三ノ巻27話 割れる
かすみはまた思い出していた。昨日の、平坂との話の続きを。
――かすみと賀来の批難めいた視線に気づいたかどうか。表情を変えず平坂は続けた。
「とはいえ、よ。そのやべェ技で『一本』決めてよ。誰も殺しちゃいねェだろ」
そうだ、とかすみは思った。剣道のような防具や、竹刀のような打撃を弱めた用具があるわけでもない。生身で戦いながら、誰も殺しなどしていない。
平坂は笑う。
「頭や首から落とすことなく、叩きつけることなくむしろ引っ張り上げ。殺せる『一本』を殺さずに決める。だからすげェってンだよ、あいつは……っつーか、武道は」
斉藤は顔を伏せたまま、何も言わなかった。作業の手を止めはしなかった。
賀来が口を開く。
「そうか。斉藤くん、そなたは――」
安心したように笑った。
「――本当に、強いのだな」
斉藤の手が止まる。
「……買いかぶり……ス」
うつむいたままだったせいで表情はうかがい知れなかったが。その耳が、赤らんでいるように見えた。――
そして、今。
宙へ大きく投げ出された、賀来の体は。
そのままの軌道で――いや、むしろ大きく――ふわり、と孤を描き。まるでフィギュアスケートのペア演技か、社交ダンスでエスコートされるように。斉藤の手に導かれ、すとり、と着地した。両足から、何の怪我もなく。
優雅さすら持って、いや。斉藤の手によって、優雅に。
「な……」
賀来は、アーラヴァカは口を開けていた。
かすみの口から声が漏れた。
「斉藤、さん……!」
分からなかった。批難しようとしたのか、称えようとしたのかも分からなかった。ただ、声が出た。そうせずにはいられなかった。
涙が出た。
歯を噛み締めて目をつむり、涙をこぼしながら声を上げる。
「斉藤さん、斉藤さん! ……賀来さん!」
斉藤は何も言わなかった。ただ賀来の――怪仏の――手を握り、そこにいた。
賀来はその手を握り返し。
そして、反対側三本の手で。斉藤を殴った、武器を握り締めたまま。
「……!」
石の仮面が外れて生身となっていた斉藤の顔面が、鼻から出た血にたちまち染まる。
賀来は人形のようだった顔をひどく引きつらせ、震える牙を
「
全身を震わせ、手にした武器が擦れて鳴る。
「許せぬ……許さぬ! そうも我を見下そうとてか!」
言葉と同時に。再びその多腕が携えた武器が――いや、感情のままに振るわれる拳が――繰り出された。
斉藤の腹を胸を顔を、めったやたらに打つその打撃は。先ほどまでのような技巧は感じられなかった。それでも斉藤の鎧に石の肌にひびを走らせ、顔面を変形させるには充分だった。
斉藤は打たれながらも、震える手を掲げた。
「勝軍、地蔵……、力、を……」
つぶやく。
「【地蔵道、
その声と同時に。辺りの地面から針の山が生え出る。立ち木のように太いものから、縫い針のように細いものまで。林のように辺りを埋め尽くす。
地面に次々と伸びゆくそれは波のように、賀来の方へ向かう。
が。その波は賀来の体を大回りに避け、その周りを囲んだのみだった。
またも賀来の顔が歪む。
「
針山の隙間からかすみには見えた、斉藤の様子が。
その体にはもはや、石の肌も鎧も支える力はないようだった。ただ、力ない自らの背を腕を、針の群れに突き上げさせて。そこに寄りかかるように、斉藤は立っていた。
顔から血を垂らした斉藤が言う。
「あ……の……。賀来、さん」
血の混じる唾を吐き出してから続けた。
「オレは……いいん、で……ただ……怪、仏、に……」
それが精一杯だったかのように、うなだれて。ただ、荒い呼吸を繰り返した。
賀来は表情を変えず――歯を噛み締め牙を剥き出したまま――、腕を振るう。草むらを払うように、辺りに伸びる針を折り取り、斉藤へと歩を進めた。
その目の前に。かすみは跳び込んでいた。
腹の底から
「だめですっっ!!」
針の山を乗り越えてきた、制服の袖は破れた。スカートの端は裂けて
賀来の目を見据え、ただ声を上げた。
「だめです、賀来さん! だめです、許しませんっ!」
賀来は歩みを止めた――かすみと、鼻と鼻とがぶつかるような距離で。
食い破るように牙を剥いて言う。貫くような目をして。
「どけ」
「どきませんっ! あなたがどきなさい!」
貫き返すように賀来の目を見る。怪仏の金色の目ではなく、その奥を。
「賀来さん、だめです! 怪仏の一部があなたの一部なのなら……こんなこと許しちゃだめでしょ! 起きて賀来さん!」
かすみは目を見開いていた。そのまま、涙が流れる。
「賀来さん! 聞いて、止めるんです、
斉藤の声が後ろから聞こえた。やっとつぶやくような、かすかな声。
「だめ……ス……逃げ……」
「逃げませんよ!」
かすみはなおも言い放つ。
「賀来さんだって! 斉藤さんをこんなに傷つけた、怪仏を許せたりしないでしょ! 私だって、だから――」
そうだ、許せはしない。
胸の内に火が灯るように、そう思った。
許せはしない。許せない。怪仏が、いや――
体の内に火が広がるように、思考が熱を持っていった。
許せない。私が――私を。
歯を食いしばる。開いたままの目からなおも、涙が溢れる。
なぜ私はこんなことしかできないんだ。あれほどされた斉藤さんを、助けることもできず。かばおうとしていてさえ、むしろ気づかわれて、あれほど傷ついた体で。
そうだなぜこんなことしかできない、なんで。
いつもそうだ、いつもそうだった。崇春さんたちが戦うのを、心配することしかしていない。敵に狙われて、足を引っ張ることしかしていない。
そうだもしも、もしも私に、力があったなら。全部終わらせてやる。こんな風に誰かが傷つくことも、黒幕の企みも。そうしたら。皆、普通に、平和に、楽しくしていられる。
だから。終わらせる力が欲しい――いや、力が要る、今。どんな業にまみれてでも。
「怪仏の……力、が」
体中の全てが火の温度に染まる、そのただ中で。胸の内、心臓の外で、何かが重なり脈を打つ。
それは早まる。鼓動が響く、胸に、頭の中にすら。それはさらに早まり、なおも早まり――そして。
割れた。かすみの中にあった、殻のような何かが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます