四ノ巻24話  向かう相手は大自在天


 打ち貫くような力を込めて。宙に跳んだシバヅキは、両手のナイフをそれぞれ放った。

「じャアッ!」


「なんの……【真・スシュンパンチ】!」

 澄んだ黄金色のもやをまとう崇春の拳。そこには同じ色の甲冑を着けた、鬼神の腕のヴィジョンが浮かぶ。


「【黒き黄金の大城壁ブラック・ゴージャス・ウォール】!」

 打出の小槌に似た大槌、それを床に叩きつけた紫苑。その先から、黒光りする黄金の延べ棒インゴットのような壁が現出する。


 それぞれに金の光をまとう二つの技は、易々と二本のナイフを跳ね返した。


 それを意に介した様子もなく。着地したシバヅキは両手で印を結んでいた。

 右手は拳に握り、親指と人差指だけを軽く伸ばす。そして親指で人差指の爪を押さえ、軽く曲げる。左手はそこに組み合わせはせず、親指、人差指、中指を合わせて伸ばした形。


「オン・イシャナエイ・ソワカ……!」

 ばん、と破裂したような音を立て。叩きつけるような突風が吹いた。シバヅキを中心に、部屋中に。


 実際叩きつけられた、身構え、シバヅキの方に向かおうとしていた平坂が、百見が、壁に。

 少し前まで土下座して、ようやく立ち上がりかけていた鈴下が、床に。

 かすみが、帝釈天が――恵比寿天だったか、いやどうでもいい――、辺りの机や椅子もろともに吹っ飛ばされる。


「よくも……!」

 無傷でそう言ったのは、黄金の壁を展開させていた紫苑。


「おお、ようもやってくれたわい!」

 真横にいて、同じ壁に入ることのできた崇春もまた無傷だった。


 紫苑は槌を構え、壁の横から身をさらけ出す。

「いつも整頓していた生徒会室を! よくも掃除しがいのある感じにしてくれたな!」


「いや、そういうことかのう……」

 とにかく拳を構えながら、壁の反対側から崇春も足を踏み出した。

「まあええ、行くぞ! 【真・スシュンパンチ】じゃああ!」

 再び繰り出す鬼神の拳。


 しかし、シバヅキはその前に手を掲げた。

「オン・イシャナエイ・ソワカ……!」


 ばん、と、巨大な布を叩きつけたかのような音を上げて。崇春の拳に風の塊が打ちつけられる。鬼神の拳は震えるばかりで、そこから先へは進めなかった。

「何じゃと……!」


 しかし、崇春がうめくうちにも。紫苑は反対側から進み出、槌を振るい落とす。

「【黒き黄金の大豊穣ブラック・ゴールド・ラッシュ】!」

 床から湧き出る小判の波が、一直線にシバヅキへと向かった。


 シバヅキはそちらに、反対側の手を掲げた。

「オン・マケイシバラヤ・ソワカ……!」

 光がつどった。その手の前に、青く、丸く。

 そう見えた一瞬後には、それは爆ぜた。迫り来る黄金の波、その全てを砕き弾き飛ばし。漂う黒いもやさえ蒸発させて。


 紫苑の顔が引きつる。

「何ぃ!?」


 その一瞬に、シバヅキの両手は再び印を組む。伊舎那天いしゃなてんの真言と共に再び風が吹き荒れ、紫苑と崇春を打ち倒す。


 立ち上がりかけていた百見らも、かすみをかばうように前に出た帝釈天も、同じく風圧に叩かれ、倒れた。


「帝釈天さん……!」

 かすみは帝釈天の陰で直撃を免れた。

が。その真正面に、ぐらり、と帝釈天の巨体が倒れてくる。

「え……」

 身をかわそうとするも、転がる椅子に足を取られ、転び。

完全に、その広い背の下敷きになった。

「た……て……ちょっ……!」


 息を詰まらせつつ顔だけどうにか出し、もがもがと動くかすみをよそに。身を起こした紫苑が顔を歪める。

「奴め……まさか、大自在天の破壊光を、ナイフなしで放てるなんて……! 射程こそごく短いようだが」


 崇春も同じく身を起こした。

「むう……おんしの血肉を取り込んだゆえ、強うなったっちゅうことか」


「ああ。しかし、あの破壊光を抜きにしても強化されているようだ……伊舎那天の風一つで、君のパワーを正面から止めるとはね。あの【南贍部洲なんせんぶしゅう護王拳】を」


 崇春は目を瞬かせる。

「むう? そういえば今朝も言うちょったか、そんな技の名。じゃが、わしの技は【真・スシュンパンチ】――」


「そうかい? いや、大暗黒天はその名を教えてくれたのでね。君が技を放つ光景を見て、【南贍部洲なんせんぶしゅう――」


 崇春が目を見開き、動きを止めた。

南贍部洲なんせんぶしゅう……なん贍部せんぶしゅう?」

 動きを止めたままつぶやく。瞬きもせず。

「我が宗派……『南贍部宗なんせんぶしゅう』、そうじゃ、その名は、そこから取られた……南贍部洲なんせんぶしゅう、つまり閻浮提えんぶだい、そこ、は……」


 紫苑は不審げに眉をひそめる。

「何の話を――」


 そのとき、部屋の中で風がそよいだ。

 シバヅキが二人の方へと、それぞれ手を向けていた。


 紫苑は顔をしかめる。

「言ってる場合じゃない、来るぞ!」

 槌を手に横へと跳ぶ。シバヅキの狙う位置から身をかわし、その隙に敵へと駆けた。


 崇春も、ようやく覚めたかのように目を見開く。

「いかん、わしも!」

 拳を握り、シバヅキに向かって駆けた。



 その先では紫苑がすでに槌を振り上げ、床に叩きつけていた。

「そぉらあっっ!」

 噴き上がった【黒き黄金の大噴射ブラック・ゴールド・ガイザー】、大判小判の間欠泉。甲高い金属音を上げるそれが、シバヅキを呑み込むかと見えたが。


 シバヅキが突き出す右手、その先から大気が揺らいだ。

 ばん、と破裂するような音を立て、放たれた大突風。それが小判のことごとくにひびを走らせ、黒いもやへと還した。

 そして、なおも勢い余る風は、その先の紫苑をも打つ。


「ぐ……!」

 押し退けられて靴底を床に擦りつつ、槌を杖にして。どうにか紫苑は倒れずにいた。


 シバヅキが左手を構えかけた、そこへ。

「全身全霊、全力全開! 一撃入魂の【真・スシュンパンチ】じゃあああ!」

 崇春が体ごと跳び込んだ。鬼神の腕が浮かび上がる右拳を振るいながら。


 だが、シバヅキがそちらへと突き出す左手。その先から光が漏れた。

 丸く集ったそれは、か、と閃き。鬼神の腕も、崇春の手がまとう輝きをも消し飛ばした。崇春の僧衣の袖も、わずかにくすぶり焦がしながら。


「むう……! じゃが、もう一撃! 【真・スシュン――」

 崇春の構える左の拳は、わずかに輝くもやを上げたが。すぐにそれはかき消えた。放てたのは、何の変哲もない左拳。

 とはいえ、それはともかく敵に向かった。両手を突き出したままのシバヅキの、がら空きの胴へ。


 その拳がつかまれる。

 シバヅキの両手は突き出されたままだった。だが、崇春の拳はつかまれた――シバヅキの肩、腕のつけ根から生えた新たな腕。黒いもやが寄り集って形作った、二本のそれに。

 その腕はやがて、はっきりとした形を取る。青い肌を持った、たくましい魔神の腕。


 紫苑が声を洩らす。

「一面四……大自在天シヴァの腕、か……!」


 そのうちに、シバヅキ本来の腕が伊舎那天の印を結び。吹きつける突風に、部屋の中の全てが打たれ、吹き飛ばされた。


「う……」

 紫苑は倒れていた。部屋の中の誰もと同じに。


 崇春は転がっていた、あお向けに大の字で。

 そのまま、視線を天井に向けたまま、つぶやく。

「全身全霊……ゆえに、二連続では放てぬ……【真・スシュン――】いや、【南贍部洲なんせんぶしゅう……護王拳】」


二つの拳を目の前に持ち上げる。

「二打あれば……全身全霊を、二つに分けて二打……違う」 


 嘗め回すように、だが感情のこもらぬ目でシバヅキは室内を見回す。

 そして、その手が再び伊舎那天の印を結ぼうとしていた。


 倒れた机の重なる下から、百見がどうにかはい出る。

「いかん……崇春!」


 崇春は未だつぶやいている。

「全身全霊、それを一打……その先を、もう一打。その、先……?」


 かすみも身をよじらせながら、なんとか帝釈天の背の下から転がり出た。

「崇春さん! 危ない!」


 そのときには、シバヅキの手は印を結び終え。その肩の上では、青い大自在天の腕が、それぞれの手に光を宿しつつあった。


 倒れていた紫苑が表情を変え、身を起こす。

「いけない……!」

 槌を構えようとするもよろめき、ひざをつく。


「崇春さん!」

 かすみが叫んだ、その横で。


「崇春! やめろ――」

 百見もまた叫んでいた。かすみの声をもかき消すような声で。

「やめろ! 崇春、思い出すな!!」


 え? 


 そう、かすみが思ったとき。


 崇春は身を起こしていた。右手に金色のもやを宿して。

「そうじゃ……まずこれが、全身全霊」


 シバヅキへと駆け、繰り出す。鬼神の拳が浮かぶ、【南贍部洲なんせんぶしゅう護王拳】。

 だがそれは、破壊の光を宿した大自在天の左腕、その掌に防ぎ止められ。光ともやとを火の粉のようにまき散らし、震えながら押し合っていた。


 大自在天の右手、同じく光を宿すそれが崇春へと向けられる。

 が、崇春もまた左拳を繰り出していた。何の光も宿さぬ拳を。


 かすみが叫びかけた、そのとき。


「その先……『増長天ぞうちょうてん』の力……!」

 つぶやく声と共に、右手と同じく。崇春の左拳が金色のもやをまとう。

 繰り出されたそれは大自在天の右掌と打ち合った。右拳と同じく、震えながら押し合う。


 だが、シバヅキ本来の両手は自由に印を結んでいる。その手の内の空間で、風が猛る音がした。


 積み重なる椅子を払いのけ、平坂が立ち上がる。

「くそ、間に合うか……」

 駆け出そうとするが、間に合うはずがない。シバヅキが自身の手を突き出しさえすればまず崇春が、ついで部屋中の者が再び打ち倒される、それは誰の目にも明白だった。


 だが。崇春の目は、どこか焦点の合わないその目は。腕で、肩で、足腰で、全身で、震えるほどに力を絞り出しているそのときにも、なおもどこか遠くを見ていた。

「さらに……その先。増長天の業、その力を……放つ」


「崇春! やめろ!」

 百見の叫びにも構おうとせず、唱えた。


「オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ――」


 そこで崇春は、ようやく前を見据え。歯を食いしばり。足を、踏み込んだ。

「ぬお……おおぉ……」

 吹き上がる、踏み締めた足から。張り詰めた脚の筋肉から。広い背から震える肩から、全身から金色のもやが。


「……!」

 シバヅキが表情を変え、暴風を宿した両手を突き出す。


 崇春は叫ぶ。

「ぉお……おおおぉっっ!!」


 燃える。両腕が、金色に。

いや、燃えるように見えた、そこから上がる黄金のもやが余りにも濃く、強く輝いて。そのもやはなおも吹き上がり、とめどなく湧き。


「【閻浮提えんぶだい! 覇王拳!】」


 崇春が全身を以て、さらに押し込んだ両の拳。そこから溢れ、ほとばしった。燃え上がるような澄んだ光が。


 奔流と化した光は大自在天の破壊光を打ち潰し、伊舎那天の風をも打ち払い。ご、と部屋中を揺らしながら。シバヅキを、もろともに呑み込んだ。


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