二ノ巻13話  真の敵は


 崇春が神社へ着いたとき――百見やかすみとは大分距離が開き、まだ来ていない――、境内への石段、その上に。

 階段へ片腕を投げ出して突っ伏した、渦生の姿があった。


「ポサラさん! 大丈夫か、しっかりせいポサラさん!」

 駆け上がり、肩を抱えて揺さぶる。そのせいで渦生の頭が石段の角にぶつかった、何度も。


 うつ伏せのまま渦生がつぶやく。

「……痛ぇ」

「何じゃとおおおお! 大丈夫かポサラさああああん!」

 崇春はさらに激しく揺さぶり、渦生の頭が音を立てて石段にぶつかる。

「痛ぇっつってんだろが!」

 渦生は上体を起こして手を振り払い、横へあお向けに転がった。

 どうにか身を起こす。身につけたジャージは泥にまみれ、焦げ跡がついていた。いくつも口を開けた、切り裂かれた跡からは血がにじんでいた。


 崇春は歯を噛み締めた。

「むう……ポサラさんほどのおとこをそこまで痛めつけるとは。いったいどんな相手だったんじゃ」

 渦生は思い切り顔をしかめた。

「お前だよ今トドメを刺しかけたのはな! っう……」

 その表情がさらに歪んだ。身を折り曲げ、傷口を押さえる。


「むう、大丈夫か!」

 崇春は再び渦生を抱えようとしたが。

 渦生は靴底を押しつけて制し、口を開く。

「それより、そんなことより、だ。気をつけろ、敵はまだ――」


 言葉の途中で崇春は立ち上がる。

「むう! そうじゃい、平坂さんは……!」

 渦生を残して駆け出した。錫杖を鳴らして石畳の道を走り、石造りの鳥居をくぐろうとしたところで。

 見えた、その先。やしろのきに吊るされた裸電球、そのおぼろげな光を背に。ゆらりと動く、六本腕の大きな影が。


 背後から渦生の声が飛ぶ。

「気をつけろ! 平坂じゃねぇ、六本腕の怪仏は……別にいた!」


 鳥居の向こう、光を背にした影となって。六本腕の影のかたわら、一人の男の姿があった。

「平坂、だと……?」

 つぶやいたその声は若い男。平坂円次ではなく、しかし聞き覚えのある声。


 男は鼻で息を噴き出し、笑った――かれた白い歯の列だけが、影の中に浮かんで見えた。

「そいつは……これのことか!」

 男が言うと同時。六本腕の影が身をかがめ、地面から何かをつかみ上げた、かと思うと。

 片側三本の腕を振りかぶり、それを崇春へ投げつけた。黒い塊にしか見えなかったそれが月明かりに照らされ、姿をあらわにする。

 それは。道着姿の平坂円次、ぐったりと力を失い目を閉じた、その人だった。


「むううっ!?」

 崇春は錫杖を放り捨て、両手を広げて。体ごと、どうにか平坂を受け止めた――もしもかわしていたなら、平坂はそのまま石段の下まで投げ出されていただろう――。


 そこへ。

「さあ……ゆけぃ!」

 男の声に応えるように影が跳んだ、崇春に向かって。闇の奥から六本腕の。


「――チャハハハーっ! ねィ!」

 甲高い声を上げて跳び来る怪仏。その姿が薄闇の中、おぼろげに見えた。

 崇春の一.五倍ほどの体躯たいくは、意外にも痩せぎすで。しかしその腕にはどれも、確かな力を宿し。そして武器を――長い爪を備えていた。猛獣のそれのような、いや。研ぎ澄まされた刀のような。


 怪仏は鳥居に頭を――顔の左右に一つずつ、別の顔を備えた頭を――ぶつけたが、勢いを削がれた様子もなく。ぐらり、と石鳥居を揺るがし、押し倒し。


 殺到した。平坂を抱えた崇春へ向けて、倒れる鳥居と六組の刀爪とうそうが。


「む……ううううーーっっ!!?」


「崇春―――っっ!!」

 石鳥居が地に倒れ、砂ぼこりを巻き上げる中。渦生の声が境内に響いた。


 埃が緩く風に散る中、ゆっくりと身を起こす六本腕の怪仏。

 月明かりと石段下の街灯に照らされた、その肌は薄紅色。腰から下のゆったりとした下衣と、左肩からたすきのように斜めがけにした布のみを身につけた半裸形。


 渦生はつぶやく。

「こいつは……阿修羅あしゅら、か」


 阿修羅――帝釈天と敵対する悪神にして、後に八部衆と呼ばれる護法神となった神仏。六道りくどう世界のうち、争い絶え間なき修羅道の主。その容姿は三面六臂さんめんろっぴ――三つの顔に六本の腕――。


 その怪仏の姿形は、名高い宝物たる阿修羅像のそれによく似ていたが。その面差おもざしだけは憂いを帯びた形ではなく。怒りに打ち震えるように眉を寄せ、飛び出るように目をいて。頬を歪め、長い牙をき出しにしていた。


「――チィ……」

 阿修羅は一つ舌打ちし、何かを探すように三対の目を巡らせていたが。


 社の前から男の――阿修羅と共にいた者の――怒声が飛ぶ。

「何をしている、後ろだ!」


 三つの顔の、どの正面にも位置しない背後。そこに崇春は立っていた。平坂を抱えたまま。


 ――阿修羅が迫り、鳥居が崩れ落ちていたあのとき。大きく退けば鳥居に潰され、小さく退けば刀の餌食えじき。かといって、平坂を抱えたままでは攻撃もできない。

 故に。崇春は自ら飛び込んでいた、敵のふところに。攻撃も崩れる鳥居も届かない場所、相手の股ぐら。砂埃の中、そこをくぐって背後へ――。


 指を折り曲げた、阿修羅の刀爪が震えて擦れ、金属にも似た音を立てた。

「――チィイ……! 様ァ、そんな所に!」

 右側三組の腕を大きく振り上げる。風を切り、力任せに振り抜く三つの手刀。


 崇春は小さく跳び退いてかわし。

 何も言わず背を向けた。阿修羅からも、社の前の男からも。


 阿修羅が小さく口を開けた。三つの口を。

「――な……」

「――何をしている様……」

「――このオレをなめてんのか……!」


 口々に騒ぐ三つの顔には取り合わず。崇春は石畳を下り、木立の方へと歩いた。いくらか分け入った辺りで、大木の根の上に平坂の身を横たえる。


 そうして石畳の上、阿修羅の前へと戻る。

 顔をうつむけ、つぶやいた。

「嘆かわしいわい」


 社の前で男と阿修羅がつぶやく。

「何……?」

「――なんだとォ……」


 崇春は首を横に振り、言葉を続ける。

「情けない、まったく情けないわ! このわしとしたことが……三つも顔のあるもんにさえ、見つからんほど目立っちょらんとは!」


「な……に……?」

「――はァ……?」

 薄明かりにも見えるほど、かくり、と口を開ける男と阿修羅。


 崇春は押し止めるような手を阿修羅に向けた。

「あいや、別におんしらをとがめるつもりはないんじゃ、わしの目立ちが足らなんだまでよ。ほとほと情けないわ……いや」


 阿修羅に背を向け、社の方へと歩む。

 足を止め、男を見据えた。

「おんしなら。こう言うんかのう、『不甲斐無い』と。のう、黒田さん」


 社の前、裸電球の薄明かりに照らされたのは。剣道着姿の男。平坂円次と同じ部の、黒田達己たつみだった。



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