四ノ巻4話 摩訶羅、アオサギの一種、もしくは慕何(ばか)
それからかすみは語った。
昨日の肉パーティ、崇春の態度に怒った賀来がその場を去り、かすみも追っていった後。帝釈天に出会っていたこと。まさに探し求めていた、黒幕についての情報源に、偶然とはいえ。
そして――情報自体はほとんど引き出せなかったが――、罠をしかけたこと。賀来が帝釈天に悩みを相談することで、黒幕を――悩みがある者の相談に乗り、それを利用して怪仏を憑ける、斑野高校の男子を――おびき寄せる作戦を実行したこと。崇春たちには秘密で、勝手に二人で。
そしてそれがおそらく、昨日の件につながった。黒幕の仲間らしき鈴下が動き、かすみと賀来が怪仏の力を得てしまうこととなった。
頭を下げたまま――顔を上げるよう時々
賀来がかかわっていることは伏せようかとも思ったが、もう包み隠さず話すべきだと判断した。
「……。…………谷﨑さん。どうか、顔を上げてほしい」
長い沈黙の後、百見は穏やかにそう言った。
その声色は優しく、今まで百見の口から聞いたことがないほど優しく。それでかすみは、背筋を震わせた。油の切れた歯車のような動きで顔を、体を上げていく。
かすみの顔が正面を向く前に、百見の声が飛んだ。
「君は馬鹿かっっ!! いや、君らは馬鹿かっっ! いや馬鹿だ、馬鹿、
その声に叩かれたみたいに、思わず顔をそむけてしまう――いや、言われるのも当然だ――。
声量だけを低めてその勢いのまま、熱の込もった念仏のように早口で百見の声が続く。
「そう、そもそも馬鹿という言葉の語源は一説に
目を見開くと同時、突き刺すようにかすみを指差す。
「
最後の方の意味は分からなかったが――分かりたくもないが
「……すみませんでした」
「すまないで済んだら地獄なんか要るか!
百見は大の字に寝そべり、頭を抱えた。だだっ子のように足をばたつかせる。
「作戦自体はまあいい、まあいいとしても! 一言言ってくれればフォローできただろ! 言ってくれさえすれば――」
畳を鳴らす足が、ぴたりと止まった。両手で顔を覆い、押し潰されたような、
「……そうすれば。君たちを、危険な目に遭わせることなんてなかった」
かすみの全身の動きも止まっていた。心臓をわしづかみにされたみたいに――責める言葉にではなく、その気づかいと、おそらくかすみ以上の後悔に――。
もう、何も言えなかった。ただ、頭を下げていた。
長い時間が経って、崇春が言う
「……二人とも。もう、顔を上げたらどうじゃ」
寝そべったままの百見に顔を向ける。
「のう。すまんで済むか、とは言うが。済まぬものをすまんで済ます、それもまた仏教ではないか」
百見が顔を覆っていた手をずらし、崇春に目を向ける。
「諸行無常……全てのものは永遠ならず。常に移り変わり、あるいは絶え、あるいは生まれる。……目に映る物だけにあらず、人も、心も、状況も。その教えは仏法の根底も根底、わしでも覚えちょることよ」
崇春はそこで言葉を切り、また続けた。
「お
それからかすみに向き直り、言う。
「谷﨑もそうじゃ。こたびのことを胸に刻むのもよいが、それが地獄を造り出すようではならぬ。お
かすみが目を瞬かせていると、崇春は続けた。
「仏なぞこの世のどこにも無く、仏なぞこの世のどこにでも在り。
かすみは顔を上げたけれど。それでも、崇春の顔をまともに見ることはできなかった。その言葉を、そのまま受け入れることも。
「すみません……けど――」
崇春は腕組みをし、鼻から長く息を吹き出す。
「とはいえ。その作戦、谷﨑にしちゃあなかなか目立っちょるが。それにしてもこれはいかん、目立ちは目立ちでも悪目立ちぞ」
大真面目な顔で重くうなずき、続けた。
「確かに目立つことは第一というてもええが、決して悪であってはならん……そこを今回ははき違えちょったようじゃな」
「は、はあ……」
歯切れの悪いかすみの返事を気にした様子もなく、崇春は何度もうなずく。
「それこそが真の目立ち道……お
何度か目を瞬かせた後、つぶやくようにかすみは言った。
「や、……歩んでませんから、そんな道」
「……む?」
崇春が目を瞬かせ、かすみの目を見る。
かすみも目を瞬かせ、崇春の目を見ていた。
しばらく黙った後、二人同時に口を開く。
「しかしそれを抜きにすればなかなか目立って――」
「もう一回言いますけど別に目立とうとは――」
お互い、そのままの姿勢で固まった後。
崇春が首をかしげる。
「……むぅ?」
そしてまた、黙った。
そのとき。畳に転がったままの百見が震え出す。
「ふ……くく、ふふ……くくくはは――」
息を吹き出し、にやけながら身を起こす。
「バカらしい……いや実に、
かぶりを振り、眼鏡を外した。胸ポケットから出した布で拭き、かけ直す。
「まったく。こんなことをしている場合じゃあない、次の手を考えなければ。まったく――」
言うなり、百見は畳に手をついた。がば、と衣ずれの音を立て、かすみに向かって頭を下げる。
「すまない。事情はどうあれ、今回の件。敵の陽動に踊らされ、君への防護がおろそかになっていたのが事実。その責は、指揮をした僕にある」
「いえ、そんな……」
押さえるように手を出しかけたかすみに対し。
顔を上げ、百見は笑ってみせる。
「つまり。おあいこってことさ。傷を突っつき合うのはもうやめよう、百害あって一利なし……賢い者のすることじゃあない。僕や君のような、ね」
眼鏡を押し上げ、かすみの目を見据える。逃す気も、逃れる気も無いかのように。
「考えよう。次の手を」
かすみは唾を飲み込んでうなずく。
「……はい!」
崇春は腕組みをし、満足げに何度もうなずいた。
「うむ、うむっ! 頑張るがええ、二人とも!」
かすみの頬が引きつった。
「いや、
百見はしかし、表情を変えずにうなずいた。
「いや、確かに崇春の意見なら無い方がマシだ。それを彼は分かっている……自分がバカだと。つまり古代ギリシャ哲学においてソクラテスが言うところの『無知の知』――」
崇春の目を見てうなずく。
「さすがは崇春、僕の見込んだ男だ。実に賢いバカだね」
崇春は背を反らせ、顔を上げて高らかに笑う。
「がっはっは! そうじゃろうそうじゃろう!」
「いや、割とバカにされてますからーー!」
かすみがそう叫んだとき。
不意に、部屋の引き戸が音を立てて開けられた。
「よお、気がついたみたいだが。青春してんなーお前ら」
警官の制服の上からジャージを羽織った、
「どうやらお元気の様子……
頭巾を柔らかくかぶった、山伏姿の
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