三ノ巻21話(後編)


 打ちつけるように袖を振るう。同時、水が吹き上がった。先ほどからの水壁のように、飛沫しぶきを上げて噴出される、全てを弾き飛ばすような水流。それが斉藤と鈴下を隔てる城壁のように、横に長く。

 それは斉藤の腹ほどまでの高さしかなかったが。試しにそれを越える高さを狙い、竹を突いてみるも。これまでの水壁と同様、瞬時に水が吹き上がり、跳ね飛ばされた。

 さらには。その壁がじりじりと、斉藤へと迫ってきていた。


「【婀娜あだめく水神の裳裾もすそ】……さてですねこの技の怖ろしい点はまさに攻防一体、先ほどまで見せた【俊英なる才智の城壁】の防護性能はそのままいや攻撃性すら持ってそれ以上に、それが相手に向かっていくというところ……つまりは私に対する攻撃は決して通さぬまま、その『全てを通さぬ水圧』を以て相手を攻撃するという点ですね素晴らしい、いやー私も食らいたくないですねこの技は」

 そこまで言って、鈴下は口の端を吊り上げて笑う。

「さてさて。今度はどのような解を見せてくれるかな……そんなものが存在するのなら、だが」


「……!」

 斉藤は後ろに下がると、足下から拳ほどの石を拾った。それを投げる。ただし野球の投球ではなく、砲丸投げのような角度で、半ば空へと向かうように。

 迫る水壁の高さを遥かに越えたそれには水壁も反応することなく、鈴下へと向かっていった。


 が、鈴下の周囲、足下から円を描くように。鈴下に向け、傾いた角度で水が吹き上がる。ドーム上に彼女を覆う、その水流に石は弾かれた。


 水流が消えた後、かぶりを振って髪に散った水滴を払い、鈴下は言う。

「【迎え撃つじゃの目の水傘すいさん】……うんうん、上からかぁ、悪くない、悪くない着眼点だが当然対策はしているんですねぇこれが」


 言う間にも、水壁は斉藤にじりじりと迫る。

 斉藤は左右に広がるそれに目を配りながら後ずさる。


 鈴下が声をかけた。

「ああ、逃げ回って私の消耗を待つ、というのも一つの手だ、それも賢い。この範囲この出力を長時間維持するのは確かに難しい……が。その場合巻き込むことになるだろうね、その辺に転がってる女の子二人を」


「……!」

 斉藤の足が止まる。


 伸びた髪をかき回しながら鈴下は言う。

「だからぁ、そうならないように。適当なところで食らっておいてもらうのがお互いいいんじゃないかなぁ……もちろん命まで取る気はないよ、しばらく倒れておいてもらうだけでいい」


 さらに水壁が迫る中、斉藤はつぶやく。

「あの二人……どうする、気、スか」


 鈴下は肩をすくめてみせる。

「別にどうも。さらったりする気もない、少しおとなしくしてほしいだけさ。それより――」

 姿勢を低め、眼鏡を持ち上げてのぞき込むように斉藤を見る。

「君の方は特に回答もないようだ。そろそろ食らっておいてくれたまえ」


 一つ指を弾くと、じりじりと動いていた水壁が突如動きを速め。斉藤を円形に取り囲んだ。そして、押し潰すべく全方位から迫る。


 鈴下は言う。

「いやあなかなか楽しかったよ、君は意外と賢かった。だが――」


「やっぱり。賢いっスね……百見くんは」

 うなだれるような姿勢で胸に手を当て、斉藤はそう言った。


「……は?」

 眉根を寄せる鈴下に構わず、斉藤は続ける。

「きっと、こうなったときの、学校にいた以外の怪仏が出たときの、ために。預けといて、くれた、スから」


 胸ポケットに手をやり、取り出したのは御守り。別れ際に百見が手渡してきたそれが今。

 斉藤の手の上で、黒い炎のようなもやを揺らめかせていた。


「そして、これが。教えてくれた、ス、あなたのうた声、聞き覚えある、って。ここからどうすればいいか、それも。これが……いや、彼が。オレだった、彼が」


 御守り袋の中身――黒くもやを立ち昇らせる、折り畳まれた紙――を取り出し、広げる。そこにあったのは。

 墨で描かれた閻摩えんま天、ただし地蔵菩薩のように柔和な顔。そこに冷や汗を垂らした姿。

 かつて百見が斉藤からすくい上げて封じた、『怪仏・閻摩えんま天』。


 その紙を胸ポケットに押し込み、斉藤は両手を胸の前に上げた。

 太い指が不器用に組み合わせられる――手を合わせた、いわゆる合掌の形。だがその指のうち、伸ばされているのは親指、中指、薬指のみ。人差指と小指はそれぞれ向かい合わせに内へ曲げられ、爪を合わせるような形――。

「オン・ヤマラジャ・ウグラビリャ・アガッシャ・ソワカ。帰命頂礼きみょうちょうらい閻摩天えんまてん。そして――」


 その両手がさらに、別の形に組み合わせられる。

 両手の指を組んだ、ただし指を甲の上ではなく、互いの掌の内に押し込む形。そこから両の中指を立てた。

「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ――帰命頂礼きみょうちょうらい、地蔵菩薩」


 胸ポケットの紙から黒いもやが、燃え上がるように広がり斉藤を包む。

 それがかき消えたとき、そこには。斉藤と同じ背丈の、石の地蔵の姿があった。


「怪仏・閻摩えんま天……なるほど、それと同体たる地蔵菩薩の力を得たということか」

 鈴下は大きく息を吹き出してから言う。

「なるほど、確かに驚いたよ。大胆なことをするものだ、一度怪仏を取り上げた者にそれを返すとはね。だが――」

 眼鏡を持ち上げ、身を折り曲げつつ斉藤の――地蔵の――顔をのぞき込む。

「君が操っていた――あるいは操られていた――閻摩えんま天の力、あるいはそれが化けていた地蔵の力。こちらは把握済みだ、それで果たして――」


「ウス。先が、ある……ス」

「……何?」


 地蔵の顔の下から斉藤は言う。

「この力には先がある……そう、教えてくれてる、ス……怪仏、が」

 その指が――石に覆われた指が、その表面を細かく割り散らしながらも生身のように動いた――、別の印を組む。

 両手を組み、指を互いの掌の内に押し込む形。そこから両の親指、薬指と小指を伸ばす。


「慈悲の菩薩にして地の宝蔵の所有者、慈しみ恵み限りなき守護者に今、重ねて無理をお頼み申す。硬き石のそのはだえに、さらに硬き鎧をまとい。慈悲を恵むその御手みてに、刀槍持ちて闘争の場に出で。慈悲慈愛御守護の段、曲げて願い奉り申す……ス。オン・カーカー・カソダト・ソワカ。帰命頂礼――『勝軍しょうぐん地蔵』」


 光が――その背後からあまねく照らすようなまさに後光が――辺りを覆い、それが消えたとき。


 石の地蔵の体をまとった、斉藤の体は。さらに武者のような、大鎧と兜をまとっていた。手には槍のように長大な錫杖。

 地蔵の石の仮面を、騎士兜の面頬めんぽう――兜の、顔を護る部分――のように押し上げて斉藤が顔を見せる。


「これが……教えてくれた、解、ス」

 そしてまた、仮面を下げた。


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