三ノ巻7話  神々の帝を名乗る者


 ――一方、その少し後。


「……というわけなのだぞ、ひどいとは思わぬか?」


 口を尖らす賀来の言葉に、まげのように高く結った髪――ちりちりと焦げてしまっているが――を揺らして。帝釈天はその隣で何度もうなずく。

「――ぐぬぬ、如何いかに怪仏退治のためといえど、乙女の心を利用しようとは不届き千万! あの崇春めがそのようなれ者であったとは……!」

 いかめしくも整った顔を歪め、そう言って歯ぎしりした。


 反対側の隣で黒田が何度もうなずく。

「そうです、そうなんですよ! まあ僕は崇春くんのことはよく知りませんが……円次もねーそういうとこあるんですよー、人の気持ちを考えないっていうか」


 帝釈天はさらに眉根にしわを寄せつつ、大きな口を活き活きと開く。

「――何と! いやしかし分かる、我にも分かるぞ、確かにあ奴はそういう奴ぞ。いやー分かる、分かるわー」


 四人――三人と一体――で、並んで社の階段に座り。追加で買ってきたジュースで口を湿しながら、かすみは今日何度目か分からないがこう思った。

 何これ、と。


 コーラを勢いよく飲んでちょっとむせた後、帝釈天は喋る。

「――そう、あ奴もなーこの我が、この我がぞ? どういう気持ちで以て秘蔵の武器たる金剛杵ヴァジュラを渡そうとしたのか……その辺りを汲みとるというかだな――」

「いや、あれ取ってたらまずかったんじゃ……」

 かすみは思わずそうつぶやいたが。


 とたん、三人――二人と怪仏一体――の目がじろり、と向けられる。

 帝釈天が言う。

「――ま、そう、そうではあるのだが! もっとこう、断り方というものがあるであろうが?」

 賀来が呆れたように言う。

「話の腰を折る奴だなお前は……」

 黒田も何度もうなずいた。

「まったく……僕、帝釈天さんの気持ち分かりますよ」


 かすみは思い切り口を開けた。

 ――私が悪いんですかこれ? というか、賀来さんもたいがいですけど黒田さん。あなた、思いっ切りその時の当事者ですからね? ――

 そう言ってやりたかったが、何も言葉は出てこなかった。


 代わりに一つ咳をして、それから言う。

「えーと、ですね。そもそも帝釈天さん……なんでここに?」


 ふ、と一つ息をつき、帝釈天は得意げに笑う。

「――分からぬか。よいか、ちょっと光って消えてみることのできる怪仏なら。ちょっと光らずに現れることもできるということぞ」

「全く分かりませんが……」

「――まあ、なんじらとの戦いの後で姿を隠しておったのだが……その者、黒田の稽古けいこぶりに心かれてな。姿を現したという次第ぞ」

 焦げて縮れた、長いあごひげをしごきながらそう言った。


「え……」

 かすみの表情がこわばる。

 帝釈天は『戦い』の怪仏、確かそう言われていた。それが、黒田に惹かれたということは。平坂にそうしようとしたように、黒田に取り憑こうとしているのではないか? 


 帝釈天は頬を緩める。

「――ふ。どうやら、我が黒田を操ろうとしているのではないかと、案じている様子よな。さといことよ」


 かすみは階段から腰を浮かし――何の抵抗ができるかはともかく――身構えた。

 賀来は口を開け、かすみと帝釈天の顔を見回している。

 黒田は表情を変えず、穏やかに帝釈天を見ていた。


 帝釈天は表情を変えないままかぶりを振った。

「――無念ながらそれはできぬ。怪仏は誰にでもけるわけではない。怪仏を構成する業――執着や欲望――と同じ業、それを強く持った者でなければならぬ。それがあるからこそ、我らと人とは一体となるのだ」


 黒田に目をやって続ける。

「――この者も業は持っておるが、その執着は『戦い』に向けられてはおらぬ。それはもはや、阿修羅と同じ『敵愾心てきがいしん』でもあるまい。友たる平坂を越えようとする想い、そのための『克己心こっきしん』……そうしたものか」


 帝釈天は顔を上げ、どこか遠くに目をやった。あごひげをなでながら言う。

「――平坂円次も、『戦い』への強い業を持っておった……我にすら戦いを挑むほどのな。それは今も失われたわけではあるまいが。より強い業が、それに取って代わっておる……故にその業から、あ奴が現れた。四天王『持国天じこくてん』がな」


 その業とは何なのか聞いてみたかったが。

 それより先に、帝釈天はかすみの目をのぞき込む。

「――それよりも。どうじゃ、汝こそ我が業を受け入れてみる気はないか?」


「え?」

 かすみが目を瞬かせるうちに、帝釈天は肩を揺すって笑った。

「――冗談よ。その細腕に我が独鈷ヴァジュラは重かろう。くっははは!」


 その冗談は特に面白くもなく、愛想笑いだけしておいたが。

「あの。……ていうか、こんなこと聞くのも変ですけど。今でも、誰かに憑こうとはしているんですか」


 帝釈天は表情を消す。

「――さて。それこそ誰ぞ、強い業を持つ者がおればそうしたいところよ。本地ほんじ――本体、依代よりしろとなる人間――を得た怪仏は強くなる……本地からの業を得て強まり、本地の意思を操って本地自身の業を強め、その業からさらに力を得る……本地を得た怪仏の力は、もはや別物といってよかろう」


「それは……何のために?」


 ぴくり、と帝釈天のひげが震える。


 応えのない帝釈天に向かい、畳みかけるように続ける。

「一連の怪仏事件、斑野まだらの高校でだけ起こってます……このところ、立て続けに。誰か、黒幕がいるはずです。その黒幕のために、力を得ようとしているんですか? それとも何か、別の目的が」


 賀来が横で何か言いたげに口を開けたが、それには構わず。かすみは帝釈天が座っている正面に回り、姿勢を正す。深く礼をした。


 頭を下げたまま言った。一語一語をはっきり口に出したつもりだが、どうしてもだんだん早口になる。

「教えてくれませんか。……あなたや阿修羅を、平坂さんや黒田さんに取りかせようとした人物。いったい誰なんですか、何でそんなことを」


「――娘御よ。おもてを上げるがよい。……しかしやはり、それを聞くか」

 かすみが顔を上げると。帝釈天は目を閉じ、腕を組んでいた。


 やがて目を開け、かすみの目を見据える。射抜くように。

「――その問いに対する答えは常に一つよ。……言うことはできぬ。あの御方を裏切るなどとは思いもよらぬこと。……なれど、これだけは言おう」


 かすみと賀来、黒田の目を見回して言う。

「――あの御方は決して私欲ではなく、なんじら人間のために事を起こしておられる……此度こたびのことはその為の小事しょうじに過ぎぬ」


 かすみは目を瞬かせる。人間のために? 事を起こしている? 予想していない言葉ではあった。


 それでも、かすみは表情を引き締めた。

 これだけは分かる。あんなことを、人を操って友達と闘うよう仕向けるようなことを、小事に過ぎないというのなら。

黒幕がやろうとしていることは、間違いなくろくでもない。たとえどう言いつくろっても。


 帝釈天は目をつむってかぶりを振る。

「――我としては、なんじらと戦いたいわけではない……平坂だけでなく、汝らも気持ちの良い者ばかりよ。故、今宵こよいのことは見逃そう……汝らに手は出さぬ――そもそも我自身、怪仏と戦う力のない者に手出しする気はないわ――、あの御方に報告もすまい」


 そのとき。かすみは思わず目を見開く――そうだ、それが。その手がある――。


 意識して表情を固くし、帝釈天の目を見据える。

「いいえ。敵対するとなれば手加減は無用です。こちらも、次に会ったときにはこのようにはしないでしょう……お互い、全力を尽くしましょう」

 そこでほほ笑んで続ける。

「ただ。黒田さんや賀来さんに惹かれて出てこられたのはそちらですし。報告するのはともかくとして、この場だけはお互い穏便おんびんに引く……それでどうでしょう」


 帝釈天は歯を見せてうなずく。

「――うむ……このような供物くもつを受けてもおるしの」

 コーラのボトルを指で振ってみせた後。表情を消して続けた。

「――しかし、ほとほと無念よ……汝らのような者らと、事を構えねばならぬとはのう。次に顔を合わせたときは敵同士……か」


 帝釈天は立ち上がり、ゆっくりとかぶりを振る。コーラを飲み干すと、歩きながらちょっと光って、その姿をかき消した。

 その手から落ちた、コーラのボトルが音を立てて転がる。


 かすみは帝釈天の消えた空間を見据えながら、唾を飲み込む。

 ――鍵を握る帝釈天と接触する、それはできたが。情報を引き出せたとはいい難い。

 ただ。種をまくことはできたはず。黒幕につながる種を――。


 拳を握り、うなずく。

 ――うまくいけば、だが。近いうちに何らかの接触があるはず。それを見逃さなければ、一連の怪仏事件は解決出来るはず。そうしたら――。


「かすみ……?」

 何か言いたげに賀来が立ち上がり、かすみの方に寄ってくる。黒田も同じく歩み寄った。


 その間に割り込んで。帝釈天が片手で拝むように、手刀を小さく突き出しながら歩いてきた。ちょっと光って。

「――あっ、すまぬすまぬ!」

 手早く空きボトルを拾い、かすみに手渡してくる。

「――忘れておった、これだけ! これだけ捨てといてくれぬか、うむ。ちゃんと分別してな、缶と」


 賀来がつぶやく。

「……また、顔を合わせてしまったわけだが。敵同士……なのか?」


 手刀を切ったまま帝釈天の動きが止まる。その視線は辺りをさ迷っていた。

「――え、それは……あ~、その……」


 黒田が言う。

「いや、まあ……いいんじゃないですか、今日のところは」


 帝釈天の表情が、ぱ、と緩む。

「――そっ、そう、そうよなー! やっぱそうよな、我もそう言おうと思っていたところぞ! さすが黒ちゃん、我が見込んだ男よ」


 かすみが何か言おうとする前に、帝釈天は再び手刀を切り、社の階段を上る。

「――じゃ、そういうことで。お休みー」

 社の戸を開けて中に入ると、音を立てて閉めた。


「……いや、そこで寝てるんですか!?」

 かすみは思わずそう言ったが。社の中から、特に応えが返ってくることはなかった。


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