49話
見上げる程に高い噴水は、今日だけは血の色で赤く染まっていた。立てられた十字架に吊られている二人が身動きを取ることはなく、そこに命はないことを表している。茶色の木はドス黒い赤がこびりつき、そして今も鮮やかな赤が流れていった。
(...あぁ、間に合わなかった)
レティシアは呆然とその場に膝をつく。目の前で起こっている事の理解を脳が拒んだ。レティシアの両親は全身から血を流しながらも、その顔は優しさを溢れ出ていた。だから、酷く心が痛んだ。
レティシアが感傷の中に座り込んでいる間にも、事態は進行していた。民衆の中に紛れていた
民衆はレティシアが涙する姿に嘲笑の声を漏らす。この場に集められた民衆は『調教師』から事前にこう伝え聞いていたのだ。
” レティシア・ネイアは悪魔に唆されて堕ちてしまった。しかしそれはこの二人の親の責任だ。奴らはレティシア・ネイアに悪魔の力を植え付けこの街を破壊しようと目論んでいたのだ。学院が破壊されたのも奴らの所為だ。だから我らは贖罪を支払わせる為の二人を吊るし、悪魔を浄化する剣を刺そう。そして悪魔に耳を貸してしまった愚かな少女を天使様の所へ送り、癒して貰うのだ。故に、レティシア・ネイアの中にいる悪魔を笑うのだ! 人を操る害虫が再び我らの前に現れない為に! ”
民衆はこれが正義の為、救済だと疑っていない。それほどに悪魔という存在と学院で出た死者の親族の恨みは強かった。
全てを知る『調教師』は民衆の滑稽さを侮蔑していた。つまらない嘘を確証もなく真実だと思い込んでいる姿は、産まれたばかりの赤子の様で、生きている価値を感じなかった。
だが、演技は続ける。最悪の殺し方を完遂するために。
「さあ! 我らの害悪は滅んだ! 次は彼女に、レティシア・ネイアに死の祝福を! 天使様のもとで魂を癒し、休めさせる為に!」
「そうだ! 殺せ!」
「悪魔は滅べ!」
「その存在が間違ってる!」
「よくも私の息子を!! 死ね、死んでしまえ!」
「「「悪魔は滅べ! 魔女は死ね!」」」
(くっ、ふはっ! ハーッハッハッハッハッ!!)
ああ、笑いが止まらない。全てが思い通りに進んでいる。愚かしいゴミの合唱を聴きながら『調教師』は最後の仕上げに掛かる。
「―――哀れな魔女に、祝福を!!」
「哀れな魔女に祝福を!」
「祝福を!」
「祝福を!」
「魔女に祝福を!!」
「死を! 死を!」
「愚かな少女に祝福を!!」
「「「哀れな魔女に祝福を!!!」」」
『調教師』は満足した。これ以上ない位の批判と屈辱。両親が殺され、他人は全て敵となったこの状況は正しく絶望するに値するだろう。思わず、愉悦の笑みが溢れてしまうが構わない。
「殺せ、聖騎士」
ひとりの聖騎士がレティシアに近づく。一振で首を落とそうとしているのだ。その聖騎士は祝福の為に、もっと苦しめるべきだと思っていたが命令では仕方ない。
剣を振り上げる。下を向いているレティシアの首はとても狙いやすい。決して、外すことはないだろう。
そして勢いよく振り下ろした。
「―――は?」
振った。
振り切った。
聖騎士は確かに、レティシアの首を斬ったのだ。その手応えはあったのだ。
しかしレティシアの首は繋がったまま。ああ、でも血が付いている。なら斬ったんだろう。自分は何を疑っていたのか。
その聖騎士は自らの成し遂げた役割を誇り、他の皆へ顔を向ける。
「...?」
振り向いた先は、一様に恐れた顔をしている。何をそんな、恐ろしい者を見たような顔をしているのか理解できなかった。
―――ベシャ!! ベシャ!!
目の前に、空から何かが落ちてきた。思わず、『それ』を見てしまう。
ふたつ、腕があった。
聖騎士団員が持つ手甲を着けていて、自分が大事にしている愛剣を握っていた。
「――《斬風》」
理解はそこまでだった。
その聖騎士は頭から真っ二つに切り裂かれて死んだ。ドスンと左右に倒れた死体は断面から血と内蔵が飛び出し、床を彩った。
「......そうですね。全部、私の責任です」
ゆっくりと突いた膝を上げながら、レティシアは呟く。
「ええ、そうです。何の偽りもなく、全部全部全部!!......私が間違っていた」
噛み締めた口の端から血が伝う。
レティシアは絶望していた。自分の弱さに、理不尽に勝てない無能さに。
レティシアは失望していた。理不尽を許容した世界に。何も考えない愚かしい民衆に。
「―――でも、貴方だけは許さない」
そして、それ以上に両親を殺した『調教師』を恨んだ、憎んだ、殺すことを、強く望んだ。
「そんなに悪魔の力が見たいなら、見せましょう。......暴れろ、《固体腫》! この場の全てを滅ぼせ!」
―――影が、大地を侵食する。
「なっ!?」
「なんだ、これは!?」
「悪魔が目覚めたのか!」
「早く殺せ!! 奴が何かしているに違いない!!」
レティシアの影は床を黒く染め上げた。火花が飛び散る様に影が弾け。海から出でる、クジラの様に影が山なりに盛り上がる。
「な、なんだ? これは......」
『それ』は黒い立方体だった。
全長は6m。表面はつるりと滑らかでデコボコひとつ見当たらない。内部から見える赤い光がドクン、ドクンと脈打っていた。前面と言う概念がないのだろうか、黒い立方体――《固体腫》はゆっくりと不規則に廻っていた。
《固体腫》の全面が花弁の様に広がった。中には幾つもの突起が生えた黒い粒が詰め込まれていた。ブニブニとした表体は鱗の様に網目状になっており時折ぶるりと動き、生きている事を主張していた。
「―――弾けろ」
同時、黒い粒が放たれた。
町を黒い流星の様に覆い、天の光の如く与えていく。だがそれは祝福ではない。レティシア・ネイアの憎悪の塊とも言っていい物だ。
「うわっ!? ち、近付くな!?」
「建物の中に入れ! あれに当たるな!!」
「一体、何をしたんだ!? あの悪魔は!?」
それは人体に何の違和感なく入り込む。聖騎士、民衆、共に何も起こらない事に疑問を持つが何もないならそれでいいとレティシアに敵意を向ける。そして、黒い粒の雨は振り終えた。《固体腫》の
粒が止んだ事に気づいた聖騎士達はレティシアの行動を最後の足掻きと思い、嘲笑した。
どうだ、と。
悪魔が何かをしても人間には効かないのだと誇るように、勇ましく歩く。
(馬鹿が! 何も起こらない訳ないだろう!)
唯一、《固体腫》の粒に当たらなかった『調教師』はその様子を見て罵倒を吐きかけた。そしてその予感は当たっている。
「―――寄生し、溶かし、喰らいなさい。」
瞬間、どろり、と人が溶けた。目も、髪も、肌や内蔵、服まで溶けて地面に消えた。
悲鳴はない。そんな暇はない程の、瞬く間の時間だった。
これがレティシアが神獣を生贄にして得た悪魔の力。
《
数々の眷属を創造、使役できる能力。その禍々しさと力は悪逆を尽くす悪魔の力に相応しい。
「おい、おいおい。......これは、不味い力だなぁ」
最後に残ったのはやはり『調教師』だ。一番殺したい男が生きている事に顔を顰めたレティシアは
『調教師』は向かってくる魔術に目を見開いたが、次の瞬間にはニヤリと笑い腰に佩いていた黒い刀の
刀が、瞬いた。
斬れる音は聞こえない。綺麗過ぎる程、滑らかに斬れた証拠だ。
魔術が打ち切れた。
後にあるのは壊れた町並みと、その場だけが切り抜かれたように綺麗なままの地面に立つ『調教師』のみ。思わずレティシアは舌打ちをしてしまう。
「――カッカッ! 良い、腕試しであるなぁ。しかし、次は俺の番よ」
無傷な『調教師』は懐から木彫りの笛を取り出した。ピーーー、と吹いた笛が音を鳴らす。
(何を?......あぁでも、関係ありません。何をしようと叩き潰す!)
『調教師』が何をしようと先に叩けばいいとレティシアは新たな眷属を創造する。
「乱射せよ、《属性腫》!」
再び《固体腫》の花弁が開く。中からは大人がギリギリ抱えられそうな大きさの様々な色を持つウニの様な生き物が勢いよく飛び出す。赤、青、黄、緑、白、黒、と空を覆い尽くす数が出てきた。
「《属性砲》! 一斉放射!」
レティシアの掛け声に《属性腫》の無数のトゲに魔力を込める。魔力の色はその《属性腫》の色と同じだ。それが砲弾となって『調教師』に向けて放たれる。
誇りが舞い、土が抉れ、町が壊れる。
およそ人は生きていけない状態の場となった所にレティシアは立ち、思う。
(っ!......仕留めっ、切れなかった!)
感覚でわかる。
あの屑は生きていると。
レティシアは思う。ああ、要らぬ感覚だ。失くなってしまえば良いのに...。
続く《属性砲》の雨は止むことはない。この攻撃はレティシアが止めるか、《属性腫》が全て消えない限り、止まらないのだから。つまり―――
『グアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』
レティシアが
強大な音と共に破壊がやってくる。
強い光を伴った渦を巻く咆哮は空を覆う《属性腫》の大半以上を消し飛ばした。
「っ!? これは...まさか、竜の
レティシアの予想は攻撃を放った本人が出てくることで明らかになる。
牙は鋭く、身体中にびっしりと白い鱗が敷き詰められている。前足と繋がった一対の翼は羽ばたくだけで有象無象を吹き飛ばすだろう。巨大な体躯を持った王者
それの名は―――竜。
「クッカッカッカ!! ようやく来たか...良き竜だろう? 『光竜』は俺の自慢の一体だからなぁ」
腕を広げ、天を仰ぎながら自慢する。カッカッカッカ!! と暫く笑った『調教師』は禍々しく口元を歪めた。
「―――そして、お前の
レティシアに向けて《属性腫》を殺した息吹が放たれる。
『グァアアアアアアアアアアアアアア!!!』
「煩わしい! 《氷風》!」
白き氷の風が白い息吹を喰らわんと迫る。互いの攻撃は拮抗する。
(この程度、私の敵ではありません!)
拮抗してしまうなら、させなければいい。レティシアは更に魔力を注ぎ込み、威力を強化させる。
魔術の特性上、魔力の量と密度に比例して威力は上がる。この理論上、魔力さえあれば世界を破壊する攻撃すら可能なのだ。
そんな規格外の理法を扱うレティシアはトカゲ一匹殺せないなど考えてもいない。
「――だから、言ったろう? お前の敗けだと」
―――しかしそれは、一匹であった時の話だ。
『グララララララララァ!!!!』
『jejtjfi3ufhehzywjqoepfur82ufu!?!?』
新たに2体。
赤い竜と黒い竜が光竜の息吹にも劣らない赤と黒の咆哮をレティシアへ放つ。
予想外の乱入にレティシアは驚いた。相手を、『調教師』を舐めていた訳ではない。しかし超越種族とも匹敵する竜を三体も使役できるとは考えていなかった。
また、思わず舌打ちをしたくなったが、その時間も惜しい。相殺は間に合わないと判断して防御の為、急いで魔術を編む。
「《砂城》!」
幾重の砂で出来た壁がレティシアを守らんと立ちはだかる。
「うっ、くっ!」
3つの息吹を同時に防いでいるレティシアは一気に劣勢となったことを理解した。レティシアが魔力で強化した魔術と拮抗できる竜が三体。そしておそらく、あぁ、認めたくはないがそれ以上の強さを持つだろう『調教師』。
今のままでは勝てないかもしれない。そんな考えが過る。
(―――ッ! 敗ける? ここで、私が? ......あり得ない。あり得てはいけない。別の誰かに敗けるのは良い、でもあの男には、敗けられない!)
「絶対に、殺す!!」
追い詰められたレティシアは身の安全を考慮しなくなった。《砂城》を解除し《氷風》のみに魔力を注ぐ。魔力供給が無くなった《砂城》は2つの息吹により、一瞬でその絶壁を崩しレティシアに迫る。
「......マヌケが、詰まらぬ敗け方をしやがる。やはり所詮は悪魔に乗っ取られた敗者、俺とは格が違ったか」
詰まらなさそうに『調教師』は語る。結果が判り切った行動を取ったレティシアに、失望が隠せないと言わんばかりに、溜め息を吐いた。
「これにて任務は終わりだ。帰るぞ、俺の竜共」
息吹で壊れた場に背を向けて『調教師』は帰還を告げた。
「ジクニア王にも良い報告が出来そうだ」
ふと、呟いてしまう。それが、致命的だった。
「―――あぁ、やっぱり敵は国だったのですね?」
「な、にっ!? うぐっ!!」
『調教師』の腹に短剣が深々と突き刺さっていた。後ろを振り返ると、笑顔に口を歪ませるレティシアが頭から血を流して立っていた。
「やっぱり、やっぱりやっぱりやっぱり!! 私とルネさんが立てた仮説は正しかった! 敵はこの国そのものだった!......あぁ、でも、それだとこのクズひとりを殺すだけでは足りませんね。もっとたくさん殺さないと、精算が会わない」
『調教師』は自らの失敗に気付いた。
今、レティシアは『調教師』だけを定めていた視線を国という群に移したのだ。あまりに愚かな失態。
「ほぅ? お前がそれをするなら、尚更殺さないとなぁ」
今ここで殺さなければ、きっと国に被害が出る。それは『調教師』にとって許容できない事柄だった。後ろにいることはわかっている。なら、後は殺すだけ。
刀が瞬く―――。
が、気付く。
城壁の上、ひとりの男が『調教師』を見ていることを。そして、その男を『調教師』はよく知っている。
(おい......おいおいおいおい、おい! 『厄災』がいるなんて聞いてないぞ!)
全世界の指名手配犯であり、国を幾つも
(ルネ・アペシス!!)
ルネを視界に入れた『調教師』はすぐに指針を変更する。レティシアの両腕を切り落とし、光竜の背中に飛び乗った。
「っ!」
「今すぐにでもお前を殺したい所だったが......あれの相手はしたくないでなぁ」
「ま、待ちなさい! 逃げるな!」
「じゃあな、女。時が来たら殺してやる」
そうして、『調教師』は空高くに消えていった。
レティシアの復讐は果たされなかったのだ。
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