45話 『御影』
翌日、レティシアは早朝の散歩に出掛けた。やはり今の身体に馴染むには動くのが良いと思ったからだ。
(ん~、やはり身体に問題はなさそうですね。変わったのは能力と魔力だけですか。)
案の定と言うべきか身体能力は儀式前と変わりはなく、気疲れの所為か身体が重く感じる程度だ。今の所は大丈夫だと判断した。
しかし不満だ。
魔力の操作技術が鈍っているのだ。おそらく今までと全く質の違う魔力になってしまった為に扱いに苦戦しているのだとレティシアは考えている。一朝一夕で身につけた技術ではなかったので、やはりこれまでの努力が殆ど無駄になってしまい悲しいようだ。
しかし元に戻すにしてもすぐに、とはいかないことを知っているレティシアは密かに肩を落とし、最近はこんな事が多いなと思い返す。
ふと辺りを見回すと早い時間にも関わらず多くの住民が買い物や仕事をしている。住民が放つ喧騒は活気があり、まるでお祭りの様だ。
(朝の市場には行ったことがなかったですけど、こんな感じなんでしょうか)
魔術に用いる道具などは基本夜の路地裏にしか売っていないのでレティシアは朝に出歩くことはほとんどと言っていいほどなかった。そのほとんどもカルナに連れ出されていないとなかったのだ。カルナにはとてつもなく呆れられた時は思わず目を逸らしたことは懐かしい。
いつもとは違う活気と雰囲気が妙に気分を浮きだたせていることに気づき、レティシアは朝の市場を徘徊することを決めた。
改めて見てみると売っているのは食料や日用品、玩具が少しいったところで目新しい物はなかったが、自分でそれらを見ていく事が不思議と楽しく、悪い気はしなかった。途中で買った甘い小さいパンを片手に人の流れに沿って歩きながらそう思う。
少ししてたどり着いたのは真ん中に大きな花壇がある広場だ。踏みしめる足場はおそらく塗料でも混ぜているのだろう、複数の色のレンガが花壇に咲いている花を中心に彩っている。
この趣向を見ていると『魔法庫』のことをレティシアは思い出す。
あれらも周りの景色を利用して発動していたものなので自然と既視感を感じたのだ。
(……ん、既視感? この場所に?)
ふと、何かが浮かびかけたが視界の端に映った人だかりが気になり考えることを止めてしまう。どうやら住民は広場に置いてある掲示板に集まっているようだった。前に人が多く、レティシアからは見えない。そこで丁度人だかりから抜け出してきた住民を発見したレティシアは何があったのか訊きに行くことにした。
「失礼、少々お訊きしたいのですが」
「ん? おお、これは綺麗なお嬢さんだね」
「ありがとうございます。それで、なぜ皆さんがこんなに集まっているのですか?」
「ああ、さっき速報が出てね。なんでもカルセナクで起こった学院の襲撃者を捕えたらしい」
「……本当ですか」
「もちろん。それで処刑が執り行われるらしくてね。今までこの国でそんな事は一度としてなかったからねぇ、他も混乱しているんだ」
「なるほど、そうでしたか……貴重なお話、ありがどうございました。それでは」
「最近は物騒だから気をつけなよ」
親切な住民と別れたレティシアは先程聞いた速報の紙を見るべく人混みの中へと進む。
(……襲撃者を捕えた、ですか。まぁ、確実に【滅幻の洞穴】ではないでしょうね。あれらが捕まることなんて考えられないですし)
おそらく国、もしくはラジェストス率いる【滅幻の洞穴】が用意した影武者だろうと推測する。長年に渡り侵入者を阻んできた要塞を攻略したのだ、そんな組織員を短期間に捕えるのは不可能に近い。
学院の襲撃に成功したのはそれほどまでに凄まじい事なのだ。国は政府の威信の為に、【滅幻の洞穴】は自分たちの組織が目立つのを嫌った為に、そんなところだろう。
レティシアとしては前者の方が可能性が高いと思っている。
そもそも生まれてこの方、【滅幻の洞穴】という組織は聞いたことがなかった。この手の組織は必ずと言っていい程にどこからか情報が漏れるのだ。あの【愚者の軍勢】ですらそうなのだから。
ただそれが理由の中心ではない。何よりあの男がこんな穴だらけの策を講じる訳がないと妙な信頼をラジェストスに抱いていたからだ。個人的には死んでほしいと思っているのは内緒ではない。
掲示板に辿り着き張り付けてある紙を見る。そこには“襲撃者を捕まえた。処刑を行う”という事実のみで肝心の内容が抜けていた。
(誰が処刑されるんでしょうか。……まぁ、国も厄介な人間を殺す機会ですしね。後ろ暗い事をしている貴族とかそんなでしょうね)
処刑される人間のことは気になったがレティシアにとってはどうでもいいので考察は途中で止める。
あとはルネに伝える内容を整理しながら宿屋へと急いだのだった。
「······処刑、ね」
「詳細の程は書かれていなかったので私にもわかりませんが······」
申し訳なさそうに語った言葉を聞いてルネは面倒そうな顔をした。
「······レティシアさんの言う通り、これは国の政策だろう。·········やり口が俺の知り合いと似ている」
【滅幻の洞穴】の仕業ではないとルネは言った。レティシアの話した推測はほとんどが的を得ていると思ったからだ。それ以上の推測をルネは提示できないのも理由のひとつである。
「知り合い、ですか」
「あぁ、交流があるわけじゃないが·······王国の闇だよ」
王国の闇と言う言葉を聞き、レティシアの反応は遅れる。彼女の様子が変わった気がしたルネは慮るように首を傾げた、がレティシアは大丈夫だと首を横に振った。どうにも大事ではなさそうだったが踏み込む必要はないとルネは言葉を続ける。
「暗殺部隊【刹那】。ひとり1人が実力者の集団だ。この国で敵に回せば面倒になるだろうな」
「········その言い方だと、まるで相手をしたことがあるように聞こえますが?」
暗にそうなのか、とレティシアは問うた。常々思っていたのだ。彼――ルネの強さはおかしいと。自分に付いてくるだけの身体能力に突然に出す大剣。特に神獣である雷鳥を脅威とも思っていない態度はレティシアが唯一知る圧倒的強者、銀印を持った【核獣】と似通っている。
「……あぁ、あるよ。過去に何度も、な」
懐かしそうに目を細め、ルネは遠くを見つめる。昔に思いを馳せる老人を思い起こす様子にレティシアはルネが泣いている様にも見え、それほどまでに深い思い出なのだろうとこれ以上に追求をすることはなかった。
「·······それでどうする? 処刑は明後日だけど、出発を遅らせるか?」
「いえ、予定通りでいいです」
この程度で予定を狂わせる事はしたくない、とレティシアは首を横に振りながら言う。まぁそうだろうとルネも特に反論はなかった。
「わかった。でも気が変わったら言ってくれ。俺は何時でも動けるから」
「はい」
その返事は、どうにも不安に思えた。
夜、月明かり以外の光が見えない森の奥深くにレティシアはいた。
「……なるほど、改めて面白い力ですね」
彼女がなぜ真夜中にこんな場所にいるのか。それは新たな力の実験だ。
本当ならば日がな一日検証と実験を繰り返していたい程なのだが、無暗に人に晒すことはしたくはなかった。なので仕方なく夜の森限定ですることとしたのだ。
もちろんルネの許可は取っている。さすがにこれ以上彼を怒らせることは懲りたらしい。
「それにしても悪魔とは……いえ、超越種はずるいですね。こんな能力を元から持っているなんて」
彼女の常識として、人はそこまで大きな力は持てないというものがある。稀に強大な『覚能』を持つ者は現れるがその代わりに様々な制限を背負わなければいけない。つまりプラスとマイナスが釣り合っている状態が保たれているのだ。
しかしそんな制限を受けない生物が何種か存在している。その者たちは自らを超越種と呼称し世界の覇権を争った、とされている。もう、何千年も昔の話だが……。
超越種はまるで目を疑うような力を振るい戦った。
人間が
そしてそれはレティシアも実感している。本に封印されていた悪魔が仕掛けた精神攻撃。あれは魔術で再現することは今のレティシアには不可能であった。
人として既に反則的な力を持っているレティシアでさえ抵抗できなかったのだ。あれはズルいと思いさえしていた。だが悪魔の力は既にレティシアの手にある。
新たな反則を持ったのだ。
これからレティシアはさらに強くなるだろう。きっと、世界にいる強者の最上位にすらもいつか手が届く日がくるかもしれない······。
(そろそろ帰りましょう。夜が明ける前に着いておかないとルネさんに心配を掛けてしまいますからね)
悪魔の能力、その検証を終わらせたレティシアは宿に戻ることを決める。もっとやっていたい気持ちがあるが休息を取るのも必要だ。なによりルネが怖かった。
「―――モう、かえルの?」
「!?!?」
咄嗟に《暴風》を放ち、短剣に《残風》を付与したまま声の聞こえた方向へ横凪に剣を振るう。避ける事が難しい範囲攻撃に核獣を一撃で倒せる風の斬撃が強烈な音を立てながら迫る。
少なくとも無傷ではいられないだろう攻め手だ。
そしてその時初めて、レティシアは敵を視界にいれる。
―――“影”
それが第一印象。
人の形をしている事が辛うじてわかるが、後はただ暗い、それだけしかわからない。
「このテいド?」
―――その言葉を皮切りに魔術が立てていた音はぴたりと止んだ。
「なっ········魔術を、打ち消したんですか」
そんな事が出来るのは変覚持ちか、魔術の使い手のみ。それも同レベルの。相手は自分と同じ魔術使いであると察したレティシアは《身体強化》を発動する。
「っ······」
「いたミ、マス?」
「·······うるさい、ですね」
焼ききれそうな痛みをレティシアは感じていた。原因は判っている。
「まリョくをツカいすぎ、でス。······その魔術ヲ、ヤメないト·····」
全くもってその通り。
元々儀式の影響で魔力制御が離れている中で先程、暴走気味の魔力を全開で使った。その所為で魔力が流れる場所――人体でいう血管が痛んでいるのだ。これ以上に魔力を使えば何らかの後遺症が残るかもしれない。
「······敵がいる前で、警戒を解けと? 笑わせないでくれますか。そんなに解いて欲しければアナタが死ぬか消えればいい」
だが、そんな状態でも死ぬよりはましだ。
“影”は強い。同じ匂いがするのだ。
核獣と、
ラジェストスと、
そして、ルネと。
油断など、出来るわけがない。
警戒を緩めずに痛む身体を奮わせる。その様子を見ていただろう“影”はそっと一歩後ろに下がる。
「·······たたカいニきタのでハ、なイ、ヨ」
「······では、なにをしに?」
後ろに下がった“影”に訝しげな声で問う。“影”の顔は暗いので表面から読めるはずの感情が読めない。その為、言葉のみで判断しなければいけないレティシアは聞き分ける為、そっと耳を澄ませた。
「しょけイの、コト」
処刑、それを聞いて朝に見た速報を思い出す。ただその位しかレティシアには心当たりがなかった。
「しょけイ、されルの、は、あなたノ、りょうシん」
「―――っ!」
出鱈目かと思った。しかしそれをレティシアに言う必要はない。なら、この“影”が言うことが本当か、というと違う。······いや、違っていてほしかった。
「······イカないト、コウかイ、するヨ」
「っ······あなたの言葉には、信憑性がありません。それは、信じるに値しない…」
“影”はただ揺れる。
何も言葉を話さない。だから、それが先程の答えなのだろうと思わず眉を顰めた。
「ふふ……あア、ケイじばンを、ミると、いイヨ。……モう、ノっているカラ」
「!………待ちなさい! あなたは何者なんですか!」
―――――『御影』
そう言って“影”――『御影』は夜の闇に溶けていった。漸くそこで、レティシアは全ての魔術を解く。魔術の継続が限界だったのだ。
次いで焼け焦げたような、火傷をした時の感覚が全身を包む。魔力回路の負担はレティシアが考えていたよりも大きかったらしい。身体が痙攣を起こし、意識が朦朧としてしまう。
(――確かめないと)
ふらついた足で歩を進める。距離感覚が失くなっていくを感じては、遂にその場で膝をついてしまう。意識は風前の灯火だった。
「――大丈夫か、レティシアさん」
ひとつ、声がした。
消えそうな視界の中、振り絞って顔を上げるとそこには戦闘の為の黒い装束を身に付けたルネが険しい顔でレティシアを案じていた。
「遅れた。····っ······悪いが、触るぞ」
そう言って痙攣を起こしている身体を触る。首、顔、手と足にお腹。厭らしい触り方ではなくただ添えるだけのもの。だが、ルネの顔は顰められたままだ。
「魔力回路の不調だな。レティシアさん、全力で魔力を使ったな? こうなる事は分かっていたはずだろうに······まぁ、いい」
触れる事を止めたルネはポケットから小さな小瓶を取り出した。
「これを飲んでくれ。魔力回路の痛みを鈍化して、直してくれる」
小瓶の蓋を開けてレティシアの口元へと近づける。だが、それを飲む力がレティシアにはなかった。
「······後で殴ってくれていい」
ルネは薬を自分の口に含み、レティシアに直接飲ませた。
「うっ·····く······ぱはっ」
飲みずらそうではあったが薬を飲んだレティシアは次第に呼吸が落ち着き静かな眠りに付いた。その様子から危険域は脱したことがわかったのでルネは彼女を背負い、宿へと歩く。
本当なら直ぐ様ベットに入れる為に走る所だが、先程まで痙攣していた患者を持ちながらは流石にするわけにはいかない。
「はぁ、どうしてレティシアさんには危険が押し寄せるのか········俺も、気を緩めれないな」
空を仰ぎながら、ひとり呟く。
月は雲に隠れてもなお、妖しく輝いていたのだ。
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