離れない

お餅。

東堂カケラという少年

藤岡は最近疑問に思うことがあった。

それは同じクラスの東堂カケラのことだ。

彼らに接点は何一つない。成績優秀で周りからの信頼も厚い藤岡に反し、東堂は勉強に優れているわけでもないしよく話す友人もいない。共通点がある話ではないのだ。

なのに目で追ってしまう。それは、好奇心だった。東堂には何を考えているのかいまいち読み取れないところがあって、藤岡はどういうわけかそんな東堂の中身を想像することに病みつきになってしまったようなのだ。それは、たまたまタイミングがあってしまっただけかもしれない。しかし藤岡は、授業中でさえも、東堂のことを考えてしまうのだ。そんなことがなければ、授業に集中できているはずなのに。

藤岡は、東堂のことばかり考えてしまう自分について焦ったり、嫌悪したりはしていない。むしろ、東堂について考えることで、自分の中の強張ったものが解れるような気さえする。

自分は一体、東堂の何に惹かれているのだろう。自分に同性愛の気はないはずだ。だが確かに、東堂は藤岡の胸の中に居着いていた。

 ある夏の日、藤岡は意を決して東堂に尋ねる。放課後で、部活勢が教室を飛び出していった後の、何となくだらけた空気の中だった。東堂は一番後ろの窓際の席でまだぼんやりと空を眺めていた。まだ荷物もまとめ始めてはいない。

「東堂さ、今日用事ある?」

これといって緊張も感じない。むしろ、気分が良いと藤岡は感じる。

東堂はいつもの鋭い目を藤岡に向けると、気怠げに前髪を掻いた。彼の癖の一つだ。

「・・・あるっちゃある」

「何だよそれ。ないんだろ。ちょっと付き合ってくんない?」

誘いをかけてみると東堂はほんの数秒押し黙った。何かを頭の中で計算しているようにも見えた。

そして、ボソボソと言葉を放つ。

「付き合うってどこに?」

藤岡は自分の胸が期待でソワソワしだすのを感じる。東堂と過ごす時間の未来、いわば「可能性」という実感を胸の内で咀嚼する。

「まあ、どこかだよ。近くのカフェでもいいしさ。一度、お前と遊びに行きたいと思ってたんだ」

藤岡は珍しく素直にはにかんだ。乗り気には見えない東堂も、その笑顔を見ると断りづらくなったのか、立ち上がる。その十分後、二人は揃って教室を出ていた。クラスの女子が二人を見て何やら熱心に話し込んでいる声が聞こえたのを最後に、扉が閉まった。


 それから三時間して、藤岡は東堂の家にいた。

何も押しかけたのではない。藤岡は辞退しようとした。流石に遠慮の度合いは弁えている。しかし帰る途中で猛烈な雨が降り出したのだ。丁度東堂の家が近かったこともあり、緊急の雨宿りとして家に上がったのだった。東堂は初めは渋っていたのだが、全く好転しそうにない天気に目をやると、仕方ないといった様子で藤岡を誘った。藤岡とてそんな風に「止むを得ない」といった感じで家に誘われるぐらいならこのまま走って自分の家に帰った方がマシだったぐらいだ。

東堂の家は思いの外大きかった。

「風呂、使っていいよ」

東堂がタオルと服を渡してくれる。服はどうやら東堂のものらしい。「悪いな」と言いながら、その服の大きさに藤岡は驚いていた。普段猫背だからなのか、東堂の体格は見かけに反してがっしりしているらしい。

そんなことを意識する間柄でもないので、藤岡はさっさと風呂場の場所を聞きだして向かった。

 夏の制服を自分の体から外し始める。所々雨に濡れていて気持ち悪かったので、全て脱ぐとさっぱりする。

風呂場に入ってシャワーで肌を洗い流す。まさか東堂の家の風呂を借りる日が来るとは思わず、藤岡は自分の置かれている状況に滑稽さを感じていた。

東堂とわずかに距離が近くなったような気がした。指を肌に滑らせている時、ついさっきまで喫茶店で東堂としていた話を思い返した。

東堂は猫派らしい。

藤岡は犬派だ。

東堂は絵を描くのが好きらしい。

藤岡は勉強ばかりしている。

東堂は、両親が離婚して、もうこの家にはいないらしい。

・・・。

藤岡の指がピクリと止まる。自分は何気に、重大なことをしゃべらせてしまったんじゃないかと焦る。

あの時東堂の目は、どこか寂しげだったようにも思う。ボディーソープの泡を湯で洗い流しながら、藤岡は考えていた。あいつは実は寂しいんじゃないか。

髪をくしゃくしゃかき混ぜる。藤岡は決意した。もう少し東堂と仲良くしてやろう、と。本音は自分の方で東堂と仲良くしたいのだが、藤岡はそれにまだ気づかない。


 風呂場から出る直前、蒸気が自分の背を押したのを感じる。

東堂のスウェットを身につけて居間へ向かおうと廊下に出ると、東堂がいた。

「なんだよ、待っててくれたのか?」

「居間がわからないんじゃないかと思った」

東堂は周囲をチラチラ見ながら藤岡に告げた。何かを気にしているように思えないでもない素振りだった。

藤岡は、丁寧なやつだと思い、友達になれるかもしれないという期待を一層強く持った。


 そして居間へとたどり着く。広いわりに物の少ない空間だった。テーブルが一、椅子がそれを囲んで三脚ほど。隅の方にタンスや物が積まれている棚。これといって特徴のない、生活感もない居間だと思った。

藤岡は促されるままに椅子に座る。

「俺もシャワー浴びてくるから。ここで待っててくれ」

東堂は言う。藤岡は隅にあった本棚から一冊拝借していいかと尋ねた。

「いい。ただし絶対にここで待っていてくれ。別の部屋は絶対に開けるな。散らかってるから」

東堂は、優しく言う。彼がそんな風に穏やかな笑顔でものを言うことは少ないので、藤岡は内心嬉しかった。東堂が自分に慣れてきてくれたのかななんて暢気なことを思うのだった。

 数十分が経った。よく読むとホラーだという種類の本は、案外つまらなかった。藤岡はその本をテーブルに置くと、何となく立ち上がった。辺りを見回す。

広い。

その意識は心細いに変化した。

おそらくまだ雨が降っているのだろう。雨音はしないものの、薄暗さを感じるのだ。

ふと、尿意を感じた藤岡は、お手洗いの場所を聞くのを忘れたと思った。

「仕方ない、自分で探すか」

絶対にここで待っていろと言われたが、トイレは仕方がないだろう。

東堂の言いつけを破るのに、大した葛藤はなかった。

廊下に出る。

右手に一つ、左手に一つドアがある。どれも同じ形、色をしている。

確か風呂場はもっと奥だ。だから東堂にはバレっこない。

もう手当たり次第に扉を開けていくほかはないと思われた。少し申し訳なくも感じたが、尿意ばかりは人間の性だから仕方がないだろう。


そして藤岡は、左手のドアを、開けてしまったのだった。

一番開けてはいけないドアを。


ドアはギギギと嫌な音を立てた。

藤岡は、目の前の光景に、頭を殴られたような衝撃を感じた。

人が、座り込んでいる。その足には枷が嵌められている。

「あ・・・」

男だ。痩せている。髭が少し伸びている。見たところ、40代後半ぐらいか。

震えている。かくかくと膝が笑っている。そして声にならない声を上げ続けている。

「あ・・・う・・・」

男は藤岡に手を伸ばす。藤岡はさーっと血の気が失せていくのを感じて、よろける。

なんだこれなんだこれなんだこれ。

脳みそが沸きたったようにぐるぐるする。視界が揺れる、歪む。

これはなんだ。

「カケ、ラ・・・を責めないで、やってくれ。これは、あの子のせいじゃ、ないんだ」

男が枷を引きずりながらこっちに近づいてくる。藤岡は息を詰まらせて喚いた。

「く、来るなぁあああッ!」

「な、お願いだよ。警察に言わないでやってくれ。あの子はもう・・・」

男の言葉はもう耳に入らない。藤岡は叫び散らしていた。男の落ち窪んだ目も、骨が浮き出ている肩も、汗臭い匂いも、何もかもが悍ましく、この世のものじゃないと思ってしまうほど気味が悪い。

「話を聞いてくれればわかる・・・あの子は仕方ないんだ」

男が弱々しくいった時、藤岡の後ろで息を吐く音がする。

藤岡は金切声を上げた。後ろにいるのは、彼しかいなかった。


「開けた?」


冷たい声がした。

藤岡はもう悲鳴しか上げられなかった。後ろを振り向くことだってできない。

すると、風呂から上がったはずなのに冷たい指先が藤岡の喉仏をなぞった。するりと肌を滑るその感覚は明らかに他人のもので、異質だった。

指は藤岡の喉を掴んだ。

「ごめんな、怖い思いさせて」

その声は優しく、藤岡の耳元に囁かれる。

「でもお詫びに、お前が望むならまた遊んでやるからさ」

東堂はニコッと笑い、藤岡の髪をクシャりと撫でるのだった。


「このおじさんみたいに、さ」


藤岡の身体は、意識よりも早く逃げ出していた。

それから彼は、東堂のことを考えるだけで恐怖が内から蘇ってくるのを感じるようになった。



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離れない お餅。 @omotimotiti

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