第13話 謎の解法と、新たな謎
考えていたとき、崇春が腕組みしたまま口を開いた。
「しかし、じゃ。本当にガーライルの奴が正体なんか?」
「ガーラ……何?」
眉を寄せた渦生にかすみは言う。
「何ていうか、あだ名です。賀来さんの、崇春さん独自の」
納得したようにうなずき、渦生は言う。
「それなんだが。連絡を受けて俺も調べてみた。賀来留美子……前歴、非行歴無し――ああ、こりゃ俺の独り言だ。聞いたら忘れろ。個人情報流したとなりゃコレじゃ済まねえ」
自分の首を掻っ切るようなジェスチャーをしてから続けた。
「家族も同様だな、問題のあるような記録は無し。で、百見から聞いたこれのことだが。お前らも聞いてるか」
ポケットからスマートフォンを取り出し、操作した後で画面をこちらに向ける。カラベラ名義の、例のツイッター。
『おほほよかけさはわのわもすみ』『しむぬすけかあがせよめをばなさがゆ』『よこさけお とのうわてずを』
「俺も最初は何かと思ったが。こいつの頭がおかしいってわけじゃないようだな。ある意味こりゃあ、ちゃんとした文章だ」
また酒を注ぎ、一口飲んでから言う。
「これの連絡と一緒に、百見がいくつか解法の例を挙げてくれた。時間がないから俺の方で試してみてくれってな。その一発目でいきなりビンゴだ。シーザー暗号、っつったら分かるか?」
崇春が首をひねる。
「シーザー……サラダ? あのカリカリしたパンと粉のチーズが載った美味い――」
その先は聞き流したが、かすみには覚えがあった。昔のミステリー小説なんかで聞いたことがある。確か古典的な暗号の作り方で――
「シーザー暗号、だ。ROT13、とかも呼ばれるな。古代ローマ皇帝ジュリアス・シーザーが考えたといわれる暗号で、アルファベットを何文字か――ROT13では十三文字――後ろにずらして文を作る。で、こいつの場合。かな文字でそれをやってる、十三文字後ろに」
渦生がポケットから出した紙を広げる。そこに書かれたひらがなの列は、ツイッターの内容を十三文字後ろにずらしたものだろう。
『よちちのられわすましまにんて』『をとこんれらめがあのなみばくわがね』
「……ん?」
かすみの眉が思わず寄る。ずらしたとしても、全然文章になっていない。
「逆から読んでみろ」
「……『て、んに、ましますわれらのちちよ』『ねがわくばみなのあがめられんことを』」
また酒を口にしてから渦生が言う。
「『天にまします我らの父よ』『願わくば御名の崇められんことを』新約聖書、マタイ伝の六章九節。……実家の影響じゃねえが、俺も若い頃はオカルト系にハマってな。ツチノコとかネッシーにムー大陸……いや、そりゃいいが。こういうのがあるとか聞いたことがある。特定の人物を呪う呪文として、マタイ伝六章九節以下を逆に唱える。たとえば悪魔の象徴として、十字架を上下逆にした逆十字ってのもあるしな。逆さまに唱えることで神を
「……」
かすみが黙っていると、渦生は紙を裏返した。そこには書かれていた、暗号を解いた続きの文が――
『よれわろの みずかまやしき』
――『呪われよ 岸山一見』。
「むう……!」
崇春が歯を噛み締めた。
渦生は言う。
「この書き込みが今日の午後。で、それ以前にも同じ内容の書き込みがある……名前のところを別の生徒に置き換えたものが。百見から聞いた、倒れた生徒の名前とも一致する。谷﨑かすみ、お前の名前もある。書き込まれた日付も、それぞれ倒れた日、襲われた日と同じだ」
かすみはつぶやいた。
「つまり……確定、ってことですか」
渦生は無言でうなずいた。
「百見さんは……どうするんですか」
「どうせ後一日の話だ、このまま寝かせとく。必要な面倒は俺が見るが、一日ぐらいは食わなくても大丈夫だ。約三週間までは絶食しても人は死なねえ。水分は要るが」
「そう、ですか」
百見の方に目をやる。表情は普通に眠っているみたいで、何の違和感もない――そう思ったが、何かが違う。
そう考えて気がついたが、眼鏡がない。確かさっき崇春が吹っ飛ばしたままだ。
靴を脱いで上がり込み、部屋の中を見回す。隅の方に落ちていた眼鏡はすぐに見つかった。そして、その脇に置かれていたものの存在にも気づいた。学生鞄と、タイトルのないハードカバーの本。
「これって」
渦生が答える。
「ああ、そいつの荷物だ。倒れてた所に落ちてたから拾ってある。他には何もなかったはずだ」
「これ、百見さんがメモみたいに使ってた本です。……何か、書いてませんかね」
かすみは本を拾い上げた。確かに見覚えのある――覚えているのは崇春を叩いているところばかりだが――本だ。百見なら何か書き残してくれているのではないか。敵の正体だとか重要な情報を、倒れる前に。
そう考えると妙な重みを感じ、手が震える。しかし、勝手に見ていいものだろうか。
渦生が靴を脱ぐのももどかしく部屋に上がる。足早にかすみへ近づいた。
「なるほど、ダイイングメッセージってことか。貸せ」
引ったくるように本を取り上げ、手早くページを繰る。その手が止まり、視線が本の上を走る。
「……ダメだな、俺らが知ってる情報までだ。倒れる間際に書かれたようなもんはねえな」
本をこちらに向け、ページの内容を示す。左側のページには賀来の名前と自称――とその外国語の添削――、倒れた生徒の名前や家族から聞いた話のメモ。右側のページにはその続きが半分まで書かれ、残りは白紙となっていた。
本を受け取り、念のために前のページや、続きのページも
崇春が首をひねる。
「むう……ダイビング……メッセージ?」
潜ってどうするんだ。そう言いたかったがやめておいた。
眼鏡を拾い上げる。本の上に載せ、百見の傍らに置いた。
百見は本当に眠っているようだった。適当にかけられた毛布の下で小さく胸が上下し、呼吸しているのが分かる。けがもなく、特に苦しんでいるような様子はない。それでもその精神は今、あの地獄のような場所に囚われているのだろうか。他の生徒たちと同じく。
そう思い、かすみは小さく唇を噛む。
渦生が言う。
「まあ死んだわけじゃねえし、ダイイングメッセージなんて言うのも、縁起でもねえな。どうせ明日にはケリがつくんだ、二人とももう帰れ」
「うむ……」
崇春は何か考えるような表情でうなずく。
かすみもうなずいて、再び百見に目をやる。毛布から肩と肘がはみ出しているのが気になり、毛布を持ち上げてかけ直した。
「ん?」
そのときに見えた。毛布に隠れていた百見の右手、その甲。そこには黒々と、横一文字に線が引かれていた。ペンなどで書かれたのではない、おそらくは太い筆の跡が。
「何ですかね……これ」
崇春が言った。
「こりゃあ……
百見が
渦生が不精ひげの目立つあごに手をやる。
「だとして……何でこんな所に。何で、自分で書いた」
これはつまり。百見のダイイングメッセージということだろうか。
かすみはつぶやく。
「でも、何を伝えようと……そもそも横一文字? 実は縦棒? あるいは記号とか、本来何か続きがあるとか――」
そこまでで三人とも、うつむいたまま黙った。
崇春がつぶやく。
「むう……こんなとき、百見さえいてくれりゃあのう」
確かに、パッと答えを示してくれそうだが。その本人が残したメッセージで、当人は目の前で寝ている。
かすみは小さく息をつき、もう一度百見の手を見た。黒々とした筆跡は手の甲の端から端まで、くっきりと同じ太さで続き、ぴったりと途切れていた。
「むう?」
崇春が目を瞬かせる。
「どうしたんです?」
「いや、なんちゅうか。広目天の筆跡にしちゃ、なぁんか妙な気がしての」
「何か、って?」
「むう……」
巻いた布越しにばりばりと頭をかき、崇春はそれきり黙ってしまった。
渦生が大きく息をつく。
「ま、しょーがねえ。何にしろ正体は分かってるし、明日は二人がかりでやる。問題はねえよ」
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