三ノ巻10話  敵か味方か


 そうして足早に歩き、校門の手前までやってきたとき。登校する生徒らの中に崇春と百見、斉藤と平坂の背を見つけた。

 とりあえず――帝釈天と会ったことは言わないとして――声をかける。

「おはようございます」


「うむ! よい朝じゃのう!」

「おはよう……ス」

「おゥ、はよーす」

 立ち止まった崇春らから声が返る中、百見だけが無言だった。そのまま歩きながら、手にした本を――インド神話だのバラモン教だの、といったタイトルがかいま見えた――にらむように、視線で貫こうとするように読んでいた。


 かすみがもう二回ほどあいさつして、それでようやく百見の歩みが止まる。疲れたような顔を上げ、言ってきた。

「やあ……どうも。ああ……そうだ」

 どこか焦点を失った目を瞬かせ、大きく欠伸をする。それからようやく続けた。

「昨日はどうも……大変だったね。あれから大丈夫だったかい? 彼女のこと」


 賀来がかすみの隣に来て答える。明らかに取ってつけたような笑顔で。

「ご機嫌よう。大変だったその彼女だが……おかげ様で、どうも」


 百見は気に留めた様子もなく、小さく頭を下げる。

「どうも。大丈夫だったならいいが……こっちは色々大変さ」

 ため息をついて、再び本に目を落とす。

「帝釈天をぶ作戦は失敗……ああすまない、ちょっと全員には言えていなかったけれど、昨日のパーティはその一環だったんだ……で、次善の案を模索しているところだよ」


 そうだったんですか? と、驚きを含んだ声でかすみは返事をしておく。


 百見は再びため息をついた。

「といって、これという策はまだない……とりあえずは放課後、昨日の神社に行ってみようとは思うが。別にあの場所にゆかりがあるわけでもないだろう、望みは薄いけれどね」


 賀来の頬が、ひくり、と動く。笑いをこらえるように。

 そして、かすみの頬も、同じ動きをしていた。

――いる、そのゆかりのない場所に。とっくの昔、かすみたちは帝釈天と接触している――。


 顔を正面に向けたまま。かすみと賀来は、共犯者の笑みを視線で交わす。


 百見がまたため息をつき、本のページをめくる。頬を歪めて言った。

「ほとほと嫌気が差すね、自分の無能さに。必殺の一策に全力を注ぐのは子供のやり方、失敗を考慮して次善の策を用意しておくのが大人のやり方……そんな言葉があった、隆 慶一郎先生の名著『影武者徳川家康』だったかな、それはいいが……とにかく」


 本から目を離さずに続ける。

「次の手は考える、黒幕の尻尾をつかむ一手を……心配は、しないでくれ」


 小さく、かすみの口が開く。

 軽い気持ち、小さな意趣返しのつもりで賀来の案に賛同してしまったが。それで良かったのだろうか。

 それは百見の努力を、そして崇春たちを裏切ることではないのだろうか。それに、あるいはかすみ自身の意思すらも。

 ――黒幕さえどうにかすれば、怪仏事件はもう起こらない。少なくとも、斑野高校で頻発することはない。だから黒幕を止めたい、そうすればやっとかすみは――。


 そこまで考えたとき、突如として高らかに。

「――ブヒィィヒッヒッヒィン!」

 奇妙な笑い声が辺りに響いた。


 声の方を見れば。コンクリート製の校門の柱、その上に立っている者がいた。

 顔を天に向け、馬のように甲高かんだかくいななくそれは、まさに馬だった。少なくとも頭だけは。


 光沢ある白い毛に、頭から背にかけて走る逆立つたてがみ。筋肉の塊のような太い首は、そのままたくましい体へとつながっている。片方の肩を剥き出しにして布の衣をまとうその体は真っ赤だった。ちょうど地獄を描いた図に出る、赤鬼のように。


 それは手にした長柄の斧を振り上げ、さらに声を上げた。

「――ブヒヒッヒィン! 馬耳東風ばじとうふうでございまぁす!」


 かすみがその言葉の意味を考える間に、馬男は首をめぐらし、大きな目玉を剥いて――白目が大きく、どこを見ているのか分からないような印象を受ける――辺りの生徒らを見回した。

 ぶるる、と馬のような鼻息を響かせ、頭を震わせた後に言う。

「――んあ~貴様ら方ぁ! 朝っぱらから遅刻もせず登校なぞしてございますかこらぁっ!」

 声に合わせて斧の柄を、足元の柱に打ちつける。当たった箇所がその衝撃に砕け、稲妻のようにひびが走った。


 生徒らは皆足を止め、口を開けて見ていた。悲鳴はなく、馬男の声の他はわずかなざわめきと、それの近くにいた生徒が後ずさる足音だけが聞こえていた。


 馬男は斧の先を生徒らに向け、再び辺りを見渡す。

「――マジかマジか、マジメかマジメか貴様ら方ぁ! ルールどおりにレールの上を行く、そんな貴様ら方の人生が……ステキな人生が……立派ぁ! あぁぁ人生万事塞翁さいおうが馬ぁ!!」


 脈絡のないことわざを叫びながら。斧を両手で頭上へ持ち上げ、重く風を切る音を立てて振り回す。


 ようやく生徒らから悲鳴が上がる中――皆馬男から走って距離を取る、動画でも撮ろうとしてかスマートフォンを取り出す者もいた――、崇春が拳を握り締める。

「むうう……あ奴め、何者か知らんが。よくも朝っぱらから目立ちおって!」


「そういう問題じゃありませんからーー!」

 かすみは思わずそう叫び、すがるように百見を見る。


 百見は手にした本を閉じ、眼鏡を押し上げた。

「怪仏……か? しかしこんな、衆人環視の場に出るなんて……!」


 百見が言葉を継ぐより先に、平坂が口の端を吊り上げる。

「どうでもいい、とにかく敵なンだろ? オレがやって――」


 百見が押し留めるように手を向ける。

「いや、【持国天剣じこくてんけん】……日本刀を振るう気ですか、この衆目の中で。――崇春」


 崇春が大きな拳を、分厚い掌に打ちつける。

「応よ! ここは一丁、わしが奴以上に目立つところを――」


「――待ていっっ!」

 高々とその声は響き渡った。崇春の声もかき消して、辺り一面に朗々と。その男の力強い声は。

「――平和に登校する生徒らをおびやかすとは言語道断! ……影あるところに光あり、悪あるところに私あり! 悪の者よ、この私が来たからには好きにはさせん!」

 声の主は屋上にいた。落下防止の手すりも越えた屋上の端に。人差指で馬男を指し、もう片方の手は腰の辺りで力強く拳を握る。

 その体はぴっちりと肌に張りつくような金色の衣服――いや、スーツというべきか。無論ネクタイを締めるそれではなく、テレビの中で悪の改造人間を薙ぎ倒すヒーロー、その衣装を思わせるもの――をまとっている。

 そしてその男の顔もまた、金色の仮面――頭部も覆うヘルメットのようなもの、目の部分だけが黒いゴーグルになっている――に隠されている。その仮面の額の部分には、蓮のつぼみのようなシンボルが浮き彫りにされていた。


「な……なんじゃあ!?」

 目を見開いた崇春が声を上げ、同時に馬男もいなないた。

「――ヒヒィン! 出、出たな貴様ぁ!」


 金色の男は、ぴしり、と音がしそうな動作で、真っ直ぐに空を指差す。

「――天に輝く日の光より、まばゆき光ここにあり! 『極聖烈光きょくせいれっこう ライトカノン』、見参!!」

 指差していた手を開き、まるで太陽をつかむかのように握り締めた。その腕を胸の前に横たえ、もう片方の手も拳を構える。片脚を前に出した形で踏ん張り、ぴたり、とポーズを決めた。


「……何だあれ」

 賀来のつぶやきをよそに、馬男は鼻息も荒く斧の柄を握り締める。

「――ヒヒィン! 極聖烈光ライトカノン……ここで会ったが百年目! 今こそ決着をつけてくれますぅ!」


 ライトカノンと名乗った男は声を上げる。

「――それはこちらのセリフだ! ゆくぞ、【カノンキィック】!」

 ライトカノンは跳んだ、屋上の端から助走もなしに。自由落下するだけと思われた彼はしかし、校門の方へと一直線に――物理的には不自然な動きで、まるでワイヤーで吊られてでもいるかのように――飛んだ。

 しかしその軌道はわずかにれて。そのまま行けば馬男ではなく、かすみたちの方へと向かってくる動きだった。

 かすみや崇春らが身構えようとした、そのとき。


「――ヒヒィン! こちらも行きますぅ、【ックスパワーざん】!」

 馬男が斧を振り上げ、ライトカノン目がけて跳びかかる。


 しかしその斧は、身をかわすかのように空中で軌道をずらした、ライトカノンに当たることなく空を切る。

 一方【カノンキック】は。体勢を崩した馬男の顔に、真っすぐにぶち当たった。


「――ぶヒヒィン!」

 馬男は悲鳴を上げて吹っ飛ぶ――やはりワイヤーにでも吊られているかのように、不自然に体を浮かせて遠くへ――。そして、土煙を上げて地面に倒れた。

 やがて斧を杖代わりに、震えながら立ち上がる。その姿はまるで電波の悪い映像のように、輪郭りんかくを不安定に揺らめかせていた。今にも消えてしまいそうに。


「――お、おのれライトカノン! 今回はこの辺で勘弁して差し上げますぅ、その点ご承知おき下さいぃ!」

 背を向け、一目散に――重く足音を立て、馬のような速さで――逃げ出した。


「――正義は勝つ……これがカノンりきだ」

 蹴りを放った体勢のままでいたライトカノンはようやく立ち上がり、うなずいた。

 生徒たちの方を向き、敬礼のように額の前で人差指と中指を立ててみせる。

「――早くも大人気! 『極聖烈光きょくせいれっこう ライトカノン』、応援よろしく!」


 馬男の後へ、追うように駆けていった後。辺りの生徒から、思い出したようにどよめきが上がっていた。スマートフォンをライトカノンの背に向ける者も、拍手する者さえいた。


「いや、誰なんですかあれ……って」

 かすみがふと目をやると。崇春が地面にうずくまり、両の拳を震わせていた。


「どうしたんです、大丈夫で――」

「目立たれたあ……っっ!! わしより、先に!」

 崇春はきつく目をつむり、地につけた拳を震わせていた。歯ぎしりの音を鳴らして。


「えーと……はい。そんなことだと思ってましたよ……」

 つぶやくかすみをよそに、ライトカノンらの去った方を見つめる百見の表情は、いよいよ険しく。


「わしとしたことが、この絶好の目立ちチャンスに……っ!! くそう、くそう……!」

 崇春が額を地面に叩きつけ続ける音も、ますます大きくなる。


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