四ノ巻19話  歓談


「すまなかった」

 紫苑が立ち上がり、ひざより深く頭を下げた。鈴下に向かって。


 鈴下はしゃがみ込み、震えていた。その手は自らを抱くように、両のひじを強く握っていた。

 歯を食いしばり、うつむいたまま何度も首を横に振る。それからようやく口を開いた。

「いいんです……いいん、です」


 紫苑は崇春らに向き直る。

「申し訳なかったね。突然妙なものを見せて」

 手を一つ叩くと、笑顔で言った。

「さて! 暗い話はここまでだ、楽しくいこうじゃないか。まずはいくつか補足――」


「いけるかボケ」

 つぶやくように、しかし鋭く言ったのは平坂だった。

 油断なく、鈴下と紫苑に視線を走らせながら続ける。

「だいたい何度も言わせンな、てめェらは斬られる側だ。補足が要るなら百見、お前から聞け。谷﨑、お前もだ」


「え……」

 言われて、かすみは目を瞬かせた。

 ひざが震えている、ビデオ通話を起動させているスマートフォンを持つ手も――学校の敷地外にいる渦生らが見ている映像は、ひどく見えにくいものになっているだろう――。

 さっきの映像を見てから震えが止まらない、歯が音を立ててかち合っている。


 なぜあんなことが起こったのか、二人はなぜ無事なのか、男ともう一人、倒れていた人は誰なのか、その人たちはどうなったのか。疑問がいくつも浮かんでは消える。

 が、それはそうと震えが止まらない。指先から、スカートの下、外気に触れる脚から、体温が宙へと逃げていく感覚。涙さえ目の端ににじんでいた。

こんな自分に、この場で何が――


 平坂は変わらぬ表情で言う。

「頼むぜ。疑問や矛盾……妙なとこがあったら遠慮なくツッコんでやれ。いつもみたいにキレのあるやつをな」


 かすみの頬が引きつる。震えが止まった。

 軋むような口をどうにか開けた。

「……そんな、ツッコミばっかしてないですよ、私」


 数秒の後。

 盛大に吹き出したのは百見だった。

 平坂は真顔のまま震え、やがて口元を押さえ、肩を揺らす。

 崇春はひざを何度も叩き、苦しげに身を折り曲げて爆笑した。

「ふ……ははは! はあっはっはっはぁ! そ……りゃあ、そりゃあないじゃろう谷﨑! く……ふふふ」


 顔を隠すように眼鏡を押さえ、震えながら百見が言う。

「ど……どの口が、どの口が言うんだいそれ……!」


「はははッ……はは、お前ッ、お前全然……ちょ、や……あッははは!」

 平坂ももう、笑い声を隠してはいない。


 かすみは思わず声を上げた。

「いや、笑うとこですかここ!? なんでそんな笑われなきゃいけないんですかーーっ!!」


 さらに爆笑が起こり、紫苑と鈴下すら、口の端で微笑んでいた。


 ようやく笑いが収まった頃。

 スマートフォンから渦生の声が響く。

『あー……笑った笑った……』


 それでまた、全員に笑い声が起こる。


「何なんですかーーっっ!!」

 かすみが生徒会室に声を響かせ、それでようやく皆落ち着いた。


 崇春が満足げに息をつき、大きくうなずいた。

「谷﨑よ」

「……何ですか」


 腕を組み、しみじみとうなずきながら崇春は言う。

「今のはええ目立ちじゃったぞ。いやはや、あれだけの爽やかな目立ちができるとは……まったく、新たな好敵手の出現といったところよ」


「だから、目立っ……、か……!」

 反射的に言いかけて、無理に言葉を吞み込むかすみ。声が止まったまま、口だけが宙を噛む。


 その光景にまた、百見は吹き出したが。

 笑いを噛み殺して言った。

「さて、思わぬ一幕だったが。あの映像の内容、いくつか質問させていただこうか」


「ああ、どうぞ」

 紫苑は椅子にかけ直し、再び脚を組んだ。


 百見が何か言うより先に、崇春が口を開く。

「待てい。百見、先の光景じゃが。まこと、ありのままあったことか?」

「ああ。黒く塗り潰された箇所の他は、改変などはされていない……少なくとも、広目天の力に干渉された感触はない」

「そうか……」


 崇春は視線を落とし、ぼそりと言った。

「……つらかったの」


 紫苑が目を瞬かせていると、崇春は続けた。

「事情は分からん、まだ分からんことだらけじゃが……あれほどの目におうたんじゃ。しかも、それをまた目にするとは」

 紫苑と鈴下に視線を向け、また目を伏せる。

「つらかったの」


 紫苑は穏やかに息を吐く。

「……ずいぶんお人よしだな。大した善性の持ち主だよ」


「さて」

 さえぎるように百見が言う。

「そろそろ本題に入らせていただこう。東条紫苑、さっきの光景は何だ。どのようにして怪仏の力を得た? そして、あなたの目的は何だ」


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