第16話 説得続いてたんですか!?
崇春の説得は続いた。
――あるときは授業中に教師の目を盗み、小さな紙にしたためる。
『賀来殿 今朝の事御返事戴きたく候 放課後例の場所にて待つ 崇春』
それを丸めて賀来の机へ投げる。何回か失敗し、無関係な生徒数名が内容を知るところとなった――。
――あるときは休み時間ごとに賀来の席へ赴き、話しかける。
「うむ、今日もええ天気じゃのう。ところで、今朝の話じゃが……考えてくれたか」
賀来は歯を剥いて声を上げる。
「またその話か! 放っておいてもらおうか」
崇春の眉が下がる。
「むう? じゃが、お
賀来はそっぽを向いて頬杖をつく。
「知ったことか。我の機嫌を損ねぬうちに失せることだな」
崇春は机に手をつき、頭を下げた。
「わしゃあ真剣なんじゃ、頼む! 今は正直、お
その大声に、教室中の視線が集まる。
「な……」
頬杖をついていた手から賀来の顔が離れた。一瞬だけ、崇春の目を見る。
「何、だそれは! 何の話……いやっ、いいから、いいから消えろ、消え失せろ!」
両手で何度も机を叩いた賀来の顔は、体を動かしたせいかわすかに赤らんでいた――。
――またあるときは体育の授業中、先生が短距離走のフォームを説明している間。グラウンドに並んで体育座りをしたまま――ぴちぴちとはち切れそうなジャージ姿で――、隣の賀来に声をかける。
「しっかりと考えてほしいんじゃ、決して悪い話ではないはず」
賀来は顔をしかめ、小声で言う。
「今する話か、後にしろ後に! ……考えては、いる」
「そうかあ、有り難い!」
崇春が大声を上げると、さすがに先生がそちらを見た。
「そこ、聞いてるのか! 誰と誰だ、何の話をしてた」
崇春が立ち上がり、賀来の手をつかんだ。
「むう。わしらじゃが、大事な話なんじゃ……わしら二人、これからの話をのう」
生徒から小さくどよめきが上がる。
先生は言う。
「……そうか。後でゆっくりやれ」
「押忍」
崇春は頭を下げる。
賀来は小さく肩を震わせてうつむき、片手で顔を隠していた。だが握られた方の手を振りほどきはしなかった、崇春が離すまでは――。
――そしてあるときは昼休み、昼食の包みを持って賀来の机へと向かう。
「どうじゃガーライルよ。今日もまた、一緒に飯を食わんか」
「……」
賀来は目を伏せたが、何も言わなかった。自分の弁当の包みを取り出して置く。
かすみはといえば、邪魔しない方が逆にいいかと思ったので。遠巻きに傍観することにした。自分の席で弁当の包みを開きながら。
崇春が自分の昼食の包みを解く。中身は渦生からもらっていた菓子パンの類や缶詰、缶コーヒー。
野宿していて用意することもできなかったので仕方はないが、栄養が偏っている。崇春の分も弁当を用意してあげればよかった、とかすみは思ったが――
賀来が自分の包みを開く。
「フン、相変わらず下賤なものを食べておるな。栄養も偏るだろう……我のものを、恵んでやってもよい」
――どうやら、用意しなくて良かったらしい。
賀来の弁当は相変わらず素朴で、しっかりしたものだった。ゆかりご飯のおにぎり。蓮根入りのきんぴらごぼう。かつお節のかかったほうれん草のおひたし。海苔を中に巻き込んだ玉子焼き。
「今日のは、そう、モスケンの大渦巻き弁当だ。……モスケンの大渦巻きの落とし子の玉子焼き、食べるか」
合掌して頭を下げた後、崇春は割り箸を出して玉子焼きを取る。丸ごと頬張り、ゆっくりと噛んだ。
「……旨い! 相変わらずガーライルの弁当は旨いわい、これも自分で作ったんか?」
「ああ、自分で作ったのは今日は玉子焼き……モスケンの大渦巻きの落とし子の玉子焼きと、おにぎりだけだが」
「大したもんじゃわい。他に得意な料理はあるんか」
「そうだな、何だろう…………おでん? かな」
また意外なものが来た。そう思いながら、かすみは自分の弁当から蒸し鶏を口に運んだ。
片手を突き出し、早口になりながら賀来は言う。
「いやっ、待っ、違う、違うのだ、そう……あれだ、
まったくだ。鶏肉を噛みしめながらかすみはうなずいた。
賀来が肩を落とし、息をつく。
「そうだな、おでんだ。
なるほど、今度家でもやってみよう。そう思いながらかすみはご飯を口に含む。
賀来はまた息をつき、おにぎりを一口食べた。
「なるほどのう……それは旨そうじゃ」
崇春は何度もうなずく。続けて言った。
「ぜひともわしに食わせてくれんか、お
「……~~ッ!?」
同時に米を噴き出していた。賀来とかすみは。
かすみが何度も咳き込み、賀来が両手を握り締めて口元を押さえていたとき、崇春は続けた。
「――そう、毎日でも食ってみたいぐらいじゃわい。やはり、白米とみそ汁は毎日でも、食い飽きるということがないけぇのう」
「……!」
口元に両手を当てていた、賀来の目つきがたちまちきつくなる。音を立てて席を立ち、言い放つ。
「いい加減にしろ」
顔を背け、弁当を机に残したまま大股で歩く。教室の出入口へと向かって。
引き戸に手をかけようとしたそのとき。
「待てい!」
崇春がその手をつかんで引き戻す。
引き戸を背に、向き合う形となった賀来の顔の横に。崇春の
賀来が顔を背ける。
「な、何だ、やめ……いい加減にしろ! おのれ崇春、私を……我をからかうな!」
「からかってなどおらぬ!」
崇春が声を上げた。それから、ゆっくりと続ける。互いの息がかかるような距離に――その気になれば口づけられるような距離に――顔を近づけ。目を真っ直ぐに見て。
「わしとて遊びで言うとるわけではない。本気も本気よ。お
賀来は震える顔を――はっきりと赤らんだ顔を――背けたまま、何度も目を瞬かせた。そして小さく、うなずく。
「……あ。うん……はい……。分かっ、た。その、頼み……聞きます」
崇春はうなずき、手を離した。背を向ける。
「あい分かった。では、確かにつき
凄いことするなあ、と思いながら。かすみは気づけば、両手を胸の前で握り合わせていた。高くなった鼓動がその手に伝わり、頭の中に響く。
何だこれ、何で私まで――そう思って目をつむり、かぶりを振る。
と、気がつけば。いつそこに来たのか、崇春と賀来の前に斉藤
「……ウス」
「むう?」
斉藤は右手を上げ――怪我でもしたのか包帯を巻いている。前にも故障で部活を休むと言っていたが――、軽く手刀を切るように突き出した。
「ウス……そこ、通ります……便所、行くんで……ウス」
「おお、これはすまんかった」
崇春はすぐに引き戸の前から離れた。
だが、顔を赤らめたままうつむく賀来は、目をつむっているせいか動かなかった。
斉藤はわずかに――本当にわずかに――身をかがめ、声をかけた。
「……ウス。大丈夫、スか」
賀来は目を開け、何度か瞬く。口元に手を当ててうなずき、横へ退いた。
「……ウス。本当、に?」
崇春のあれが無理やりではないかと、心配して来たのだろうか。意外に紳士なんだな、とかすみは思った。
賀来は小さく微笑んだ。
「すまない……大丈夫だ」
斉藤は視線を戻し、滑るような足取りで教室を出た。
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