三ノ巻5話  昨日の死闘のその場所で


 ――一方、その少し後。


 薄暗い裸電球の、だいだい色の明かりの下で。

 沈痛な面持ちで、賀来は缶入りのカフェオレをすすっていた。

「――と、いうわけなのだ……我としたことが、情けないことにな」

 腕を震わせ、ぐ、と手を握るが、スチール缶はびくともしない。


 隣で男の声が――どこか高く――応えた。

「いいえ! 情けなくなんてない、悪くありませんよ賀来さんは! 不甲斐ふがいないことなんて何もない!」

 その男、ジャージ姿の黒田達己たつみは、拳を握りしめ、黒髪を振り乱すようにしてそう言った。昨日彼が――、怪仏・阿修羅をその身に宿して――闘った神社、その社の階段に腰かけて。


 何これ、と思いつつ。かすみは賀来の隣、黒田と反対側に腰かけて、手にした缶の紅茶を飲んだ。





 あれから賀来と二人、神社の様子を見に来たのだ。昨晩怪仏が現れ、崇春らと戦った神社、そこで昨晩と同じ、弾けるような音がしたから。

 おそるおそる――体ごとかすみの腕にすがりつく賀来を微妙に押しやりながら――、石段を上がり、石鳥居の陰から境内をうかがうと。


 社の前に据えつけられた、裸電球の明かりの中。立ち木に向かい、竹刀を振るう人影が見えた。

 その人影、ジャージの男は振るう、振るう、竹刀を何度も。火花が散るかと思うほど激しく、立ち木を竹刀で斬ろうとでもするかのように。それはまるで、昨日の再現。六本腕の怪仏を見たときの。


 そして、電球の明かりにその男の顔が見えた。黒田。昨日まさにここで、怪仏・阿修羅に乗っ取られ、平坂と闘った黒田だった。


 やがて黒田は、ぴたり、と動きを止める。立ち木に向かい、上段に竹刀を構えた姿で。

 音を立てて長く息を吸い、同じ長さで息を吐き。何度かそれを繰り返した後、つぶやく。

「ゆくぞ……僕の最大奥義。斬り裂け――」


 空気を裂くような声を絞り出した。

「かあああああっ! 【修羅烈剣閃しゅられっけんせん】!」


 それは、昨日阿修羅が繰り出したという技の名。かすみがそう認識するより早く黒田は踏み込み、技を繰り出した――ごく普通の面打ちを。

 超常の力をまとうでもないそれは、ぺちん、と音を立てて真正面から幹に弾かれ。跳ね返ってぶち当たった。踏み込んでいた、黒田の顔面に。


「痛っっ……たああぁあ!」

 竹刀を持ったまま、顔を押さえてのた打ち回る。


「ちょ、何やってんで……いや、大丈夫ですか!?」

 思わずかすみが身を乗り出すのと。


「んぁ~~痛ったぁ、テンション下がるわ~……あ」

 片手で顔を押さえる黒田の視線が交わるのが、同時だった。





 ――そうして今。なぜだか三人並んで話しているのだった。下の道路にある自販機で飲み物を買ってきて。


 唇を噛みしめた後に黒田が言う。

「しかし、崇春くん……彼には返し切れないほどの恩がありますが……それとこれとは別、乙女の気持ちをそのように無下むげに扱うとは! なんと不甲斐無いことだ……!」

 手にしたコーヒーのスチール缶が、音を立ててへこんでいく。


 かすみは口を開く。

「それはそうと……黒田さん、どうしてこんな所で? その、練習をしていたのは分かるんですが」

 ここはつい昨日闘った場所だ、怪仏に操られたとはいえ、黒田自身が。一歩間違えば命に関わる闘いを繰り広げたのだ、友である平坂と。

 そう考えれば、決して近づきたい場所ではないはずだった。


「あ~~、その……」

 指先で頬をかき、視線をそらせて。考えるように黙った後、黒田は再び口を開いた。

「想い出の場所、だからですかね。もちろん悪い想い出なんだけど……い想い出でもあるっていうか」


 頭をかいて続けた。

「なんていうか、そもそも。怪仏って――一度乗っ取られた後だからこそ思うんだろうけど――一部、僕自身なんです。決して全部じゃないけど、確かに」

 うつむき、小さく息をつく。

「頑張っても頑張っても越えられないで、円次を憎む気持ち……それも含めて、円次を叩きのめしたいって気持ち。あれは……確かに僕のものだ」


 顔を上げ、弁解するように両手を出して振る。

「いや、殺そうとか他の人にまでとか、そんなのはないですよ? あれは僕の想いじゃない、阿修羅が持ってきたものです」


 確か百見が言っていた、『怪仏は人の業が積もり積もったもの』『その怪仏に関する業を持たない者が、怪仏の本体となることはない』と。

 つまり、阿修羅を構成していた業の一部は黒田のもので。それ以外は、これまでに積もり積もった様々な人間の業、ということか。


「……崇春くんや渦生さん、円次には、申し訳なく思っています……僕のせいで、怪我をさせてしまって。救ってくれて感謝もしています。けれどそれとは別に、いや、同じに? ――」

 黒田は立ち上がり、竹刀を提げる。境内を歩き、両断された木の前に立つ。

 それはかつて黒田が、阿修羅の力で両断したもの。今はその幹から、崇春の力で新たな枝葉が若く伸び。斬られた断面には、百見が封じた阿修羅――広目天の力で絵にした――が描かれている。


 その前で姿勢を正して立つ。木へ向かい、真っ直ぐに礼をした。

 顔を上げ、阿修羅の絵を見据えたまま言う。

「――感謝しています、阿修羅にも。……正直諦めてた、円次に勝つなんて。でも阿修羅は見せてくれた、僕が円次に勝つところを……あんな歪んだ力だけど」

 胸の前で握った拳に黒田は目を落とした。

「僕が円次に勝てるんだって、教えてくれた。今度は僕がやる、あんな力なしで……円次に勝つ。……だから、なんていうか」


 肩から力を抜いて、かすみの方へ振り返る。

「だから、さっきの質問ですけど。師匠に見ていてほしかったから、ですかね。僕自身であり友であり、敵でもある……阿修羅師匠に」


 かすみは言った。

「そう、ですか」

 もう少し反省して欲しい気持ちもあるが――いや、百見が言っていた、『怪仏は本体の望みや意識に干渉する』と。黒田がやったことも、ほとんどは怪仏が操ってのことなのだろう――。

 とにかく。かすみはうなずいてみせた。

「いいと、思います」


 横で賀来が何度かうなずく。

「なるほどな……前向きで良いと、我も思うぞ」


 その隣で低い声が応じる。

「――うむ……立派、実に立派ぞ!」

帝釈天が太い腕を組み、何度も深くうなずいていた。

 つむった目の端を拭ってから続ける。

「――くっ……辛い思いすら自らの成長につなげるその姿勢、まこと天晴あっぱれ! 平坂円次にも見習わせたいものよ!」


「え」

 かすみの口が、かくり、と開く。


「ん? ……ん!?」

 賀来が隣を見て固まる。


 なおもうなずき、帝釈天は太い声を上げる。

「――それにしても。そうも阿修羅に感謝されておると、我も怪仏として鼻が高いわ!  我が強敵とも阿修羅にも聞かせたいものよ! くっはははは!」


 かすみの手が震えながらそちらを指差す。

「何でこんなとこに……いや、とにかく……いたあああああっ!」

 かすみの声に、帝釈天は身を震わせ。焦げたままの髪とひげが、びくり、と揺れた。


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