四ノ巻2話 夢の後先 ~なんでその先がクイズ大会?~
互いに額を押さえてうずくまるうち、痛みが額に響くうち。ようやくかすみにも理解できた。どうやらここは渦生の駐在所――以前に、倒れた百見が寝かされていた部屋――で。
さっきの光景は、崇春たちを殺めてしまったのは、夢。ただの悪夢。
だったらそう、怪仏の力を得たこと、鈴下らと戦ったことも夢なのでは。
そう期待したが、かすみの手は触れていた。その戦いで裂かれた、制服の破れ目に。
戦いはそう、確かにあった。
そのことを胸のどこに落とし込めばいいのか。あるいは目の前の崇春にどう言えばいいのか――謝ればいいのか、泣いていいのか、どこから話したらいいのか――その答えが定まらぬうちに。
傍らに座っていた百見が、片膝を立てて身を乗り出す。
「おのれ、よくも崇春を……! これが貴様のやり方か、怪仏・毘沙門天!」
頭に巻いた濃緑の布の下、額を押さえていた崇春が目を剥く。
「何いいい! つまり
「え」
かすみが目を瞬かせるうちにも。百見は重く視線を落とし、痛ましげに顔を歪める。
が。
「ああ……いや、待て!」
言って何かに気づいたように目を見開き、片手を耳に添えた。何かに耳をそばだてるかのように。
確信したようにうなずき、崇春の目を見る。
「聞こえた……彼女の本当の声が。『私に構わず奴を倒して』『私が奴を押さえ込んでいるうちに』と」
「え?」
思わず漏らした、かすみの本当の声には耳を貸さず。
「何いいぃぃ!? そりゃあ
崇春は百見の目を見る。無言でうなずく百見に、崇春もまたうなずき返し。目を閉じ、そっ、と片手を耳に添えた。
しばらくそのままでいて、やがて、かっ、と目を見開く。
「聞こえた……! 『私に構わず目立って下さい』『そしていつか、天下一の目立ち
「いや、言ってませんからーーーっっ!! どっから湧いたんですかその言葉! だいたい私、乗っ取られてなんか――」
思わず叫んだかすみの顔を、銀縁眼鏡を押し上げた百見がのぞき込む。
「疑わしいものだね。ではそうだ、谷﨑さん自身か確かめるために。クイズといこうか――第一問」
何か急に始まったが、かすみが異論を挟む間もなく出題される。
「崇春の好きな食べ物は」
「ポテトサラダですけど……」
「第二問。カラベラ嬢こと
「え、カラベラ・ドゥ・イルシオン・フォン・デビ……いや、ディアブロ……? プリンセスなんとか……って覚えてませんよそんなの!」
百見は深くうなずく。
「だろうね。僕もだ」
じゃあ何で出題したんだ。
そう言ってやりたかったが、百見は矢継ぎばやに次の問題を出す。
「第三問。谷﨑かすみの好きな人は?」
「そ……な――」
魚のように口を開け閉めした後、叫んだ。
「何ですかその質問―ーーっっ!!」
耳に片手を添え、かすみの方へ向けていた百見だったが、やがて何度もうなずいた。
「その真っ直ぐで力強くも、どこか
かすみの肩を、ぽん、と優しく叩いた。笑う。
「お帰り。谷﨑さん」
「そこ!? 判定そこなんですか!?」
気にした様子もなく、百見は真顔に戻る。
「そんなことより大丈夫かい、いったい何が――」
「取ってつけたような心配! そうじゃなくてですね、だいたい――」
そのとき、かすみの背が軽くはたかれた。包み込むように。厚く、熱い手で。
崇春が、かすみの隣にいた。
「谷﨑。無事で良かったわ」
かすみの前に体を移し、深く頭を下げる。
「しかし、すまぬ。わしらが早く谷﨑らの方に行けておれば……」
さらに深く頭を下げる。額が畳につくほどに。
「今さら何を言うても言い訳にしかならんが。危険な目に遭わせてしもうた……すまなんだ」
うつむくかすみの頭の中に、先ほど見た夢の内容がよぎる。そして戦っていたとき、
――それほどの業、抱えて歩むには重かろう。
「――じゃが」
崇春の声に、思わず身を震わせたが。
顔を上げ、崇春は言った。
「
崇春は力強くうなずき。微笑んだ。
「ようやってくれた。まこと、見事に――」
そこで言葉を切り、畳を踏む音を立てて片膝を立てる。拳を握って言った。
「見事に! 目立ったものよ!!」
「そういう問題じゃありませんからーーっ!!」
思わず声を上げた、かすみの背を崇春が叩く。
「がっはっは!
苦笑いしかけたかすみの脳裏に、あの戦いの光景がよぎる――怪仏たちを斬り裂く毘沙門天、怯え果てた鈴下の顔。かすみの意思から外れて鈴下へ刀を向けた毘沙門天、賀来やかすみ自身さえ巻き込んで――。
かすみの、笑みが消える。
「だから……そういう問題じゃあ――」
さえぎるように百見が言った。
「ああ、そういう問題じゃあない。だからこそ、失礼だが――」
かすみに向き直り、姿勢を正して正座し。浅く頭を下げた。
「先に謝っておく――いや、後になったけれど、かな――。とにかく、すまなかった」
「何です、急に」
百見は背筋を伸ばし、真っ直ぐにかすみの目を見た。
「君の怪仏、吉祥天と毘沙門天。あれの封印をやらせてもらった」
「ああ、そうなんで――えええええぇぇっ!?」
思わず身を乗り出す。
「いや、え? 全然聞いてないんですけ、ど……いや、えええ?」
百見は小首をかしげる。
「そりゃあもちろん、言ってはいないからだが」
崇春もうなずく。
「なにせ、谷﨑は寝ちょったからのう」
かすみは叫んだ。
「そういう問題じゃないでしょーーーっっ!? いきなり勝手に、私の意思は――」
そこまで言って気づいた。
かすみの意思も、あるいは賛成なのではないか。吉祥天はともかくとしても、
そういえばそうだ、考えてみれば。平坂円次が
そしてそれより以前、斉藤の怪仏事件が終息したとき。百見は言っていた。『四天王の残り二尊を探している』と。すなわち持国天と毘沙門天を。
この可能性は、以前にも考えたことだが。改めて考えると、やはり百見は――
「つまり、百見さんは。封印するために、探していたんですか。持国天と毘沙門天を」
百見は小さく目を見開き、それから微笑んだ。
「さすが、察しが良くて助かるね。そのとおりだ」
「でも、どうして――」
眉をひそめたかすみの視線を受け止めるように、百見は小さくうなずく。
「疑念を抱くのは当然だ、平坂さんにも同じことを聞かれたよ。なぜ持国天を攻撃し、封じようとしたのかと。まずそちらから話そうか」
眼鏡を押し上げて続ける。
「……正直、持国天自体に問題はない。だが、二つの理由から封じておきたかった、可能な限り素早く、ね。その理由はまず『怪仏の力を持つ者を増やしたくなかった、この戦いに巻き込みたくなかった』こと。そして『放置すれば、毘沙門天が現れてしまう』から」
息をついて言った。
「怪仏は怪仏に引かれる……業と因縁の塊たる存在がゆえに。そのため、すでに別の怪仏が存在する場合、その近くで新たに怪仏が現れるなら。先に存在するものと、伝承上で関連のあるものが出現しやすい。四天王のうち三尊が揃えば、それに引かれて毘沙門天が現れることは容易に予測できる――現に、君が
つまり。そこまでしても、毘沙門天は封じておく必要があったということか。
確かにあれほどの力、制御し切れるとは思えなかった。それに悪用でもされれば――黒幕はその力を
だが、百見はさらに言った。
「そして、これも平坂さんには少しだけ話したが。『怪仏の力には、まだ先がある』。そして『毘沙門天は、そのうちいくつかの鍵となり得る存在』。……だから、多少強引にでも封じておきたかった。万が一、悪用されることのないように」
表情を崩して続ける。
「ああもちろん、君が悪用するとは思っていないが。万が一、万々が一、他の者に――今回の黒幕だとか――気づかれてもいけないしね。無論、黒幕がそれを把握している可能性については何ともいえないが、用心に越したことはない」
それを聞いたとき、かすみの心臓が嫌な感じに跳ねた。
知っているのではないか? 黒幕はそれを。『毘沙門天が、怪仏のさらなる力の鍵となり得る』という、そのことを。
そう考えれば、鈴下が執拗に毘沙門天の出現を望んでいたことにも納得がいく。
単に強力な怪仏が必要なら、賀来の『アーラヴァカ』も充分に強かったはずだ。なのに鈴下は賀来を殺そうとし、かすみを生かそうとした。
鈴下いわく、賀来を殺すことで『
そこまで考えて、背筋が急に冷えていく。
とんでもないことをしたのではないか、かすみと賀来は。
崇春や百見に黙って黒幕に罠をかけ――実際、黒幕と思われる者をあぶり出しはした――たものの。逆に黒幕の思惑どおり、怪仏を
あるいは黒幕の意図のとおり。『怪仏の、さらなる力の鍵』を、現出させてしまったのではないか。
その事の重さに――怪仏の力のその先、それがどのようなものかは分からないが――、自然、頭がうなだれていく。
だが、ふと気づいた。
解決したのではないか、とりあえずそれは。百見が封印してくれたというのなら。
そう考えればその強引な行動にも、逆に礼を言いたいぐらいだった。
息をついて、百見に向かって頭を下げる。
「……なんていうか。すみません、本当に。良かったです、封印してくれていて」
百見は首を横に振る。
「いや、礼を言う必要はないんだ」
かすみは改めて頭を下げる。
「本当にすみません、本当に。皆さんの役に立てればと思ったんですが……逆に、ひどい迷惑を」
「いや本当に、謝る必要は
百見はまだ首を横に振っている。崇春も隣でそうしている。
そして、百見は言った。
「よく聞いてほしい、謝る必要はない。君の怪仏、封印はやってみたんだが。――できなかった」
「え。……どぇえええええ!?」
かすみ一人が叫ぶ中。百見と崇春は静かにうなずいていた。
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