第12話  百見、倒れる


 斑野町の駐在所――表の事務室ではない、その奥の相談室という所で。低い椅子に腰かけ、組んだ足をローテーブルにどかりと載せた。渦生うずきと名乗った警官は。


「してやられたぜ……まさか、百見の奴がやられるとはよ」

 かぶっていた制帽を、音を立てて床に叩きつける。


 それでかすみは身をすくませた。ローテーブルを囲む椅子の後ろで立ったまま。

 横にいた崇春が身を乗り出す。

「それより百見は! 百見はどこなんじゃい!」


 警官は座ったまま手を伸ばし、背後の引き戸を開ける。明かりも点いていない畳敷きの部屋、敷かれた毛布の上に百見は横たわっていた。分かれて帰る前に見た制服姿、眼鏡をかけたままで。


 崇春は草鞋を履いたまま部屋に駆け上がる。百見の体を抱え起こし、揺さ振った。

「百見! 何しとんじゃ、起きんかい百見!」

 その体は力なく揺れるままだった。


「崇春さん! 分かります、分かりますけど、安静にしておいて――」

「いつまで寝とんじゃ、目を開けんか!」

 崇春は分厚い平手で頬を叩く。が、眼鏡を吹っ飛ばしたのみで、百見には何の反応もなかった。


「その辺にしとけ」

 警官が部屋に上がり、崇春の肩を叩く。

「見てのとおりだ。外傷はねえし、例の怪仏の仕業と見ていいだろう。ただ、いつの間にやられたかは分からねえ。こいつから連絡をもらったのが昼過ぎ、道端でこうなってたのを見つけたのがついさっき。倒れてた横をたまたま通りかかって、だ」


 そこまで言うと百見を抱え、再び横たわらせた。その上に、放るようにして毛布をかける。そして言った。

「学校ではどうしてた、最後に見たのはいつだ」

 崇春が答える。

「むう……百見の案で、敵をおびき寄せるために二手に分かれて帰ったんじゃが。分かれてから一時間も経ったかどうかじゃ」

 警官は短く刈り込んだ髪をかきむしる。

「それだけの間にやられたのか……こいつほどの男が」


 険しい顔をする二人の男を交互に見た後、相談室に立ったままかすみは言った。

「あの。……ところで崇春さん、そちらの方は」

「おお、谷﨑には言うちょらんかったの。ポサラさんじゃ」

 とたん、警官が顔をしかめた。

「ポサラ言うなっつったろ! ……あー、伝法でんぽう渦生うずきだ。ここの駐在をやってる」

 崇春が首を傾げた。

「むう? しかし以前は沙羅さらさんじゃったはずじゃが。伝法でんぽう沙羅さらさん」

「いつの話だ、十年ぐらい前だぞそれ!」


 かすみの視線に気づいたのか、咳払いをしてから警官が言う。

「あー、いや。実家が寺でな、元々は俺が継ぐ予定だったんだ。沙羅ってのはそのときの、坊主としての名だな。色々あって還俗げんぞくして――つまり坊主を辞めて――名前も元に戻した。で、今はこんな仕事をやってる」

 実家が寺ということは、百見とは親戚か何かだろうか。もしくは寺同士、仕事関係でのつき合いがあるのかもしれない。


 かすみは頭を下げる。

「申し遅れました、私は――」

「いい、谷﨑かすみだな。百見から聞いてる。……とにかく、座れ」

 相談室の椅子を示し、崇春の肩を押す。その後で自分は部屋の奥へと引っ込んだ。


 崇春の横で椅子に腰かけ、かすみは部屋の中を見回した。六畳ほどの広さだが、雑然としているせいで手狭に見える。仕事関係の物が入っているのだろう、タンスほどもあるロッカー。ノートパソコンの置かれた机。壁の帽子かけには仕事用のヘルメットやコートが吊るされ、出入口近くの壁には武器の類だろうか、金属製の大盾や木の棒――崇春の錫杖ほどの長さがある――が物々しくも置かれている。


 やがて戻ってきた警官は、片手に持っていた缶コーヒー二本をかすみたちの前に置く。反対の手に持っていた酒――バーボンか何か、洋酒のボトル――と小さなグラスは自分の前に置いた。そして椅子に腰を下ろし、足を組んでテーブルに――一応かすみたちのいない方に――載せた。

「ま、飲めよ」

 言いながら自分のグラスに酒を注ぎ、一口飲んで息をついた。制服姿のままで。


「……」

 いいんですかね、あれ。かすみはよほどそう言いたかったが、崇春は気にした様子もなくコーヒーを飲んでいる。


 かすみの視線に気づいてか、警官が言う。

「いいんだよ、今日の仕事は終わった。明日も休みだ……そんなことより、だ。百見からの連絡じゃ、状況から見て賀来がらいとかいう奴が怪仏の件に関わってる、ありていに言やあ正体。そういうわけでいいんだな」

 射抜くような視線を、崇春とかすみへ交互に向ける。


 かすみはおずおずと手を上げた。

「……あの。失礼ですけど、伝法さんは今回のこと、どの程度ご存知なんですか」

「ああ、説明してなかったな。お前らが知ってることは大体知ってる。そもそも、こいつらに手伝いを頼んだのは俺だ」

「え?」

「実家の絡みで、怪仏のことは俺も知ってる。で、たまーに――本当にたまーにしかねぇが――それ関係のことがありゃ、面倒ごとにならんうちに始末してたんだが。ここんとこ、妙にそれが多い……しかも特定の場所で、だ」

「まさか……」

 崇春がうなずく。

「谷﨑の、わしらの学校。斑野高校でじゃ」


 警官は酒を口にして続ける。

「当たり前だが、こういう件に関しちゃ警察組織として把握してるわけでも対処してるわけでもねえ。科学で実証できるわけでも法で裁けるわけでもねえしな。俺が個人的に――タダ働きだぜクソが――やってるだけだ。で、俺一個人が学校の中のことを勝手に調べる、ってのも無理がある。だから、親戚のつてでこいつらを呼んだ。俺と同じ力を持ち、しかも学生として中に入り込めるこいつらをな」


 同じ力。百見がやったように、仏――ということでいいのか――の力を使うということか。この人と、もちろん崇春も。


 空のグラスを握り締め、警官は言った。

「だが……こんなことになっちまうとは」

 室内は静かだった。三人とも動きはなく言葉もない。無論、隣室で横たわる百見にも。


 かすみは唾を飲み込んで、口を開いた。

「あの。百見さんが言ってました、今日はわざと賀来さんを挑発したって。それで百見さんが標的になれば、敵の正体は賀来さんだ、って。……これから、どうするんですか」

 崇春は何か考えるように、腕組みをしてうつむいたままだ。

 かすみは警官に視線を向ける。

「伝法さんは、何かお考えが?」

渦生うずきでいい、名字は嫌いなんでな。……さっきも言ったように、警察としてどうこうできるわけじゃねえ。今からそいつんちに行って逮捕、とかはできねえわけだ。ことを荒立てねえように――少なくとも荒立ってないと見えるように――、明日の放課後、そいつの帰り道で俺と崇春が当たる。それで百見と、他の奴らを元に戻させる」


 とは言っても。戻すのを相手が拒否したら? 仮に力づくでそうさせたとして、その後は? 賀来をどうするのだ? 

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