四ノ巻5話  語る双路の怪仏談議


 温かい茶を配った後、渦生と至寂も畳の上に座る。

 渦生は不精鬚ぶしょうひげの目立つ頬を緩め、かすみに笑いかけた。

「いやしかし、あの場に出くわしたときはビビったもんだ。心配したが、体は大丈夫か?」


「はい、おかげさまで」

 答えて頭を下げた後で、妙なことに気づいた。


 あの戦いの中で目覚めた吉祥天きっしょうてんの力、【吉祥悔過きちじょうけか】。それは他人が受けたダメージのいくらかを、かすみ自身が肩代わりすることでいやす、そういう力だった。

 その力で斉藤の、賀来の受けた傷や打撃を何度も癒した。かすみの体にその傷や打撃を少しずつ受けながら――殴られた痛みを受け、反吐へどを吐き、裂かれた傷を受けて血を流して――。


 なのに今。体のどこにも痛みはない、吐き気も。痛みの走った箇所に触れても、全く。賀来が鈴下から受けた傷を癒して、その分を受けて裂き傷の走ったはずの、頬に触れても。

 体のどこにも傷はなかった。【吉祥悔過きちじょうけか】によるもの以外の、戦いの中で傷を受けた箇所までもがそうだった。その上の制服は確かに裂けているのに。


 そのことを尋ねようと――しかし誰に聞けばいいのか、渦生か、百見か――口を開きかけたとき。


 至寂が、正座したまま、ずい、と前へ出た。

「その前に、谷﨑殿。失礼ながら先ほどまでのお話、拙僧らも陰でうかがっておりましたが……一つだけ、伝えおかねばならないことがございます」


 危ういところをこの人物に助けてもらった、それは確かだが。それ以外のこと――怪仏の力を持ち、渦生、それに崇春や百見とも知り合いらしいこと以外――は、何も知らない。

 その人物が何を言おうというのか。


 至寂はかすみから目をそらし、視線を伏せ。ゆっくりと頭を下げて言った。

「申し訳ございません。恐縮ですが拙僧は、貴方のお気持ちに応えることばできかねます」


「……ん?」

 かすみが目を瞬かせるうちに顔を上げ、目を伏せたまま至寂は言う。

「先ほど好きな人を聞かれて答えかねた、そのお気持ちは分かります……そう、危機一髪を救った英雄的美僧侶たる拙僧に想いを寄せるその熱情……! 痛いほどに分かります」


「……へ?」

 かすみが思い切り眉根を寄せるのに気づいた様子もなく。

 震える手でひざをつかんで至寂は言う。

「ですが! 拙僧は不淫戒を守る身、女性にょしょうのお気持ちに応えることかないません……恐縮です」

「は、はあ……」


 至寂は両の拳で、ごち、と自分の両頬を叩く。頬が押し潰されて唇が突き出た、金魚みたいな顔のままでつぶやく。

「ああ、拙僧は自分が憎い……! この美貌がまた、女性にょしょうを迷わせてしまった……!」


 遠い目をして渦生が言った。

「気にしないでくれ。こういう奴なんだ」

「は、はあ……」


 拳を握り締めてうずくまる至寂を横目に、渦生は言う。

「俺が昔、坊主をやってたことは話したな? そんときの同門、いわば同期だったのがこいつだ」

 鼻で息をつき、続ける。

南贍部宗なんせんぶしゅう……怪仏の力を用い、世を乱す怪仏を退けることをもっぱらとする、密教系統の一宗派。俺はもう僧籍はねえが、今もそこに協力してる。こいつらも得度とくど――正式な僧侶となること――はしてねぇんで、立場としちゃあ同様だな」

 後半は、あごで崇春と百見を指して言った。


 かすみはつぶやく。

「あの……その宗派って、失礼ですけど。普通の人は、いないんですかね」

 渦生は歯を見せて苦く笑う。

「ま、そう見えるわな。いや、普通の寺なんだぞ葬式も法事もするしよ。まったく……こいつらが揃いも揃って変人なせいでよ」


 崇春たちを見渡して他人事のように言う渦生を、かすみは思わず、じっ、と見たが。

 気づいた様子もなく渦生は言う。

「ま、昔を懐かしんでる場合でもねえ。これからの話をしようじゃねえか。そのために」

 かすみに向き直って続ける。

「崇春らと別れてからの行動、黒幕の情報。改めて、詳しく話してもらおうか」





 それからかすみは語った、崇春らと離れて帰っていたとき、出会った人物のことを。


 斑野まだらの高校生徒会長、東条紫苑しおん。生徒会役員、鈴下つむぎ

 彼らと別れて帰る途中、鈴下が再び接触してきて。『怪仏・弁才天べんざいてん』の力を使い、かすみらを操ろうとした。

 どうやら『吉祥果きっしょうか』と呼ばれる何かを使い、かすみと賀来に怪仏をかせた上で、その怪仏を操ろうとしているらしかった。


 操られること自体は斉藤が『怪仏・勝軍地蔵』の力を使って阻止してくれた。が、『怪仏・アーラヴァカ』に憑かれた賀来が暴走し、かすみらや鈴下も含め全員をおびやかした。一方、鈴下は求めていた怪仏が現れなかったことに憤り、賀来をあやめようとした。

 どうやら彼女は黒幕の――おそらくは東条紫苑の――ために、『怪仏・毘沙門天』を求めているらしかった。


 そして、そのとき。かすみ自身も怪仏の力――『吉祥天きっしょうてん』、さらには『刀八毘沙門天とうばつびしゃもんてん』――に目覚めた。

 その力で鈴下や、さらに現れた怪仏らを打ち倒すも。暴走する毘沙門天は賀来やかすみらをも巻き込もうとしていた。

 そこへ現れた至寂しじゃく渦生うずきに助けられたところで、かすみは倒れたのだった。





 一通りメモを取り終えた後、百見は言った。

「なるほど……そんなことに、なっていたか」

 考えを整理するようにメモを見つめた後、口を開く。

「そうだ、僕らの方のいきさつも話しておこう。渦生さんたちには説明したが」



 百見らはかすみたちと離れて、校内を騒がせていた怪仏らしき者ら――ライトカノンと名乗るヒーロー風の者と、それに敵対する馬の首をした怪人物――を追っていた。

 何度も逃走された後に追い詰めるも、倒した馬男――品ノ川先生を本地ほんじとする『怪仏・馬頭観音ばとうかんのん』――は崇春らに敵対する存在ではなかった。

 彼は、黒幕の手下であるライトカノン――『怪仏・正観音しょうかんのん』――に対抗していた存在だったのだ。


 そして、馬頭観音が倒れたことで、観音菩薩かんのんぼさつとして同体たる四体の新たな怪仏――不空羂索ふくうけんじゃく観音、如意輪にょいりん観音、十一面観音、千手観音――が解き放たれた。

 ライトカノンはそれら怪仏の解放と、黒幕の行動のための時間稼ぎが目的であったことを明かし、怪仏らと共に姿を消した――。





 渦生がつぶやく。

「なるほど。つまりその生徒会長、東条紫苑。そいつが黒幕クロなんだろうが……確定じゃあねえな」


「え?」

 かすみは目を瞬かせたが、百見はうなずいた。

「ええ。谷﨑たにさきさんを直接襲った鈴下つむぎ、この者は確定としても。東条紫苑は直接手を下したのを確認したわけじゃあない、怪仏や鈴下紡からその名が出たわけでもない」


 渦生はうなずく。

「ま、限りなく黒に近いグレーだが」

 かすみの方に目を向けて続ける。

「忘れちゃいねえだろ、ガーライルと斉藤んとき。状況証拠で動いて痛い目見かけたからな、慎重になっとくに越したことはねえ。……とはいえ、そいつが黒幕クロなら逃げられてもマズい」


 立ち上がり、頭をかきながら言った。

「俺の方で調べられるかやってみる、そいつの住所だの。分かったらすぐに張り込む、そいつが逃げ出さねえように」

 至寂に顔を向けて言う。

「交代でやるぞ、そいつの動向がはっきりするまで。近くまで車を出す、悪ぃが休むときは車中泊になる」


 至寂は微笑み、立ち上がる。

「なんの、屋根があり壁があり床がある、それだけあれば幸甚こうじん幸甚こうじん。いつでもゆけます」


 部屋を出、事務室に向かう渦生らに百見が声をかける。

「お二人はそれで、何かあれば連絡を。こちらは差し当たって、谷﨑たにさきさんのガードにつきます」


 何も言わずかすみはうなずく。

 鈴下は確かに言っていた、毘沙門天を得ることによって『あの人の、私たちの望みが叶う』と。

 あの人というのが黒幕――おそらく東条紫苑――として、望みとは何なのか。百見の言った『怪仏の力の、その先』それに関係しているのではないか。もちろん、それもまだ確定ではないが。


 これだけは言える。目的はともかく、黒幕らの狙いは、毘沙門天。つまり、かすみの怪仏。


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