二ノ巻22話  三人目の四天王


 二つに裂かれた粒子の群れが形を崩し、闇に消え去ろうとしたそのとき。何かがそれを、まとめてさらった。


「【神筆写仏しんぴつしゃぶつ】!」

 広目天こうもくてん。百見の操る守護仏の筆が、橙色の粒子を拭うように捕らえ、筆に滴る墨の中に納めた。

 さらにはそれを縦横じゅうおうに振るい、描きつける――側にあった木、黒田が斬り倒した、首ほどもある太さの木の幹に。二組の手を広げ、一組の手で合掌した阿修羅の姿を。


 抜き身の刀を手にしたままの円次が――おそらく何事か分からぬまま――、眉根を寄せて百見に目を向ける。


 顔だけ向けて視線は合わさず、百見は言った。

「怪仏・阿修羅、これにて封じた。……僕らは戦闘者ではない、ましてや復讐者でも。あくまでも仏法者だ……与えるのは死ではなく、救いであるべき。故に封じた」


 かすみはつぶやく。

「でも……いいんですか」

 百見はゆっくりとかぶりを振る。

「誰が指図さしずできるのかな、『卵を呑むのをやめろ』と蛇に。誰が言えるんだい、『鹿や兎を狩るな』と獅子に? 怪仏は積もった人の業、絡み絡まる因果いんがかたまり。『歪むべく存在してしまった、それ故に歪んだ』それだけの存在。……害悪ではあれど、その責を彼ら自身に問うことが正しいとは思えない」

 息をついて続ける。

「まあ、具体的に何を以て救いとすべきか、現段階では分からない。とにかく今は封じておく、そういうことさ」


 円次がつぶやく。

「よくは、分からねェが。黒田はもう無事、それで、いいンだな」

 百見はうなずく。

「ええ、もちろん」

「そう、か……」

 言うなり、円次の手から刀が落ちた。金属音が地面の上で小さく響く中、円次は崩れるようにひざをつき、前へ倒れた。


「平坂さん!」

 かすみは駆け寄る。

 円次は震え続けていた。特に、刀を握っていたその手は、決して何も持てそうにないほど激しく。

「だ、大丈夫ですか!」

 かすみがしゃがみ込んで身を寄せると。

 地に額をつけ、きつくつむった目の端から涙がこぼれるのが見えた。

「大丈夫……ですか?」

 遠慮がちにかすみは声をかけたが。


「大丈夫なワケあるかボケッ!」

 倒れたままそちらに顔を向け、円次が唾を飛ばしながら叫んだ。

 再びつむった目の端から涙が流れ落ちる。

「あああ大丈夫じゃねェ、大丈夫じゃねェよ当たり前だ、黒田を斬るとこだったンだぞ一歩間違えりゃ! あいつをこの手でよ、二十一回も! 殺しちまうとこだったンだぞバカ!」

 額を地につけ、未だおこりのように震える両手で頭を抱える。

「ああああもうヤだ、もうヤだぞオレは何が刀だバカ、もうヤだ、もーーーヤだぞ、一生刀なんか握らねェからなバカ! バーカバーカやってられっかもう!」

 ばたばたと、泳ぐように円次の足が地面を叩く。


 それを見て。

「……ふ……っ」

 かすみの肺から、息が漏れた。

「……ふ、くふ……っ」

 止めようとは思う、思うが肩は震え、しびれるように胸も震え。

「ははっ……あははははは!」

 手を一つ叩き、背を丸め。笑っていた。


「……あ?」

 眉根を寄せて――額を土に、顔を涙と鼻水に汚したまま――円次が顔を向ける。

 かすみは自分の目から涙を拭い、円次の目を見る。

 真顔になり、突きつけるように円次を指差す。

「平坂さん!」

「……な、何だよ」

 真顔のままかすみは続ける。

「今の平坂さんが。……今日一番、カッコいいです」


 円次は何も言わなかった。口を開けたまま、顔も拭わず瞬きしていた。

やがてつぶやく。

「…………バカにされてんのか、オレは」

 かすみは首を横へ何度も振る。

「違いますよ、ホントに素敵ですって!」


 なんだか、嬉しかった。嬉しかったのだ、かすみは。

 友を斬らなかったことに安堵する平坂の姿が。全てを投げ出すほど脱力したその姿が。

 終わって全てを投げ出す必要があるほど、全ての力を使って。全ての神経を集中させて。それほど、友を想って闘ったのだ――敵への怒りではなく。もし怒りが勝っているなら、百見が封じたことにも納得はしなかっただろう。


 あれほどの闘いを、敵を斬るためではなく。友を守るためにやり遂げたのだ、この人は。


 かすみは微笑んだ。

「最高です、先輩は」


「……やっぱり、バカにしてんだろ……」

 顔をしかめながら身を起こす円次。

そこへ歩み寄ってきたのは、青い鎧をまとった者。四天王・持国天じこくてんと名乗る怪仏。

「――見事だった」

 円次はわずかに笑い、視線をそらし。刀を拾うと道着の裾で刀身を拭い、鞘に納めた。

「……助かった。返せばいいのか、その、手入れもできてねェが」

 刀を受け取ると、口の端で笑い。持国天はもう一度言った。

「――見事」


「――うむ、まったく見事よ」

 太い声がその隣で応じる。

 見れば。黒焦げのままの怪仏――帝釈天たいしゃくてん――が、腕組みをしてしきりにうなずいていた。

「――ふ……さすがはこの我が見込んだ男。天晴あっぱれないくさぶりよなあ」

 あごに伸びるひげを――ちりちりと焦げたままのそれを――、なでながら続ける。

「――まあ、これほどの男を見込める我もさすがと言うべきよな! くっはっははは!」


「……えー、と……」

 かすみは目を瞬かせ、無意識に帝釈天を指差していた。

 なんだか、よくは知らないが。確か百見の攻撃を受けて倒されていなかったか、この怪仏は。


 視線に気づいたのか、帝釈天が真顔で答える。

「――何やら、我がおることが不可思議な様子だが。確かにあの攻撃は受けた、されど何もおかしくはないわ。言葉を残しながら、ちょっと光って消えてみただけぞ」

「ちょっと光って消えてみたって何ですかーーーーーっっ!!」

 思わず腹から声を上げたかすみだったが。


 百見が声をかけてくる。

「谷﨑さん。ご歓談中のところすまないが、黒田さんの方を見てやってくれないか」

 見れば、黒田は倒れていたが。震えながらも、自力で身を起こしているところだった。

 かすみが立ち上がり、そちらへ駆け出した次の瞬間。


 百見が万年筆を突き出し、広目天が筆をふるう。

 荒波と化した墨は持国天へと殺到し、しかしすんでのところで身をかわされる。

 代わりに、その横にいた帝釈天が波に呑まれた。

「――ぎゃああああああ!?」

 断末魔を残し、帝釈天は墨の中に光って消えた。


 百見は舌打ちし、わずかに眉を寄せていた。

「外したか」

 再び万年筆を掲げ、持国天へと突き出す。広目天の筆先も同じ方向を指していた。


「探したよ、持国天。東方の守護者にして僕や崇春の守護仏と同じ、四天王の一尊。急で申し訳ないが――、その存在、ここで封じる」

 眼鏡を押し上げる、その手の向こうの顔は。いささかの笑みもなく、何の感情も見て取れなかった。


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