三ノ巻26話 スポーツなんかじゃない
「え……?」
その鼓動に、かすみは両手で胸を押さえた。さらに何度か同じ響きが、重なるように胸を叩く。
痛いほどに鳴るそれに、思わず身を折り曲げる。やがて、その響きは去っていった。
そうするうちにも賀来は声を上げる。
「ゆくぞ、来ぬなら――【
打ち落とされる槍――投げ縄を持った手もその柄を握り、二本の腕で把持している――が斉藤の頭部を襲い、大兜の
続けて別の二本腕が、それぞれ握った剣を左右から斜めに振るう。鋭い音を立てて
攻撃はそれで終わりではなかった、流れるような動きで身を翻し、槍を反転。その穂先ではない、
「……!」
斉藤はどうにか腕を交差させて防ぐも。両の小手を形作る鉄板のいくつかが、衝撃に弾き飛ばされていた。
賀来は――怪仏、アーラヴァカは――構えを取りつついったん身を引く。牙を見せて笑った。
「どうした、
斉藤は無言で、六本腕が持つ武器を指差す。
打ち込んできた剣はそれぞれ刃を欠き、切先を失っていた。振り打った槍の石突にもひびが走っていた。
構えを取り直して斉藤は言う。
「……それが、砕けるまで……こうしてるつもり、ス」
賀来が歯を剥き、唇を吊り上げる。
「ふん……面白い。ならばどちらが先に砕け散るか、一つ荒試しといこうぞ!」
待って――かすみはそう声を上げるつもりだった。それこそ腹の底から。
だが、そのために息を吸い込んだ、そのとき。
「待って、ほしい、ス。……賀来さん」
斉藤がそう言っていた。賀来の目を――金色に光る目の、そのさらに奥を――見据えて。
「賀来、さん。今の、あなたは……操られてる、怪仏、に。それは、分かるス……けど……」
間を開けて続けた。
「オレも……分かる、ス。なったこと、あるんで。怪仏が、
構えを解いた。
「その、怪仏も……一部だけは、あなたの、一部……ス。いったい、どんな業――」
「黙れ」
それだけ言って賀来は跳んだ。自分の背丈、斉藤の背丈すら越えて高く。
風車の如く身をひねりつつ、浴びせかける。斉藤の頭上に、六本腕の――六打では止まらない、さらに回転を加えた追撃を――。
「【
斉藤は両手を上げて防御の姿勢を取ったが。続けざまに浴びせかけられる攻撃に押し切られ、小手が砕け腕が崩れ。兜に大きく、ひびを走らせ。よろめきながら身を引いた。
「が……あ……!」
着地と同時、賀来は弓を引き絞るかのように身を低め、右足と右手――三本の腕全て――を後ろへ引く。左足を踏み出し、その後ろへ右足を引きつけ、地表を砕きながら踏み込む。
同時、三本の腕が突き出された。体重を踏み足の勢いを全て乗せ、炎のように黒いもやをまとう一撃が。
「もらった――【
三本の腕による中段突き。それは言葉にすれば、ただのその一撃だった。
そう、一撃。三本の腕が別々に攻撃しながら、しかし一撃。
――
直後、同じ軌道に剣が突き込まれる。それは鎧をさらに
そして三本目の腕、それが握った短剣は。地蔵の体へ突き込まれることはなかった。
その刃は振るわれず。短剣を握ったまま、その手は親指を上にした拳として。打ち込まれた、地蔵の腹に。ごうん、と鈍く音を立てて。
石で出来た
そして。斉藤の口が開いた、いや開けられた。まるで内側から破裂させられたように。
「ぶ……ぁ……!」
同じく、目玉を内側から突かれでもしているように目を見開いて。地を揺らすような音と共に、崩れ落ちるように。斉藤は地に膝をついていた。打たれた腹ばかりか胸をも押さえ、苦しげに――まるで土下座でもするような格好で――身を折り曲げていた。
斉藤の目の前、体ごと打ち込むような突きを浴びせたままの位置で。牙を見せて賀来が笑う。
「石と鎧、二重の防壁はちと厄介であったが。片方さえ破れば後は
なぶるようになおも笑って、六本腕の一つで斉藤を指差す。
「
別の腕を動かし、自らの片耳に添え。憐れむように眉尻を下げ、ねっとりと笑ってみせる。
「さ、聞かせよ。
「ぅ……ぼぇあ……っ」
斉藤は身を折り曲げたままその場に
そのまま。
そして片膝を上げ、賀来の足の間に足を継ぐ。そして。
その分厚い手は捉えていた。賀来の、怪仏の腕の一つを。
かすみは思い出していた、以前――といってもつい昨晩か、肉パーティーの準備をしていたとき――、平坂から聞いたことを。
――野菜を切り分けながらかすみは言った。横で同じく下ごしらえをする、平坂に。
「そういえば、昨日。凄かったですね、平坂さんの技。剣道というか……居合? ですか?」
「ん? あ~……」
照れたように目をそらし、口ごもった後。近くで炭の準備をしていた斉藤をあごで示す。
「すげェっつったらオレだけじゃねェ、そいつもよ」
目をそらしたまま早口になって続ける。
「武道の『一本』は命を取れる技が決まったこと……剣道だけじゃねェ、柔道だってそうだ。特にそいつの一本は、間違いなく命を取れる。それだけの
斉藤は何も言わず、目を伏せていた。
平坂は言う。
「元々そうだ、柔道のルーツは柔術、鎧武者同士の組み討ち……取っ組み合って引きずり倒し投げ倒し、押さえ込んでは小刀で首をかっ切る……戦場往来、活殺自在。剣術と同じく、純然たる殺人技だ。スポーツなんかじゃねェ」
殺人技。そう聞くとどうも、血生臭く。かすみと、向かいにいた賀来の、野菜を切る手が止まる。
斉藤は目を伏せたまま、炭をバーベキューコンロに移していた。
平坂はなおも言う。
「畳の上なんかじゃなく、地面に投げてやりゃあ。さらには頭からか首から落として、ついでに自分の
そして、今。
斉藤は賀来に背を向け――その背を賀来の体につけ、自らの腰に乗せるように――、賀来の腕を肩にかつぐ。その腕をもう片方の手でつかんだ、その姿勢は。まさに柔道の代名詞である、投げ技の体勢。
斉藤と賀来、本来なら身長差があり過ぎ、背負い投げをかけるのは逆に困難だったと思われたが。斉藤が片膝をついた今の状況なら、むしろ。絶好とさえいえた。
「な……!」
賀来の、怪仏の顔がこわばるが、時すでに遅く。
斉藤は、怪仏の腕をつかんだまま、腰で相手の体を跳ね上げ。宙に大きく孤を描き。投げていた。
――【一本背負い】。
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