その戦いで死傷したとして、労災保険は下りるのか? 生命・傷害保険は、どういう判定がなされるんだ?」
画面の向こうから何か
紫苑は再び、ハンドサインで
「
顔を隠すように額に手を当て、背を向けた。
「……個人的な話で申し訳ないが、うちはぶっちゃけ貧乏でね。さっきもちらっと言ったかな……両親が不妊治療を受けていたことがあってね。ものによっては金がかかる、それをずいぶん長いこと。両親ともお金持ちじゃあない、それでも我が子が欲しかったのだろうね。その後で、僕が来た」
そういえば、渦生の情報では。紫苑の住まいは古い公団住宅――かなり家賃の安いであろう団地――ということだった。少なくとも裕福な家庭ではないのだろう。
紫苑は長くため息をつく。
「進学は、奨学金でなんとかする予定だが。それだって後々返済しないといけない、その分ぐらいは欲しいものだ。紡もそう、事情はどうあれ親戚のもとでやっかいになっている身。同じく奨学金の返済と、一人立ちのための
なるほど、と思いかけた。
思ったより切実な金だと。
それでも、かすみは言っていた。胸の底から押し出すように、温度のない言葉を。
「……その、お金のために。殺そうとしたんですか、賀来さんを」
忘れもしない。昨日の帰り道、鈴下からの襲撃を受け。かすみと賀来はそれぞれの怪仏、アーラヴァカと吉祥天の力に目覚めた――どうやら怪仏を生み出す『吉祥果』というものを与えられていたらしいが――。
そして、目的とする毘沙門天を得られなかった鈴下は。吉祥果を回収すると称し、賀来を殺そうとした。
かすみが毘沙門天の力に目覚めたのは、その直後。
東条紫苑は何も言わなかった。石像と化したように動きを止めていた。
そして、石像が動き出したかのようにゆっくりと、その場に座した。正座の姿勢。
一転して、素早く。頭を下げた――額を床に叩きつける音を立てて。
「……すまなかった。本当に、すみませんでした」
姿勢を変えずに続ける。
「君の言うとおりだ、返す言葉もない。……あるいは酔っていたのかもしれない、特別な力を得た全能感に。またあるいは、認めたくはないが……至寂さんが言ったような怪仏からの干渉、それを受けてしまっていたのかもしれない。申し訳、ありませんでした」
やがて、鈴下も無言で床に座し、同じように頭を下げた。
土下座している二人を見ながら、かすみは何も言えなかった。
分からなかった、それをどう受け止めればよいのか。分からなかった、謝罪するその言葉が真実なのか。
ただ、昨日鈴下が賀来を殺そうとした――その行動だけは、真実だ。
そして、だからこそ――これからどうしていいか、分からなかった。
かすみを横目で見た後、百見が代わるように声を上げた。
「……そのことは人道的に、許されることとは思えない。あなたや至寂さんのときのように人命がかかった局面でもない限り、決して取るべき行動ではなかった。そしてだからこそ、直ちにどうすべきともいえない……時間をかけて話し合うべき、重い問題だ」
自分で一つうなずき、続けて言った。
「だからこそ、その話はいったん置きましょう。ところで個人的な立場から言わせてもらうと、だが――『怪仏で七福神を揃えることで財徳が手に入る』などという話。少なくとも、僕の知識には無いな」
嘘だ、とかすみは思った。
七福神の話、『特定の組み合わせを揃えることで、怪仏はさらなる力を得る』という話題が出たときの、百見の表情。
昨晩百見から聞いた話、『怪仏の力にはまだ先がある』。そして『毘沙門天は、そのうちいくつかの鍵となり得る存在』。
七福神がそのことに当たるのかは分からないが、何らかの関係はあるのではないか。そう考えた方が自然だった。
紫苑は顔を上げ、頬を引きつらせた。目を見開き眉を上げた、間抜けな表情で。
「え……? いやいやいや……え? ないって、ないってそんなことないだろ! 言ってたし! 大暗黒天が!」
「怪仏の言うことがどこまで信用できるかはともかく。僕の方の知識には無い」
「え……えぇ……? おぅぁ……」
紫苑の視線が遠くを向き、その体が倒れ込みそうに揺らいだが。何とか手をついてこらえた。
何度か瞬いた後に言う。
「と、とにかくだ。その問題もそれなりに重いことだ、後でゆっくり、ゆーっくりと話し合おうじゃないか。今は何より、改めて――すみませんでした」
再び、今度は静かに土下座した。
そして、その姿勢のまま深く息をつく。
身を伏せたままわずかに顔を上げると、打って変わって快活な声を上げた。そこで全ての気分を切り替えたというように。
「ま、この話はここまでにしようじゃないか。さて――」
ぱん、と快い音を立てて、両のひざを叩いた。土下座していた頭を上げる。
「――と、いうわけさ。僕が怪仏を操る力を得た理由、それを人に
東条紫苑は、にこやかにそう言った。土下座した男の顔ではなかった。何の陰りもなく穏やかに、気づかう様子すら見せて、かすみたち一人一人の顔を見渡していた。
背筋を伸ばして正座したその男だけが、まるでその場に立つ全員を見下ろしているかのようだった。玉座から臣下らを見渡す王のように。
距離を取って立っていた
「総合して言わせてもらうが。ふざけた話だね」
片手でひじを支えたまま、もう片方の手の指で眼鏡を押し上げる。
「その話、仮に事実だったとして。そこに正当性があるとでも?」
座した紫苑の表情は変わらない。浴びせられた声を柔らかく受け止めるように、微笑んだまま穏やかな声で言った。
「いいや? 事実は事実、だが全てを正当というつもりはないんだよ。僕のわがままも多分にあるんだが――、だが、だよ?」
並びの良い、白い歯を見せて表情を崩す。小さないたずらがばれた子供のように。
「僕の言った経緯を事実と仮定して考えて欲しい。ついでに、七福神の話も事実として。それぐらいの役得は、ズルは許されるんじゃないかな? なにせ――」
そのとき。
「崇春さん……!」
「崇春!」
かすみと百見は声を上げた――黒幕の目の前、あまりに無警戒過ぎる――が。
崇春は
「なるほどのう。お
その目を真っ直ぐ見返し――どこか嬉しそうな色をその目元にたたえて――、穏やかな顔で紫苑はうなずく。
「ああ、なにせ。僕は守ってきたんだからね、経緯はどうあれ、正当性はどうあれ……この学校を。生徒の皆を。怪仏の脅威から――」
その言葉の途中。高い音と共に叩き割られた、生徒会室の窓が外から。
跳び込むように体を窓に浴びせ、無数のガラス片と共に室内へ下り立った者――ナイフを握った手を床について背を丸め、擦り切れた長いコートに身を包んだその男――が、ゆっくりと顔を上げる。
整ったその顔は――やつれたように頬がこけ、栄養が足りないかのように髪がざらついた以外は。そして目の下から鼻筋を通り、横一文字に太い傷痕が走る他は――、生徒会長、東条紫苑と同じだった。
ゆらり、と立ち上がるその男は。うつむいたまま、表情もなく。東条紫苑へナイフを向けた。
服のほこりを払って立ち上がり、身構えながら紫苑が言う。
「そう、守ってきた。まさに、奴から。そして奴の――」
ナイフを構えた、もの言わぬ男の背から。
ゆらり、と、もやが立つ。黒い光を帯びたそれが一つの形を取っていく。青い肌、武器を握った四本の腕。黒く豊かな髪と額に第三の目を
紫苑は言う。
「奴の怪仏。我が『
紫苑の背から、もやが立ち上がる。その身を包むような黒いもやが。
「奴だけは僕が止める。その責が僕にはある」
どっこらせ、とつぶやきながら、その傍らに崇春が立つ。
構えを取るその背から、金色のもやが立ち昇る。
驚いたように見てくる、紫苑の目を見返して言う。
「気に食わん。お
敵に顔を向けながら、目だけで崇春を見て。口元で笑って紫苑は言う。
「義によって助太刀いたす、と?」
敵を見据えたまま崇春は言う。
「いいや。たまたま同じ方を向いたまでよ」
微笑んで紫苑がうなずく。
「ありがとう。それより……来るぞ。奴が――大自在天の男、『シバヅキ』が」
崇春が自らの分厚い掌に、重く拳を打ちつける。
「応よ!」
身構える二人に向かい、今。ナイフを構えた、大自在天の男が跳びくる。
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