二ノ巻20話  刀


 輝く粒子の立ち昇る竹刀が、天を差して動きを止める。今にもそれが振り下ろされようというそのとき。


「平坂さん!」

 ――かすみは叫んでいた。

 ――渦生は二人の方へ駆け出していたが、間に合いそうにもない。

 ――百見の操る広目天が筆をふるい、波のように墨が阿修羅へと向かったが。これも、間に合うかは分からない。

「ぐ……」

 ――倒れていた崇春がうめいて目を開ける。ってでも向かおうとするかのように、手を伸ばし地面をかいたが。到底とうてい間に合うわけはない。


 阿修羅の両手に力がこもる。

「――【修羅縛剣閃しゅらばくけんせん】……んんん?」

 つぶやいた阿修羅の動きが止まる。


 背後から組みついていた、振り上げた阿修羅の両腕に。髪もひげも、先ほど尻も、焦がされた帝釈天が。

「――おのれ阿修羅め、これ以上は我の面目が立たぬわ。好きにはさせぬぞ……!」


 阿修羅の顔が歪む。

「――ふん、死にぞこないが余計なことをォォ。伝承上なら帝釈天てめえ阿修羅オレに勝つんだろうがなァァ、怪仏は神でも仏でもねェェ。ただの積もった人の業……業のふけぇ方が勝つんだよォォ!」

 阿修羅の――輝く粒子が形作った――腕が、つかんでいた円次の両腕を離す。そして、二本の腕を後ろに振るい、何度も帝釈天へひじ打ちを入れる。


 帝釈天の顔が歪む。さらには間の悪いことに、百見の放った墨の波まで、その背に打ち当たった――あるいは、気づいた阿修羅が帝釈天を盾に使った――。

「――がぁっ……」

 うめいた帝釈天の手から、短双剣――独鈷杵どっこしょ――が落ちる。

 歯を食いしばりながら声を上げる。

「――平坂、円次よ……頼む、取れ、我が力、を……」

 その声がかすれ、消えていくと同時。帝釈天も独鈷杵どっこしょも、その輪郭を揺らがせ。小さく火花を上げる、わずかな電光となって消えていった。


 阿修羅が声を上げる。

「――チャハハハハァァ、いいザマだァァ! 何が伝承だ、そんなもんひっくり返してやったぜェェ! この調子で――」

 阿修羅は両の拳を――黒田の拳を――握り、歯を剥いて笑う。その身から燃えるように、だいだい色の粒子が立ち昇る。

「――どいつも! こいつも! 群がる敵をブッ倒して! オレの最強を証明してやらァァ! まずはてめえ、そしてそいつら――」

 目を血走らせて崇春たちをにらむ。口の端からだらだらと、よだれをこぼしながら続けた。

「――そんで、そんで次の敵だァァ! どいつもこいつもオレの敵だァァ! 男も女も、向かってくる奴も逃げる奴も! ヘソの尾も切れてねぇ赤子も、臨終間際の年寄も! 一人一人ブッ殺して! オレが最強と思い知らせてやらァァッハァァ――が、ぶふゥゥ!?」


 高く上げたその言葉の端は。物理的にさえぎられた。阿修羅の手に離され、自ら尺杖を手放し。自由となった、円次の拳で。

「――な……」


「あ?」

 つぶやいた円次の目は、もはや何をも映していなかった。針のようにすぼまるその瞳孔が、突き刺すように黒田へ――阿修羅へ――向けられていた。

 頬が引きつり、引き裂けそうに震えながら引きつり。叩きつけるような、押さえ切れぬような言葉を放つ。

「あ? あぁ? あぁぁもっかい言ってみろやてめェその口で!」

 再び、殴る。さらに殴る。怪仏相手にほとんど利きはしないはず、しかし殴る。

「もう一回、もう一回でも言ってみろや黒田そいつの口でよ! 言わせやしねェ、そんなことはさせねェ、黒田そいつはオレが――」


 円次の口がさらに何か言おうとしたとき。阿修羅が六本の腕で、再び竹刀を構えたそのとき。渦生が駆け、百見が次の墨を放とうとするが、間に合わないであろうそのとき――


 吹きつけるように霧が立った。独鈷杵どっこしょの消えたその辺りから。

揺らぐそれはしかし、切りつけるように鋭く波を打って、握り締めた円次の手へとつどっていく。いや、拳ではなくその先、親指の側から上へ。腕一本ほどの長さに。差し込んでいた月明かりを、斬るように鋭く反射しながら。


 今や、それは円次の手にあった。

 円次の手は流れるようにそれを操り――その動きが体にしみついているかのように、千回、万回と幾度となく繰り返した動きであるかのように――、振り下ろされる阿修羅の竹刀を受け流す。

 金属の震える響きを辺りに残しながら、円次は跳び退き間合いを取る。月明かりに、両の手で持ったそれをかざした。


 凍るような色の刃鉄はがねに、薄靄うすもやにも似たにえ――細かな粒子――が躍る。それが集って刀身の上、騒ぐ波のような、いや、爪を立てて裂いたような、はげしい刃紋を描き出す。

 刀。月の光の下に曲線を描き、夜を裂くかのような刀が円次の手にあった。見る者にすら鉄の重みを想像させる、存在感を持って。

 楕円だえんに近い形のつばは黒く、握りの邪魔にならない小振りなもの。柄には黒く毛羽立った、革の柄巻つかまきが巻かれている。


「こいつは――」

 つぶやく円次の真後ろから、低い声が上がった。

「――れは貴様の望むもの。ればおれは何もすまい」

 その怪仏はそこにいた。

 頭は大振りな――古代中国風の――かぶとに隠れ、顔もまたその目庇まびさし――額の上部に、日除けのように突き出した部分――の陰で見えない。体は広目天と同じく、やはり中国風の鎧――青く彩色されたもの――に包まれていた。

 ただ、その背丈は寸分たがわず円次と同じで。体格もまた、円次が甲冑かっちゅうを身につければそれぐらいだっただろう。


 百見が眼鏡をかけ直しながら身を乗り出す。

「あれは、まさか――」


 怪仏は低い声を――円次が声を低めたような、そんな声を――上げた。

「――おれ持国天じこくてんあまね四方よもつかさどりし四天王が一、東方の守護者。……然様さようなことはどうでもい」


 腰に差していた黒いさや――鞘のみだ、中身はない――を抜き取り、円次へとほうった。

 円次がそれをつかむのを見て、持国天じこくてんは続ける。

「――おれは貴様の業、人の積もった業などでなく、貴様一人の弱き業。故に何の力も無い、人智を越えた力など、何も。貴様と同じく」

 言って、背を向け、歩み出す。誰もいない方へ、去るように。

「――しかし、貴様の望むものは分かる。我が【持国天剣じこくてんけん】、何の力もない真剣。礼は不要、好きに使え」


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