三ノ巻8話  もつれる女子の帰り道


 神社からの帰り道、厚底の靴音を立てながら賀来は言った。

「しかし、だぞ。帝釈天とやらと会えたは良いが、これといった情報は聞き出せずじまいだったではないか」

 腰に手を当て、不満げに息をつく。

「大体だな、あのオッサンが怪仏というやつなのか? 百見が召喚したような、魔法みたいな力を使う?」


 そういえば、賀来自身が怪仏をまともに見たのは二度目か――一度目は地蔵事件が解決した後、百見が広目天の力で賀来と斉藤の過去を見せたのだった――。


「ただのオッサンではないか。それはまあ、ちょっと光って消えたりはしたが……光って消えるだけのオッサンではないか」


 それはどうでもいい――特に異論もない――が。

 そんなことより、だ。

「賀来さん!」

 かすみは足を止め、賀来に向き直る。その両手を取り、耳元に口を寄せた。


 大事な話がある、周りに人の気配はないが――黒幕も怪仏の力を持つとしたら、どんな力を持っているか分からない。何らかの形でこちらの様子を見るような力があるかも知れない――念のため小声で言いたい。


 賀来は身を震わせる。

「ひぁっ!? な、何っ、急に――そうか」

 唾を飲み込み、斜め下へ視線をそらし。両手を小さく握って自分の体に寄せた。


「その……そそそ、そうか、ちゅーを、しようというのか……そうかっそうだな、つき合ってるんだもんな私、たち」

「違いますからーーっ!!」


 賀来が生暖かく手を握り返す。

「そうだな、分かった……かすみにならっ、我の初めてを捧げてもそそそそんなに悔いはないっていうか――」

 震えながら目をつむり、唇を向けてくる。


「いや、聞いて下さーーいっ!!」

 しがみついてくる賀来を引き離しながら――どうにか顔を寄せて――小声で喋った。

「いいですか、賀来さん。思い出して下さい、斉藤くんと黒田さんが言ってたこと……『悩んで、誰かに相談した』って」


 目を瞬かせる賀来。


 かすみは続けて言った。

「怪仏の素となる業、その業に関連した悩みを、誰かに相談して。それが誰なのかという記憶が抜け落ちている。それに、私は見せてもらったんです、百見さんに。斉藤さんがその誰かに相談している記憶を」


 地蔵事件を解決した後の、肉パーティの合間に。広目天の力は斉藤の記憶を描き出した。

 それは斉藤が何者かに――どうやら賀来の人間関係を心配して――相談している場面。そしてその人物は、怪仏の力を斉藤に与えていた。


「その人の顔は消されて、声も合成音声みたいになってました――百見さんによれば、広目天の力を拒めるほどの力を持った存在、だそうです――けど。一つだけはっきりしてることがあります」


 小さく口を開けた、賀来の顔を真っ直ぐ見る。

「その人物は『斑野まだらの高校の、男子の制服を着ていた』。そして『悩みを持った人の相談に乗り、その悩み――いわば業――に合った怪仏を与えている』」


 賀来がつぶやく。

「つまり……絞れた、ということか? 黒幕は『悩みを持った人間の相談に乗る、うちの学校の男子』」

 その後で顔をしかめた。

「だが、だからどうしたというのだ? 相談ごとを聞くこと自体、そう珍しいものでもないだろう。どう探せというのだ」


 かすみは小さくうなずく。

「ええ、けれど。斉藤くんと黒田さんの例を見るに、接点のない人から相談を受けているようです……おそらく黒幕は『悩みを持った、怪仏に適した業を持った人』を『探している』んでしょうね。――で」


 さらに身を乗り出し、賀来の目をのぞき込む。ほほ笑んだ。

「つい今しがた、悩みを打ち明けた人がいましたよね。敵方の怪仏に」

 賀来は目を口を、円く開く。

「え。……えええええっ!? 私ぃぃ!?」


 顔を引き締めてかすみは言う。

「帝釈天からその情報を受け取ったなら、黒幕から近づいてくるはずです。賀来さんの悩みについて、何らかの形で相談に乗り……怪仏を取り憑かせるために」


 賀来は震える手で、かすみの両手を握り締めた。

「ちょ、ちょちょちょちょっと待て、私、私を犠牲にしようというのかそれは!?」


 かすみはその手を握り返す。

「もし賀来さんがいなくなっても。あなたのこと、絶対忘れませんから……」

「えええええっ!?」


 かすみは歯を見せて笑った。

「冗談です。向こうだってそんなにすぐ怪仏を憑けるとかはないでしょうし……おそらく何度かは、話をする機会を経てからじゃないですかね。そうやって近づいてくる男子生徒がいたら、崇春さんたちに伝えましょう」


 手を握ったまま賀来は言う。

「そ、そうか……けど、そんなに上手くいくものなのか?」

「可能性は高いと思います」


 確実に黒幕が来るかは分からないが。帝釈天から情報が伝えられるとして、少なくとも『賀来に恋愛の悩みがある』ことと、『崇春たちは敵で、守護仏の力を使う者もいる』ことは、黒幕が把握するはずだった。

 敵方――崇春たち――の関係者で、怪仏を憑かせられる人間がいるとすれば。黒幕からすれば絶好の機会といえるだろう。敵方を内側から壊滅させる手段となり得るのだから。


「いや、逆に。罠だって、バレたりしないか?」


 賀来に言われ、かすみは小さく口を開ける。


 それは、確かに。

 黒幕について、黒田らははっきりした記憶を失っていたが。それでも『誰かに相談に乗ってもらい、その人物から怪仏の力を与えられた』ことは覚えていた。

 その程度の記憶が残ることを、黒幕が把握していたなら。悩みを聞こうとする者に対してこちらが的を絞っていることも、予想されているのではないか。


「……その場合はそれで、いいと思います。罠とバレているなら、そもそも何もしてこないでしょうし。もし悩みを聞こうとする男子がいたら対応する、それでいきましょう」


 考えてみればそもそも、『崇春たちが敵だと相手に伝わっている』ことの方が問題だが。阿修羅との戦いからすでに丸一日経っている、帝釈天が黒幕に情報を伝える時間はいくらでもあったはずだ。なので、今さらどうにかできる問題ではなかった。


 かすみは大きくため息をつく。

 それにしたって。黒幕はいったい、何をしようとしているのか? 

 人に怪仏を憑け、事件を起こして。それで黒幕に何の得が? 

 帝釈天の話では『私欲ではなく、人間のため』『そのための小事として怪仏事件を起こしている』ということだったが。それを言葉どおりに受け取ることはもちろんできない。

 とりあえず愉快犯ではなく、何らかの目的のために動いている。それだけは確かなようだ。


 賀来はうなずいたが、その視線は落ち着きがない。

「それは、分かったが……本当に、大丈夫、かな」


 かすみは賀来の両肩に手を置く。

「大丈夫ですよ。そうだ、それに。学校にいる間は、私が一緒についてます。迷惑でなければ」


 本来なら、崇春たちについていてもらう方が安心だが。この場合相手に警戒されてはいけない、守護仏を使える者がそばにいるべきではない。

 もちろん、かすみに戦うような力はないが。何かあったとき二人いれば、どちらかが崇春らに連絡することぐらいはできるだろう。


 賀来は目を瞬かせる。

「それは……ずっと一緒に、ってこと?」

 かすみは大きくうなずいた。

「ええ」


 賀来はかすみの目を見る。

「健やかなるときも病めるときも、一緒に?」

 結婚式みたいなもの言いだな。そう思って苦笑しながら応えた。

「病気なら学校来ないでしょうけど……お見舞いなら、まあ行きますよ」


 賀来は目を伏せ、静かに言った。

「つまり……死が二人を分かつまで? 一緒に」


 ちょっと待て。

 そう言いたかったが、それより先に賀来が続ける。かすみから視線をそらせ、両手の指を組んでは握り、離してはまた組んでを繰り返しながら。

「そのっ、我としては別にっ、そこまでのつもりで言ったわけではなく半ば冗談というか恋人といっても、けどでもっ、かすみがそこまで想いを寄せてくれるというのなら私っ、我としても応えてやらんでもないっていうかやぶさかでもないというかつまりそのふつつかな私ですが――」


「待って、ちょっと待って!」

「そうだなちょっと待とう、いったん落ち着こう――」


 それから二人で大きく息を吸って吐き、もう一度吸って吐き。

荒い呼吸が収まった頃、賀来が言った。

「ところで式はやはり洋風がいいと思うんだ、ウエディングドレスは黒で――」

「落ち着いてない!」


 真っ黒な気分でそう叫びながら。

 崇春のことはいいのかと、よっぽど言ってやりたかったが。さすがにかわいそうなのでやめておいた。


 肩を落としてため息をつき――本当に今日何度目か分からない――、思う。

 賀来がこんなことを言い出したのは。崇春のことでショックを受けているからだ、たぶん。誰かにすがりつきたいだけなんだ、たぶん。明日になれば忘れているはずだ……たぶん。


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