ニノ巻14話(前編)  修羅闘争


 竹刀を手にした黒田達己たつみは、吐き捨てるように息をつく。

「ふん……『不甲斐無い』だと?」

 細い目を、困ったように下がる眉を、あざけるようにひくひくと動かして笑う。平坂の横たわる木立の方をあごで示した。

「不甲斐無いのはそいつだろうが……僕の力の前に、手も足も出なかった平坂円次。それにぃ……」


 竹刀の先で崇春を指す。歯を剥き、顔を歪めながら。

「わざわざ出てきて邪魔立てをする……崇春だったか? お前だ、これ以上出しゃばるのなら! 僕の力の前に――」


「確かに、不甲斐無かったわい。ただのわしらの早とちり……平坂さんはどうやら、嘘などついちょらんかった」

 黒田の言葉に取り合わず。崇春は石畳の上、辺りに転がる物を拾い上げた。

 それは平坂と名の書かれた、黒革の竹刀袋。開いた口から、二振りの折れた竹刀、そのつかが飛び出ていた。


 一振りを引っ張り出す。社の明かりに照らされたそれは、使い込まれた握り跡の残る他、何の変哲もないものだった。

「これはおそらく今日わしが、平坂さんとの試合で折ったもんか。じゃが、もう一本は――」


 引き出したもう一振り、そのつか鍔元つばもとには。見覚えのある印が描かれていた。竹刀の意匠などではなく、持ち主がマジックで描いたであろうマークが。

 それは∞――無限大――の記号に似ていたが。二つの輪が重なり合って、真ん中に小さくもう一つの輪が作られていた。それらを全体にやや縦長にした、そんな形のマークが。

「武蔵マーク……そう言うとったの。のう、黒田さん」

 黒田は竹刀を降ろし、頬を震わせながら崇春をにらむ。


「谷﨑らが怪仏を見たっちゅうんで、わしらは昨日この神社に来た。その時見たのは折れた竹刀、倒れた木、その前におった平坂さん。そして平坂さんは、折れた竹刀を拾って去った。つまり、この竹刀をの」

 竹刀と袋を地面に下ろし、崇春は続けた。

「谷﨑らの見た六本腕の怪仏の正体、竹刀を折りつつ木を斬り倒した人影は。平坂さんではなく、おんしじゃったんじゃな。おんしが去り、その後平坂さんが竹刀と倒された木を見つけ。そこへわしらが後から来て、怪仏が平坂さんじゃと、思い込んでしもうた……そう考えれば合点がてんがいくわい」


 黒田は鼻から長く息を吐き出す。

「ああ……そうらしいな、勝手にお前らが騒いでいたんだ。僕はただ、メッセージを残しただけだ。円次の奴がよく素振りに来ているここへ、奴より先に三度来て。三度目の昨日に竹刀を残した――」


 確かに、倒れた木は三本あった。一本は昨日、他はそれ以前に倒されたらしきものが。


 かついだ竹刀が鳴るほど、黒田は柄を持つ手を握り締めた。片方の手もまた、空間に爪を立てるような形で震えていた。

「――これほどの力を持つ者がいるんだ、と! 人智を越えた力を持つ者が、お前の近くにと! そしてそれは、この僕だと! お前などより、遥かに強くなったこの僕だと! ……言ってやりたかったんだ!」


 崇春はうなずく。

「なるほど、それでわざわざ竹刀を残したんか……平坂さんもおそらくその意図に気づき、おんしに会いに今日ここへ来た。わしらが近づかんよう約束させて、か」

 長く息をつき、続けた。

「なら。もう話は済んだんじゃな」


 黒田が眉をひそめる。

「何……?」


「何も糞もないわ、おんしはどうやら、平坂さんを倒したかった……それがおんしの執着、おんしごうとするのなら。もう、それは済んだんじゃな。だとすれば――」

 懐から出した数珠を左手にかけ、合掌する。

「もう離れるがええ、その業から、怪仏から。おんしが傷つけた、平坂さんと渦生さんに詫びよ。わしも一緒に頭下げちゃる。許されるかは知らんがのう」


「……」

 黒田の唇が小さく開く。そのまま何か考えるように、黙っていたが。


「――チィィイ……! 騙されるな、達己たつみィィ!」

 崇春の後ろで阿修羅――の正面の顔――が高く声を上げた。

 刀爪を握りきしらせて、横の二面も口々に騒ぐ。

「――まだまだまだまだ終わりじゃねェェ!」

「――そう言ってるそいつは何だ、考えてもみろ……お前を倒した奴だろうが、今日の試合でよォォ!」


 黒田の握る竹刀が再び音を立てた。

「そうだ……真の力を、人前だからと使わなかったとはいえ……不甲斐無い」


 阿修羅の顔が一斉に、口の端を歪めて笑う。

「――そうだ、達己ィィ……不甲斐無ェェぜこのままじゃよォォ」

「――そうだ、そいつもブッッ倒しちまおうぜェェ」

「――真の力を、お前の業たるオレの力を使えばよォォ、誰もお前に勝てやしねえェェ!」


「ああ……。ああぁぁあああ!」

 空気を震わすような声を上げ、黒田が両手で竹刀を握った。崇春へ向けて中段に構える。頬を引きつらせて叫ぶ。 

「不甲斐無い、不甲斐無い不甲斐無い不甲斐無い! お前なんかに負けたなどと……いや、いや負けじゃない、真の力、この力を使っていないのだから――」


 竹刀を額に押しつけ、目をつむりながら真言を叫ぶ。

「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ラタンラタト・バラン・タン! 力を示せ、僕の想い、僕の業よ……修羅道の主、争いのおさにして正しさの王! 僕の力、僕の剣よ! 僕と共にあれ……南無なむ・怪仏『阿修羅王』!」


「――応よォォ!」

 崇春の背後から阿修羅の姿がかき消え、かと思えば黒田の傍らに現れる。

 大樹の枝葉のように広げた六本の腕、天へと向けたその刀爪から。闇をほのかに照らすだいだい色の光が昇る。

 それは光量を増し、炎のように強く噴き上がり。近くの景色を陽炎かげろうに揺らして、焦熱しょうねつの塊となった。刀爪の長さを越え、小太刀ほどの刀身を持った、光の剣。

「――【修羅遍焦剣しゅらへんじょうけん】! 様なんぞ……り裂き、焦がして! 消し炭にしてやらァァ!」


 黒田が竹刀を振るう、それを合図に。阿修羅は崇春へと跳んだ。

「――ヂャアアッ!」

翼のように広げた六本の腕が、包み込もうとするように崇春へと伸ばされる。


「く……」

 崇春は石畳の上を跳び退く。目の前を閃光の軌跡が走り、前髪がいがらっぽいにおいを残して焦がされる。


 阿修羅の三面はそれぞれに、歯を剥き、舌なめずりしてわらう。

「――そらそらどうしたァァ、逃げろ逃げろォォ! さもなきゃヤキトリみてぇに串刺しだぞォォ! 【修羅千条剣しゅらせんじょうけん】!」

 六本の腕が槍のように、次々に突き出される。熱を帯びた光が流星のように尾を引いて、辺りを照らした。


「ぬ……!」

 何撃かは腕でいなしたが、とても全てはさばき切れず。それ以上の数が腕を肩を体をかすめ、わずかに白く煙を上げて。崇春の頬がさすがに引きつる。


 距離を取ろうと大きく跳びすさるが、阿修羅もまた跳んでいた。

「─―逃がすかァァ!」


 さらに次々と繰り出される突きを、崇春は後ずさって鼻先でかわす。

いや、かわせているというよりは、単に相手が遊んでいるだけか。阿修羅の三面にはどれも、あざけるような笑みが浮かんでいた。


「ぬ、ならば……!」

 崇春は大きく一歩下がり、腰を落として身をかがめた。まるで頭を下げるように、石畳に広げた手をついて。


「――今さら命乞いかァァ? むだ……だあァァ!?」

 言いながら阿修羅の体が後ろへ傾く、大きく傾く、倒れんばかりに。崇春に持ち上げられて――その足下の、分厚い石畳ごと。


「どうじゃ、スシュン流【石畳たたみ返し】!」


 阿修羅は倒れかけるが、石畳から後ろへ飛び下りる。

 崇春はそこへ。土のこぼれる石畳を盾のように構え、突進した。

「どっせえええぇぇ!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る