三ノ巻21話(前編)  解は出ている


 転がったままの鈴下に、斉藤は言葉を投げる。真顔のまま。

「ウス……女には、金玉、ない、ス」

「はぁ……?」

 足を押さえたままの鈴下は、顔を赤く歪めて斉藤を見上げる。


 斉藤は辺りを見回す。

 賀来とかすみは近くで倒れたまま、もやの晴れないような顔で目を瞬かせている。

 かすみは何か言おうとするように、身を起こして口を開けていたが。言うべき言葉が形にならないかのように、口を開け閉めするばかりで声はなかった。

 手をついて立ち上がろうともしているようだが、その力も上手く入らないのか、どうにか上体を起こした程度。

 賀来はかすみの横で、同じく身を起こしてはいたが。その目は未だ何も映していないかのように、焦点が合っていない。


 鈴下に視線を戻して斉藤は言う。

「だから、金的打たれる心配はないス、けど……同じぐらい危険な技、いくつか、ある、ス」

 そして、脚を上げてみせた。制服のズボンの上からでも分かる、丸太のような脚。あるいは幼児の胴体ほども太さがあるだろうか。脂肪の鎧をまとった、鋼の如き筋肉の塊。

「踏みつけ。脚との衝突と地面への激突、二重の衝撃……骨折、内臓破裂、頚椎けいついの損傷、後遺症の可能性、脳へのダメージ……使いたくない、技ス」


 眼鏡がずり下がったままで目を瞬かせる鈴下。


「使う、ス」

 真顔のままそう言って。斉藤は駆けた、どたどたと足音を立てて。地面に尻をつけたままの鈴下へ。


「へ。……うおおあっ!?」

 口を開けた鈴下は、間一髪そこから転がったが。

 彼女がさっきまでいた場所に、重い音を立て、斉藤の足が踏み落とされた。


 斉藤の足は彼女を追いかけてさらに踏み、さらに踏み。


「お、おおおおおっ!?」

 鈴下はそのたび転がり、高速で転がり。やがて道の端、竹やぶに突き当たって。どうにかその中、竹と竹の合間へ体を滑りこませた。


「あああっぶ、あっぶねええ……! くそ、我こそは――」


 鈴下が言う間にも。太い腕で竹をかき分け、地に落ちて積もる枯れ笹を踏み越え。斉藤が手を伸ばす。


「ひいっ!?」

 鈴下は悲鳴と共に背を向け、枯れ笹の腐る土に足を取られ、立ち並ぶ竹に阻まれながら逃げた。

 顔だけ振り向いて言う。

「聞こえないか、聞こえるぞほら! どこからか、カーンカーンと――」


「聞く耳、持たない、ス」

斉藤の分厚い手が、鈴下の襟を捉える。


 ――かと思えたが。

 その手が弾かれた。突如地面から吹き上がった、水の壁に。


「どうだ、ざまぁみろ!」

 鈴下は歯を剥いて笑い、さらに後ろへ距離を取る。顔をしかめ、竹に寄りかかりながら足をさすった。


 身を起こし、気取った仕草で胸に手を当てて言う。

「改めて。名乗らせていただこう、我こそは――」


 言う間にも斉藤は突進し、竹の間から手を伸ばす。

 が、それもまた吹き上げた水の壁に阻まれた。


 鈴下は頬を歪めて笑う。

「無駄だ。我が【俊英なる才智の城壁】は何者をも通さない。聞け、我こそは――」


 斉藤はなおも手を繰り出し、あるいは肩から突進するが。その全てが水壁に阻まれ。しかし、それでも攻撃の手を休めない。


 鈴下の目が吊り上がる。

「だから聞けっ! 無駄だどうせやめろ、聞けってば! いいか我こそは――」


 斉藤は足もとの土や、折れた竹の枝を拾って投げ続けるが。結果は同じだった。


 鈴下はえた。

「あああああもーーー! もーいいもーいい、勝手に言うからな! 我は怪仏『弁才天べんざいてん』、言葉の神仏かみにして楽の音の神仏かみ、水神にして城塞の守護者! そして財貨と豊穣の神仏かみ!」


 斉藤は取り合わず、折れた竹を槍のように構え、突いたが。水の流れに先端をそらされ、壁を越えて突くことはできなかった。


 拳を握り、歯噛みをして鈴下が言う。

「だっ・かっ・ら・聞っ・けっ・よお~~~っ! 我は弁舌の神仏かみ、剣より強き言葉の神仏かみ! 人間の思考は言葉を以て行なわれる、故、何者も我が力を拒めず、越えれず、耐えることあたわず! どんな力の持ち主であれ! 言い得て妙なり、まさに『ペンは剣より強し』と――」


 水の壁を何度も蹴りつけながら、斉藤はつぶやく。

「ちくわ。と、ライオン……ス」


「……は?」


 眼鏡のずり落ちた鈴下に、作業を続けながら斉藤は言う。

「ちくわの美味しさと、ライオンの強さ。全く……別の価値。比べようがない、ス」

 手を止め、汗を拭って言う。

「剣とペンの強さも同じ。本来、全く別ものの強さ、ス。それを同列に語るのは……詭弁、スね。……なんか、ひょっとして。怪仏の力使う相手、皆にそれ言ってるん、スか」


 真っ直ぐに目を見る。未だ変わらぬ真顔のまま。

「頭。悪いんじゃ、ないスか」


 鈴下は、かくり、と口を開けたが。そこから何の言葉も発せられなかった。

ただ、やがて両の拳を握り、口を閉じ。歯軋りと、煮えたぎるようなうめきが聞こえてきた。

「ふンごごごご……がががっ、ぎィィィィィッッ……! んだとコラてんめぇぇぇ誰がバカじゃおおおおい! ぶっ殺すぞてめええええええ!」


「また汚い地声、ス」

 熱心に竹を叩きつけ続け――そのたびに阻まれ続け――ながらの指摘に。


 鈴下の膝が、握り締めた拳が、肩が、歯を剥いた頬が、粗く跳ねた髪が。小刻みに、それからはっきりと震え出す。

 そして、頭を抱え、身をのけぞらせ。もやに覆われた天へと声にならない声を上げた。

「んあぁ~~~~っ、ふンぎがばばばべべろっぴゃぴゃぁアアア! ……あああもういい、もういいお前絶対殺す!」

 何か叩きつけるように頭と両手を振るい、涙のにじむ目を――その焦点はどこか分からないが――、斉藤に向け。指を差し、よだれを飛ばして言った。

「食らえ我が弁才天の力! 【妙音みょうおんなる水弾の楽譜がくふ】!」


 鈴下の指先の空間、そこが水面のように揺らいだかと思うと。どしゃ降りが天から地に落ちる速さで放たれた、まさに雨のような水弾の群れが。一つ一つは親指の先ほどの大きさしかないが、この密度と速度で放たれるそれは、もはや一つの水流だった。


「ぐ……」

 全身を打たれながらも、斉藤は手にした竹を離さなかった。なおもそれを、相手へ突き込む。


 とたん、水流がんだ。


 いや、それは未だ放たれ続けてはいたが。鈴下とその前の空間、そして斉藤との間。突きこまれた竹を防ぐ、水の壁が。傘のように水弾の群れを弾き、あるいは流れに取り込んでいた。


「とりあえず、これで……ス」


 鈴下が、ほ、と言う風に口をまるく開けた。

 それから、その口がさらに大きく開く。

「ふ……くくく、ぷふふふははは、あははははぁ! 成程なるほど……。正解だ」

 片手で眼鏡をかけ直しながら――水流はすでに止まっていた――斉藤の持つ竹を指差す。

「そうだ花マル、私でもそうするところだよ、『水壁がこれまでどおり発動する』ならそれで防御できる。逆にできなければ、それはむしろ好都合……『水弾を通すために水壁が発動しない』なら、君の竹も私に届く。『水壁は発動するが、水弾はそれを貫通する』場合でも、水弾が貫通するその一瞬に竹も貫通できる可能性がある……そうだよそうだよそれでいい、しかし直でそこに行くとは」


 高い音を立てて拍手する。

「賢いな君は、見た目と違って! 逆にスキになってきたよ……今なら結婚してもいい気さえする」


 斉藤は視線を反らす。

「いや……それは、ス」


 歯を剥いて笑ったまま鈴下は言う。

「冗談だ、そんなに困るな。おねえさんは悲しいぜ……さて、と」

 長く息をつき、首を鳴らしてから言った。

「年下の彼くんのペースに、すっかり惑わされてしまったが。ここからは私の本気だ」

 左手を体の前に横たえて上向きに開き、指を揃えて伸ばす。右手はその上に、空間を空けて被せる形で、掌を下に向けた。親指と人差指をつけ、他の指は揃えて伸ばす。


「オン・ソラソバテイ・エイ・ソワカ。御身おんみサラスヴァティ河の化身にして弁舌神ヴァーチの習合者、川のせせらぎが象徴せし水とことばがくの守護者」

 奇妙なことに。その一言一言ごとに、彼女の髪が伸びていった。ひどく波打つ川面のように、思い思いの方向へ伸びていたその髪が、さわり、さわりと音を立て、思い思いに伸びていく。そしてその身が、雲のような分厚いもやに覆われていく。


「水利転じて豊穣転じて財貨、水利転じて都市防護転じて戦勝。清濁せいだくあらゆる望みを一身に受けし御身おんみこそまさに大河。今こそ我に注ぎたまえ河の末、御身の滴それこそまさに才賀さいが。南無・怪仏……この身こそすでに御身、ことばの才とことばたから、併せ持つ我こそ『妙音弁才天』なり」

 唱え終えたときには。腰を越え背丈を越え、足下を越え地面にまで波打つように、髪を伸ばした鈴下がそこにいた。体を覆うもやが引いた後、その身には、平安の姫君を思わせる幾重もの衣が艶やかにまとわれていた。


 袖の余る衣を垂らし、口元を隠しつつ鈴下は言う。

「さぁて。お色直しも済んだことだ、たっぷりとご覧いただこうじゃないか。この姿もだが、我が怪仏の力をねぇ」


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