31話 来訪する恩人





 翌日、レティシアはのんびりとリビングでお茶を楽しんでいた。


 昨日は疲れて寝てしまったが本来やることはまだまだたくさんあったレティシアは起きて最初にしたことは身辺の処分だ。

 何故? と問われれば、持ち前の嫌な予感が物的証拠・・・・を残しておくことを許しはしなかったからだろう。


「これで、研究が盗まれることはないでしょう」


 倉庫の中ももちろん一掃した・・・・。レティシアが隠す最たる物の一部と言えなくもないのだから。



 そうして全て終わらせたレティシアは人を迎え入れる準備をして待っていた。


 そう、今日はルネが訪ねてくれる日なのだ。

 今朝、起きるとお昼前に訪ねる旨が書かれた手紙がレティシアの机に置いてあった。········何故か、やたらと女子力が高そうな便箋であることに微妙な気持ちになったのは、そこらの技能が高くないレティシアだからだろうか。


 その抵抗と言えるのだろうか。

 レティシアは白いスカートに淡い水色のワイシャツを来ていた。当然裾はスカートの中に入れている。

 不思議と大人っぽさを感じる服装に合わせて、髪型はポニーテールにしていたレティシアはいつもは隠れて見えないうなじを見え、またそれが大人を引き立てたいるように思えた。



 レティシアの両親は今、家にいない。

 二人は朝早くに仕事に出掛けてしまったからだ。


 思考を止めてゆっくりと紅茶を口に流す。味にたいしてこだわりもなく、作法も気にしないレティシアは面倒な紅茶の嗜み方などはしない。

 しかし気軽に紅茶を飲むレティシアの振る舞いは気品に溢れていると言って良いものだった。これが持って生まれた素質と言うものなのかもしれない。




 しばらくゆっくりと時間が経つ感覚を味わっているとコンコン、と快活なノックが鳴る。

 いつもは家にいるベレニスが出てくれるのだが今はいないのでレティシアが扉を開ける。

 訪ねてきた人に誰何するだけ。それだけの動作が何故か今のレティシアには重く感じられてしまった。

 ゆっくりと扉を開けるとそこに居たのはルネだった。


――ああ、来てくれた。


 よくわからない感動を覚えたがレティシアはその反応を特に顕にしなかった。


「来てくれてありがとうございます」

「ああ、いいさ。こっちこそ悪いな、こんな急に来て」


 軽く頭を下げるレティシアに言い返すルネは申し訳なさそうな顔をしている。


「今日の服、似合ってるよ」

「―――·····」


 そんなことはないとレティシアは首を横に振り、早速ルネを家に入るよう言う。


「どうぞ中へ」


 その恭しさに若干目を引かれたがすぐに意識を戻しルネは家にお邪魔させてもらうことにした。


「じゃあ、お邪魔するよ」


 ルネが家に入るのを見たレティシアは自分がいつもよりも浮かれていることには気付かなかった。








 レティシアの家に入ったルネはぐるりと辺りを観察した。


(流石は歴史ある家柄だな。素晴らしい屋敷だ。ここまでの屋敷を保持できる財力があって、今の・・人材不足が信じられない)


 二階建ての大きい屋敷、そんなどこにでもありそうな印象だったが屋敷内は小国の内装と大差ないのでは? とルネは思った。


 ちなみにレティシアが後ろでじっとルネのことを見ていることにルネは敢えて触れていない。ルネの屋敷にいた頃からレティシアはいつもこんな感じだったからだ。もう慣れたルネだった。


 ルネの視線に気付いたレティシアは小首を傾げ、不思議そうな目に変わった。


 その様子にわからない位の苦笑をひとつ洩らしたルネだった。




□□□




「どうぞ、熱いので気をつけてください」

「ありがとう。戴くよ」


 あのあと二人はリビングでお茶をすることにした。


 今回の目的は助けてくれたお礼だ。それをルネもわかっているのでお昼前に来たのだ。

 ルネの計画ではお昼をご相伴に預かり、それをお礼とすることでこの場を乗り切る、といった作戦だった。

 まぁ、何とかなるだろ。と考えながらルネはレティシアが淹れてくれた紅茶に口をつける。


「·······美味いな」


 その一言で何処かほっとした様子を見せるレティシアは次いで紅茶を飲み、味を確かめる。


(うん、問題なく美味しいですね)


 今まで何万と繰り返してきた作業だ。そう簡単には失敗しない。


「それは良かったです。········それにしても昨日は何をしていたんですか? 用事にして急だったので驚きました」

「·········ん、昨日か? 少し気になることがあってな、調べることにしたんだ」

「気になること、ですか。········お訊きしても?」


 躊躇いながらもレティシアはルネに訊いた。


 同時に己の感情の変化に驚きもした。


 躊躇った・・・・のだ。

 あのレティシアが、他人に対して。

 躊躇うなどしたのはレティシアの両親かカルナ以来だった。だからか少し身じろぎをしながら、瞳を宙に彷徨わせた。


「·········その前に、ひとつ訊きたいんだが······」

「·······はい、何をですか?」


 レティシアの質問を差し置いて、ルネは別の質問を投げ掛けることにした。

 レティシアの返事があった後、一度紅茶に口をつけて間を置く。これからの質問はルネにとって重要になるかもしれないからだ。


 息を吐き、言う。




「··········レティシアさん······『本』を開けたな?」




「っ!?」



 純粋に、驚いた。

 しかし、その驚きを置いてレティシアは返答する。



「········はい。でも、どうしてわかったのですか? 貴方は『本』の中に何があるのかわからないと言っていたのに·····」

「それも後で答えるよ。·········開けてしまったのは仕方ない。······けれど、もうひとつだけ質問したい」


 ここからが本番、そう言える雰囲気をルネは出す。しかし、それにレティシアが身構えることはなく、自然体でルネと向き合う。




―――“中に居たのは悪魔か?”



「······すごいですね。その通りです」



(まるで、全て知っているかのよう。――いえ、問うというより確認を取っていると言った方が正しいのかもしれませんね)


 質問の合間の思考が恐ろしく冷静にルネのことを分析してしまう。


「そうか。··········わかった、済まないな、こんな時につまらない話だった」

「いえ、大丈夫です」


 ルネの真剣な顔はいつもの柔らかいものへと戻り、レティシアは息を無意識に吐いた。


(······ルネさんは、何も訊かないのですね)


 本当ならもっと事の詳細を求めていたはずだと、ルネが発していた雰囲気から何か大事なことがそこにはあったのだろうと、レティシアは思っていた。


 だが、訊かなかった。

 訊いてほしくないと他ならぬレティシアが思っていたから。


(·······ありがとうございます)


 レティシアはほんの数瞬、目を瞑りルネに向けて感謝を唱えた。





□□□






「それで、昨日の話だったな」

「はい」


 ゆったり・・・・とした・・・調ルネは話す。


「······学院に、行ってたんだ」

「学院に?」


 少々予想外な場所にレティシアは疑問の声を出す。


「ああ、どうも変な歪み・・を感じたんでな。行ってみたんだ」


 歪み、その言葉にレティシアは思い当たる節があった。


「········それは図書館のこと、ですか?」

「·······そうだが······あ~、なるほど。図書館から『魔法庫』に繋がっているのか。·······それを知ってるってことは、レティシアさんはそこから入ったのか?」


 瞬時に理解の火を灯す。

 レティシアはコクリと首を縦に振る。


「ですが問題は······」

「ああ、問題はなんで今も・・・・・でいるか・・・・だ。俺は辺りを調べはしたが特に異常はなかった」


 二人して思考の海を精査していく。

 回答は遥か遠くに感じているが不思議と二人は気楽だった。もしかすると他者はそれを楽観と言うのかも知れないが二人はそうは思わない。


「可能性として高いのは、やはり任意で起動し続けているというのでは?」

「そうだな········確か先に入っていたのは『滅幻の洞穴』だったな」



 ルネの確認にレティシアは頷く。しかし内心は微妙の一言だった。ラジェストスが先に『魔法庫』の鍵を開けていたからレティシアは入ることが出来た。逆に言えばラジェストスがしなければレティシアは今も『魔法庫』には辿り着けてはいないのだ。

 自らの力に相当の自負を持っているレティシアとしてはあまり嬉しい事実ではなかった。



「ならそれもあり得るが、もっと別の可能性もある。········例えば、図書館自体が無関係、とかな」

「········今、悪さをしている者がいると?」

「今のカルセナクの現状を考えれば良い線いってると思う。········俺としてはレティシアさんが言った可能性と並んで推したい」


 確かにあり得る、そう思わされた。

 今のカルセナクは前代未聞の事態に陥ってしまい、本来の半分もその機能を活用できてはいないようにレティシアは感じていた。


 それを思えば、闇組織や他国の諜報員などの明確な国の敵は付け狙うだろう。そして飛躍してここを崩しに来る、なんてこともあり得るだろう。


「·······一番あり得ない可能性は、なんだと思いますか?」


 だからか、レティシアは少し訊いてみたくなった。

 ルネにとってのあり得ないことを。


「······一番あり得ない可能性、か······」


 腕を組み、上を見上げながら考えに耽るルネの姿を、レティシアは静かに見る。



 レティシアは、ルネの瞳がお気に入りだった。その優しい色が初めから。


 今もルネの優しい瞳の色は消えることはなく、それが隠れた感情を治めていくのをレティシアは実感した。


 考えを纏めたのかルネは上に向けた顔をぼうっとしていたレティシアにゆっくり向ける。



―――静寂



 そう言うしかないルネの雰囲気に、レティシアは息を呑んだ。


 しかしそれも直ぐさま霧散し、ニッと笑う。



「――君が俺を裏切ること」

「―――――······」


 レティシアは何故かルネを見ることが出来なくなり、顔を俯かせる。

 ルネはそれを見守り、紅茶を飲みながら、ひとり呟く。


「········歪みの調査は継続だな。長くなりそうだ」


 ぴくりとレティシアは反応する。

 そして少しして、ポツリとルネに言った。


「·······私も、付いていってもいいですか?」

「ん?·······それは、どうしてだ?」


 いきなりのレティシアの発言に否定も肯定もせず、理由を訊く。


(この子は賢い、この件は危険なことも承知のはずだ。·······実際に死に掛かっていたしな。)


 それがわかっていて、来たいと言った理由がルネは気になった。·········この小さな賢者の······心が知りたかった。


「········あの図書館から『魔法庫』への道は空間魔術が必要でした。ですので何かしら役に立てるかと思ったからです」


 きっぱりとレティシアは理由を告げる。しかしさっきの名残か、視線は何処かに飛んでいたが······。


「·········」


 黙り、じっとレティシアを見つめる。

 それを視線を向けずとも感じているレティシアは口に少しだけ力を入れる。


 再び重い空気が漂う。

 そこでひとつ、ルネが呼ぶ。


「·············レティシアさん?」

「········ごめんなさい、実は―――――」


 自分が同行したい真意をルネに告げる。

 つまり、あの図書館を解析しに行きたい旨を言った。


「········ごめんなさい」

「·······くっ、あっはははは!」


 表情を変えずにしょんぼりとするレティシアを見て、ルネは笑う。


――ああ、可愛らしい。


 賢く、強く、可憐。

 本気でそう思った。


「あはは、······まったく、仕方ないな。·······いいよ、行こうか」

「!! ありがとうございます」

「······ああ、どういたしまして」

「··········」


 ニコニコとルネが笑う。

 それがちょっと気にくわないレティシアは紅茶を両手で持ち、飲んだ。


 不満がレティシアの目に宿ったのを見たルネはここまでかな、と笑うのを意図的にやめる。·······内心は今も笑っているが·····。




「····じゃあ、これからの事を話そうか」







□□□





「今日はありがとう、レティシアさん。楽しかったよ」

「こちらこそ、大した礼も出来ずにごめんなさい」


 夕方前、ルネは明日の・・・準備を理由に帰ると言い、レティシアはその見送りをしている所だ。


「別に気にしてないよ。楽しかったのは確かだ」

「·······そうですか。それはよかった」


 表情を変えずに何処かほっとした雰囲気を見せる。


「じゃあ、また明日な」

「はい」


 簡素な言葉を最後に交わし、ルネは帰っていった。


(明日······ここが勝負所ですね)


 ふと、そんなことを思いレティシアは振り返り、自分の屋敷を見た。


「こことも、そろそろお別れかも知れません」


 それはきっと、誰が訊いてもわかるほど、悲しい色合いの声だった。




 




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