二ノ巻19話(後編)


 そのとき。かたわらの地面で、土を擦るような音がした。

「なるほど、のう……確かに言うとった。おとこおとこの約束……」

 崇春。渦生に手を借り、苦しげに顔を歪めながら、どうにか身を起こしていた。そして、かたわらの地面に落ちていたものを拾い上げる。

 それは木刀。円次のものだろうそれは、渦生と戦ったときにそうなったか、半分ほどから先は焼け落ちていた。


 震える手でそれを差し出す。円次へ、柄の方を向けて。

「そう、『刀の柄にけて』……じゃったかのう」

 円次はうなずき、柄を握る。

「ああ、刀の柄にけて。……約束、守らせてくれねェか」

 崇春は円次の視線を、受け止めるように見返す。

 うなずき、そして目を閉じた。同時、力が抜けたように倒れかけ、渦生が慌てて支える。


 阿修羅が地を踏み、高い声を上げた。

「――ええい、何をゴチャゴチャと! オレを無視してんじゃねェェぞてめえらァァ!」


 聞いて。吹き出す様に息をつき、円次は笑った。


 阿修羅が顔を歪める。

「――な! 何がおかしいんだてめェェ!」


 円次はなおも、笑顔で言った。

「いや? 嬉しかったンだ」

 不意に真顔になり、続ける。

「嬉しいンだよ、お前がそんなで。正々堂々ッつーの? わざわざ、待っててくれたンだよな……話が終わるまで。さっきもそうだった、渦生さんとそこの怪仏が戦った後も。不意討ちなんかはしなかった、名乗りを上げてから向かってきた。だよなあ――黒田」


 阿修羅の――黒田の――表情が固まる。

「――な……」


 その目を見据えて円次は言う。決してにらむのではなく、黒田の目の奥へと、視線を投げかけるような目をして。

「なあ、お前はずっとそうだよな。曲がったとこなんか全然ねェ……剣だってそりゃ、小せェ頃から無理やりやらされてるオレのがつえェ、それが当たり前なのに。お前は『不甲斐無い、不甲斐無い』ってよ……自分ばかり、真っ直ぐ責める」


 どこか寂しげに眉を寄せ、視線を落として続ける。

「昔から……お前はそうだった、急に剣道始めるって、友達だからって、ンでオレより強くなりたいって、オレも引くほど練習してよ……」

 そこで再び、黒田の目を見た。唇の端を吊り上げ、笑う。

「だからよ。てめェにゃ負けたくねェンだ。いや――勝ちたい、お前に」


「――な……あ……」

 力ない手、中途半端に開かれた手で円次を指差し。黒田は――阿修羅は――目を瞬かせていた。

「――そんな、そんなはずがねえだろがァァ! 勝ちたいのはこいつだ、てめえになんぞ見向きもされてねぇこいつだァァ!」

 開いた手を無理やり握り締め、胸を叩く。

「――それがこいつの業、オレの業! てめえを焼き尽くす執念の炎だァァァ!」


 表情を消して円次は言う。

「黙れ。オレが黒田と話してンだろうが……間に入ってくっちゃべってンじゃねェ」

 木刀を構え、阿修羅へと真っ直ぐに向ける。剣道の、中段の構え。

「まあ、これ以上御託ごたくはいらねェか。……行くぜ」

 言ったその時には。円次はすでに足を踏み出していた――左足が音を立てて地を蹴り、的に向かう矢の速度で、木刀が真っ直ぐに突き出される。黒田の喉へと。


 生身の人間が食らえば危険極まりない急所、そこへまともにぶち当たったにも関わらず。黒田は――阿修羅は――うめいたのみで、すぐに体勢を立て直した。

「――があ……っ!」

 顔を歪めながらも振るう竹刀の、先から灼熱の粒子が飛ぶ。


「ちッ……!」

 その場を跳び退いた円次の眼前に、しかし粒子の刃が追いつく。それは円次の顔面を、容赦なく切り裂くかと思えたが。

 射程の外だったか――あるいは体勢の崩れたまま、とっさに繰り出したせいだったか――、円次の髪を揺らしたのみで、霧のように消えていった。


 百見が声を上げる。

「無茶だ……分かるでしょう、平坂さん。怪仏にる攻撃以外は、怪仏にはほとんど通らない。怪仏に取り込まれた、今の黒田さんも同様だ。気持ちは理解できますが――」


 黒田に視線を据えたままで円次は言う。

「分かった、つまり。わずかには通じるってンだろ」

 構えを変える。左手左足を前に出しつつ木刀を斜めに寝かせた、剣道にはない構え。

「一本取れりゃいいンだ、たったそれだけ……一本ってのは致命打、命をおびやかすほどの一撃。そして剣の使い手に取っちゃ、木刀は真剣と同じく凶器」


 足をにじり寄せ、間合いを詰めつつ言う。

「わずかでも通じるンなら、十本。あるいは二十本。むしろ好都合だ、本来の『一本』――命を奪える攻撃――の手前まで。食らわせればいいだけだ……一本も受けずによ」


 言う間にも動いた、竹刀の間合いに入った。反応した阿修羅が竹刀を振り上げ、打ち下ろす。

円次はそれをかわしざま、空いた胴をぎつつ駆け抜けた。つぶやく。

「今ので――二つ目」


「――ぐ……」

 呻く阿修羅が振り向くより早く、その背後で構え直し。さらに打つ、面を、一撃、二撃。

「三つ。四つ」


 しかしそれも、阿修羅にとっての致命打とはならず。

「――ちィィ! しつけェェ!」

 阿修羅は縦横じゅうおうに竹刀を振るった。その先からほとばしる熱閃が、何の抵抗もなく木刀を切り裂く――ついでに、その先にいた帝釈天の尻を焦がし、悲鳴を上げさせた――。


 円次は表情も変えず身を転がし、大木の陰に隠れる。


 阿修羅は唇の両端を吊り上げ、笑う。

「――上手く隠れたつもりかァァ? そんなところでよォォ」

 竹刀を上段に掲げた、そのとき。その背後にゆらりと、熱気を帯びた粒子が立ち昇る。それは束ねられるかのように幾本かの帯状に固まり、さらに密度を増し。形作った、四本の腕を。

 その腕が――黒田のものと合わせて六本の腕が――、竹刀を握り締める。

「――かァァァァ! 【修羅烈剣閃しゅられっけんせん】!!」

 放たれただいだい色の粒子は波を――いや、もはや一つの刃を形成していた。向かっていく大木の幹、その半分ほども身幅みはばのある巨大な刀、波打つ刃紋すら備えた刀の。

 だいだいの大剣は堅く切り裂く音を立て、枝葉を揺らし。大木を縦に、根元近くまで両断する。


 その脇から円次は飛び出す。金属の触れ合う音を、重く響かせる武器を手に。

「悪ィな、借りるぜ」

 錫杖。崇春が落としていたそれを手に、阿修羅へと駆ける。


 阿修羅は両腕を振り下ろしたままだった、竹刀を引き上げるには遅かった。

 じゃりん、と金輪を鳴らしながら、金銅色の錫杖の先が、阿修羅の喉へと突き込まれる。

「五つ――」

 円次はさらに錫杖を振り上げ、追撃を繰り出そうとしたが。


「――ちィィ……調子こいてんじゃねェェ!」

 阿修羅の腕――黒田の腕ではない、その肩から伸びた、粒子に形作られた四本の腕――、その二本が錫杖を押さえ、もう二本が円次の腕をつかみ。黒田の腕が振り上げる竹刀が、円次の体を打った。


「がッ……!」

 円次は顔を歪めたが、その体に傷はなかった。

 阿修羅が言う。

「――ふん、悪運の強ぇ奴め……大技の後だ、力を込められてなかったか。だがなァァ……」

 竹刀から再びだいだい色の粒子が昇る。四本の腕は今も、円次の武器と腕を捕らえている。

 阿修羅は、竹刀を上段へと構えた。

「――さあ、今度こそ。ねェェェェッ!」


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