三ノ巻11話  謎のヒーロー、謎の敵


 二年の教室に行く平坂と離れた後。

「怪仏だよ、あれは。……まず、おそらく」

椅子に座り込んで両手の指を組み、百見はそう言った。教室で、朝のホームルーム前に。考え込むような顔をしたまま。


 賀来が首をかしげる。

「それは……どちらがだ?」


 うんざりしたように眉根を寄せ、百見が応える。

「どちらもだよ。馬男とヒーロー風……あの柱を砕く力に屋上から跳んでくる脚力、あるいは物理的には妙な動きだから怪仏としての力か……どちらも、普通の人間ではあり得ない。さらに言えば人目につく中で堂々と出現するなどと、今までの怪仏にはなかった動きだ。だが――」


 怪仏――らしき二人――が現れた辺りは百見が可能な限り調べている。ワイヤーやピアノ線で体を吊り下げるといった仕掛けは発見できなかった。


「ぐぐぐぐうう、情け無い、情け無いわいぃ……! わしとしたことが、あんな目立ちチャンスを逃すなどと……」

 体ごと机に突っ伏したまま崇春がうめく。両の手は机の端を震えるほどに握り締めていた。

 顔を上げ、机を両拳で叩く。

「ええい! いったいわしは、何のために転校してきたんじゃあ!」


「いや、怪仏事件を解決するためですよね」

「? …………、あっ」

 真顔で目を瞬かせていた崇春は。十数秒後にようやく、気づいたように目を見開く。


「忘れないで下さーーい! 見失いすぎです、目的も自分も!」

 言って、自分の胸に小さく痛く鼓動が響く。

 目的を見失っているのはかすみ自身の方ではないか? 意趣返しのために、重要な情報を伏せておくなんて。

 ただ、それでも。賀来を裏切り、傷つけるようなことはしたくない――後でやっぱり説得しよう、この子を――。


 斉藤が低く声を上げる。

「ウス、だけど……両方怪仏として、ス。何であの二人、戦ってたんスかね」


 確かにそうだ。突然の出現、いかにもな悪役といかにもなヒーロー、そういう要素に気を取られていたが。

 二体とも怪仏――黒幕が何らかの意図で人に取り憑かせた存在、崇春たちの敵――として。なぜそれが、互いに争っているのだ? いわばそれは、仲間割れではないか。


 百見が小さくかぶりを振る。

「さて。仲間内でいがみ合う理由でもあるのか、あるいは争っているフリ――まさにヒーローショーのような――か。なぜそんなことをするのかはともかく……」


 崇春がまた机を叩く。

「決まっておろう、そうやって目立つためよ! おのれ奴らめ、二人がかりとは卑怯千万……!」


 ふと思いつき。かすみは思わず手を叩いた。

「そうか、もしかして! 仲間、なんじゃないですか」


 百見がいぶかしげに眉を寄せる。

「だからそう言っているだろう、奴らは仲間なのになぜ――」

「そうじゃなくて。私たちの、仲間なんじゃないですか? 敵の敵、だから味方っていう」


 何者なのかは分からないが、つまり。最初に暴れていた馬男、あれを倒そうとしたヒーロー風は。崇春たちとはまったく別に、怪仏を退治する者なのではないか? 


 百見は肩をすくめる。

「さて。何ともいえないが……期待はできないね。僕ら以外に怪仏と戦っている者がいるなんて――少なくともこの町では――聞いたことがない。それに、分からないことはそれだけじゃない」

 頭をかきむしって続けた。

「そもそも何の怪仏なんだ、あの二体は。ああつまり、何の仏を模した存在なのか、ということだね」


 賀来は言う。

「確かにどちらも、仏という格好ではなかったが……それが何なのだ」

 百見は小さく息をつく。

「怪仏は仏ではない、だが『仏を模した存在』ではある。そして因果の塊である怪仏は『仏としての伝承の影響を受ける』……何者であるかが分かれば対策の立てようもあるのさ、けど――」

 つかむように頭に手をやる。

「――何なんだあいつら」


 腕を組んでうなった後、かすみは思いついて言った。

「確か……馬頭ばとう……馬頭観音ばとうかんのん! そういうのいませんでしたっけ、馬の方はそれじゃないですか?」


 百見はかぶりを振る。

「なかなかの博識、と言いたいところだけれど。馬頭観音は別に、馬の顔をしているわけじゃあない。慈悲慈愛の仏たる観世音菩薩かんぜおんぼさつ、それが六観音とも三十三観音ともいわれる、様々な姿を取るバリエーションの一つ……それが馬頭観音」


 続けて言う。

「その姿は三面八臂さんめんはっぴ――三つの顔に八本の腕――、そして頭上に小さく馬頭ばとう――そのままの意味だ、馬の頭――をいただく。これが冠のようなものか肉体の一部かは分からないが……ともかく、馬の顔をしているわけじゃないんだ」


 素早く手振りを交え、早口になりながらさらに続ける。

「ただこの馬頭観音非常に興味深い仏であってね菩薩ぼさつ部、慈悲の仏たる菩薩の中にあってこの仏だけが憤怒相ふんぬそう――激しい怒りの表情――で表現される故に菩薩ではなく、仏法に外れた者を怒りを以て力づくで救う『明王みょうおう』部の一尊『馬頭明王』とされることもあるんだそもそもなぜ馬なのかという話だがこれはまさに馬のように――」


 かすみは百見の前に手を突き出す。

「あの。すみません、その辺で……というか、私の方もすみません、的外れなことを……」


 百見はぴたりと動きを止め、それから気がついたように苦笑した。

「いや、こちらこそすまない。それに君の意見、決して悪くなかった。そういう気づいたことがあればどんどん言ってほしい。……さて、あの馬男だが。単純に考えれば獄卒――地獄の鬼――の一種、『馬頭鬼めずき』か。待てよ、確か……増長天の眷族けんぞくである鬼神の一種『鳩槃荼くばんだ』あるいは音楽の精霊『緊那羅きんなら』も馬の頭を――」


 さらに百見の言葉が加速し始めたとき。ありがたいことにチャイムが鳴り、とりあえず皆席についた。


 ほどなく担任の品ノ川先生が来て、ホームルームとなる。

 白髪の混じる縮れ髪をかき上げて、教壇で先生は口を開いた。

「えー、さてぇ。今朝のことだがどうも、不審者が正門のところに出たそうだ。何というか……何? 馬の覆面を被った奴と? 特撮のヒーロー? みたいな格好をした者らしいが……見た人はいるか?」


 生徒らがまばらに手を上げる。かすみも一応手を上げた。

 分厚いフレームの眼鏡をかけ直し、先生は生徒らを見回す。

「なるほど……けがはなかったな? 何かされた者とかは?」


 誰も手を上げないのを確認し、先生はうなずく。

「先生も後で現場を見たが、特に壊された物とかはないようだ。被害がないから良かったようなものだがぁ――」


 ひびの入った門柱には、あの後ブルーシートを――斉藤が倉庫から引っ張り出してきてくれた――かけておいた。そのシートの下で崇春が守護仏の力を使い、破壊されたところを元どおりに修復した――崇春は何度もシートを外して目立とうとしていたが。その度に百見にたしなめられて、というか手にした本で一撃されていた――。


 先生の話は続いている。

「――だからといって、それで良し、とはできないなぁ。どうも話を聞く限り、誰かがふざけてやったという感じだが……我が校の誇りある校訓『自立と自律』、つまり規律がだなぁ、侵害されている! えー、君たち、君たちの中に――いないと信じているが――、今朝の騒ぎに関係した者! もしくは知り合いに、それをやった馬鹿ちんがいるという者! いないだろうなぁ? 巻き込まれた、けがをした者もいないな? いないなぁ?」


 なめ回すように生徒らを見た後、言い捨てる。

「もしいるなら後で名乗り出るように! もしくは、誰か知っている者が関係しているなら、それも言うように! そして、不審者を見かけても絶対に近づかないように!  以上!」

 そうして先生は教壇を離れ、ホームルームは終わった。


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