29話 悪魔の血と予兆
「―――無事、戻ってくれましたね」
レティシアは目を覚ました。
面白い体験の余韻に浸り、ぽ~っとして床を見つめていたが、ふと自分の今の状況に気がつく。
今、レティシアはナニカに乗っ取られた時の保険として
「·········」
なんだか、もうちょっとやり方があったんじゃないか、とレティシアは自身の冷静な部分が囁いているのを感じた。が、それを考えるのは嫌だったので無視して《怨鎖》を解いた。
何事もなかったかのように立ち上がり―――ようやく気づく。
「ぁ、っぁ········」
それは紫の髪を持つ女性だった。
肌は黒く、目は青。そしてなにより特徴的な首もとに浮き出る紋様。
その正体を知っているレティシアは落ち着いてその女を見ていた。
「まさか伝説とも名高い悪魔に会えるとは······うむぅ、しかし、素直に喜んだら良いのでしょうか。封印を解いてあげたのに乗っ取ろうとすることを怒れば良いのでしょうか。········まぁ、それはいいでしょう」
悪魔は瀕死だった。
その様子を見てレティシアは察する。
「よかった。成功しました」
悪魔にとって血は魂に次いで重要とされている。そのことを知ってレティシアは
ここからはレティシアの推測だが、彼女は悪魔の血は能力そのものではないかと考えた。
それは文献にも書いてあった血が重要という一節に違和感を感じ取ったからだ。
そしてレティシアの推測は当たっている。
悪魔は血を全損しようとも死なない。悪魔が死ぬ条件は魂の破壊、それだけだ。
なら、何故血が重要なのかはレティシアの推測道理、血そのものが能力だからだ。もっと詳しく言うと悪魔の能力が形を持ったものが悪魔の血だ。
「······思いの外、違和感はありませんね。これは要観察です」
レティシアは自身の心の中で
悪魔の能力は様々でひとつとは限らない。しかし共通して持っている――今回レティシアが受けた心の中に入り込む力――能力は悪魔本人が魂を露出した状態で入らなければいけないという条件が存在していた。
なら女悪魔の魂があの醜いを通り越して存在自体が汚ならしく感じた蛙なのかと言えばそれは違う。
確かに現実世界で悪魔を殺す方法、つまり魂を傷つける方法は無いとされている。しかし魂のみが存在できる心の中だけは、違う。その時だけ
そして実際、レティシアは殺した。
なら、何故、女悪魔は瀕死とはいえ生きているのか?
繰り返すが悪魔の能力はひとつではない。
あの蛙こそが女悪魔のもうひとつの能力だった。
それは魂の代わりに血で己の化身を作る能力。まぁ、端的に言えば身代わりだ。
そして倒したとしても本来は悪魔の血をどうすることも出来ない。だからレティシアは血を燃やそうとしたができなかったのだ。
故に
最後に発動させた魔術陣、それは所有権の強奪を目的としたものだった。
そして強奪した結果、その悪魔の血はレティシアの身体に馴染む。
それも予測してやったのだが、思ったより身体に違和感が無かったのでレティシアは不思議がっていたが、今はどうでもいいとばかりに女悪魔に向き直り、手を翳す。
「消えなさい」
《斬風》で女悪魔の首を切る。
死にはしないがもう首から上は動かないだろう。
レティシアは女悪魔の目と口を布で塞ぎ身体と共に魔術道具を置いてある倉庫に放り込んだ。そこにいれたのは勿論
そこでやっとレティシアは肩から力を抜いた。
「ふぅ、今日も疲れてしまいました。······寝よう」
そのまま寝ることにしたレティシアであった。
西のルフイア誓領国
そこは数千年と続いている3つの国と違い、建国して数百年しか立っていない国だった。
しかしそれでも多大な権威を誇る『天四大国』のひとつに数えられているのは神聖教会の総本山があるからだろう。
神聖教会のとある部屋に最高司祭である【正命皇】と呼ばれる女性がいた。
「········うむ、厄介だな」
「どうかなさいましたか?」
緑色の髪を持つ側付きの少女が正命皇に尋ねる。
「ああ、嫌だ嫌だ。どうしてこうも邪魔が入るのか。いや、それも仕方の無い事とはわかっている。下界のいる者たちは天使様の声は聞こえないのだから間違ったことをしてしまうのは仕方ないこと。だからこそ私が天使様の代わりに導かなければ、殺さなければ、それは天使様の侮辱となってしまうかもしれない」
捲し立てるように独り呟く様子を側付きの少女――リリスはぼうっとして見ていた。
(これだから狂信者は面倒なのよ。狂うのは勝手だけれど話だけは進めて欲しいわ)
ため息をつきたい気分を抑えてじっと正命皇を見つめる。正命皇がこのようになるのは神託が有った時か信仰が刺激された時だけなことをリリスは知っている。
(また、神託ですか。最近多いような気がするわ)
正命皇の側付きとなって早四年。本来早々ない神託は五回にも及んでいた。それが普通でないことはリリスも他の司祭達も理解している。
しかし、七割の司祭は狂信的な信者なのでそんなことは考えもしていないことも、そのことに疑問を抱いていることが明らかになると殺されることもリリスは理解していた。
だから話さない。
話せない。
ブツブツと信仰の意義を呟いていた正命皇はピタリと口を閉じ、目を虚ろにさせた。
(ああ、また········)
数十秒ほど経つと正命皇の目の焦点があったことがわかった。
「··········リリス」
「はい、教主」
名前を呼ばれたリリスは顔を俯きに正命皇の足元を見ながら返事をする。ちなみにこれは下位の者が上位の地位の者を前にする時は顔を許可なく見てはいけないという礼儀作法に則っている。
じとりと正命皇はリリスを見つめる。それに気が付きながらも動かず、表情も浮かべない。
そしてしばらくして、やっと口を開いた。
「······今、天使様から神託を賜った」
「·······」
ゆっくりとした口調で喋るのをリリスは黙って聞く。
「リリス、お前は大司教にこう伝えよ」
「はい」
「――――天使の敵が現れた、と」
□□□
リリスは長い廊下を早足で歩いていく。
途中、通り過ぎていく使用人たちは共通してリリスの陰口を紡いでいく。しかし、それも仕方のないことだとリリスは割りきっている。
齢12歳にしてリリスは正命皇の目に偶々とどまり連れ回され。それから3年、15歳で最高司祭の側付きという今の地位に就いた。
だがやはりというべきか、そんな誰もが羨む地位に就いたのが年下の小娘というのが癪に触った他の使用人、そして司祭は多かった。
少ししてリリスは大司教の執務室に着く。
(······入りたくないわ、顔を視ないで伝えられないかしら)
悪い気持ちを追い出そうと扉の前で深呼吸を一度してから、ノックした。
「大司教様、少し宜しいでしょうか」
「·······ああ、入れ」
「·······失礼します」
扉を開ける。
リリスが始めに感じたのは異臭だ。3年間、正命皇の下にいたリリスはこの異臭の原因も知っている。
顔を微かにしかめたがすぐに表情を消し、入室を果たした。
「何の用だ? 遂に俺の女になりに来たのか」
執務室とは名ばかりの部屋に裸の男から声を掛けられる。
ここには机は無く、あるのは大きなベットとそこに裸で倒れている気絶した女性だけだ。
「違います。正命皇様の言伝を伝えに来ました。··········宜しいでしょうか?」
ベットの縁で煙草を吸っている肥満が加速したテッペンハゲの男――大司教にリリスに問いかける。
「ああ、言え」
「·····では、『天使様の敵が現れた』、以上です」
「ほぉ·····」
意外そうに片眉を上げる。
大した仕草ではなかったがリリスにはその動作がひどく醜悪にも感じていた。
「·······まぁ、いいだろう。正命皇
「畏まりました。では、失礼します」
すぐさま頭を下げてリリスは部屋から出ていった。
それを見送った大司教は口の端を引き上げる。
「―――やっと、か」
その言葉は誰にも聞かれることはなく、空へと消えていった。
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