28話 この場所こそが、私の世界





 果てのない広い海と空。



 そこにレティシアは立っていた。



 海は波ひとつ無く、静かにその存在を示している。

 空には雲はなく晴れ渡る。しかしその空は夕焼け。茜色を色濃く残したそれは他人の不安を煽り、だがレティシアの心に安寧をもたらした。


「······ここはどこでしょう」


 辺りを見回しても海ばかりで地平線は見えないこの場所にいつの間にかいることを何故かレティシアは疑問に思わなかった。


 ひたりひたりと歩くとレティシアを中心に波紋が連なり、そして消えていった。


「確か、本から黒い手が伸びて、掴まれて······それからの記憶がありませんね。どうなっているんでしょう」


 本が原因なのはわかるがこの場所がどうなっているのかがわからない。今のところ危険は無いようだがその先の保証がないので、レティシアなるべく早く対策を立てることを決める。


 しかし、先に動いたのは状況だった。


「あれは······あそこだけ、淀んでいますね」


 レティシアの視線の先、遥か彼方には黒い淀みが拡がっている。よく見ると淀みは少しずつ範囲を広めていることがわかる。

 それに嫌な予感を感じたレティシアは淀みが生まれる場所に向かうことにした。


 魔術を使い身体を強化し、走る。だがあるのは遥か彼方、いつまで掛かるのか検討もつかない。


 しかし、予測とは裏腹にすぐに辿り着いた。


「······ホントにどうなっているんです? まだ辿り着く程の距離は走っていないはずなのに、着いてしまいました」


 淀みの中心部、遠くからはわからなかったがぶくぶくと音を立てながら泡立っている。まるでその下に生き物がいるかのように。


「っ!?」


 黒が鋭く渦巻き四方からレティシアに襲い掛かる。それを間一髪で後ろに跳んで回避する。

 しかし追いかけるように四つの渦は蛇のようにくねりながら追撃してくる。


 渦の発生部を回るように駆けるレティシアは次々に《斬風》の派生――魔術風爆を創造し、待機状態にしておく。

 その数は20。


 レティシアは四つの渦に向けてひとつに付き五つの《風爆》を差し向けた。

 丸く纏まり、圧縮された風が渦にぶつかる。



――その瞬間、蛇を象る渦等は弾け跳んだ。



 魔術風爆は名の通り、風の爆弾だ。

 限界まで圧縮された風を標的に触れた時に破裂するように設定している。


 しかしこの魔術は失敗作だ。

 原因はエネルギー効率にある。

 《風爆》は破裂した瞬間、向に向けて・・・・・衝撃を加える。

 つまり何もない場所にまで衝撃が向けられているのだ。それがレティシアが失敗と言わせる原因である。


「ふぅ、後で改良しないといけませんね。折角空間の解析が出来たんですから」


 だがそれもこの間手に入れた空間魔術と組み合わせると解決することが出来るというのがレティシアの予想だった。

 後の予定を頭の隅で考えながら周囲を警戒する。


「······でかい、ですね」


 下から視線を感じて慌てて頭を下げると赤い目が二つ、輝いていた。うっすらと見えるシルエットはずんぐりとしており、その大きさはレティシアの何千人分だろうか。


 ブクブクと泡立つ泡沫が強くなっていく。

 今まで波立つことがなかった水が盛大に波を作る。

 この存在の上にいることに危機感を覚えたレティシアはなるべく離れることにして走り出す。


 レティシアがその存在の全容を把握できる程度に離れた時、泡立つ場から黒い触手がいくつも現れ、水面を叩く。


『ア、アアアアアアアアアアアアアア!!』


 ソレは蛙だった。

 全身から触手を生やし、手が異様に太く、長い。


「なるほど、拡がっているように見えたのは触手でしたか」


 蛙は水面に立ち上がり啼く。

 しかし普通の蛙の鳴き声ではなく、幼い女の擦りきれた叫び声に似ているそれは生者にはおぞましく聴こえただろう。


「······いえ、違いますね」


 ベチャリ、ベチョ! ベチョ!


 全身の触手から白紙に垂れ落ちるインクの様に黒い体液が周囲を黒く染めていつている。


 その光景がレティシアには酷く不快だった。黒く染められる度に不快度が増しているように感じる。


 紫に輝く瞳がレティシアを捉える。


( 来ます )


 無数の触手が鞭のように、槍のように放たれる。

 それを《風爆》を量産しながら疾走する。


『ア、アァァイイイィアアアアアアアア!!』


 叫び声と共に増える触手。

 レティシアは目を細め、《身体強化》を強めながらさらに走る。


 その時、ほんの少しの感覚の違和感に気付く。


(······これは······なるほど、検証する余地はありそうですね)



 レティシアは片手を蛙に向けて、言う。


「貫け」



 四方から水の槍が突き刺さる。

 それはあたかも最初に蛙が仕掛けてきた渦に酷似している。しかしそれは当然だ。それに似せたのだから。


『ァァ゛エエエエェェェェェエエ゛ェ゛!?!?』


 刺された部分からボトボトと血を流し、興奮したように触手を無闇に振り回す蛙は天を仰ぎ叫ぶ。



「······予想は正しかったようですね。しかしながら不思議ですね。こんな綺麗な空間が私の心の中・・・・・とは······」


 ようやくレティシアは違和感の正体に気がついた。


(これでいつの間にかいきたい場所に着くことも、《身体強化》を強めても身体に疲労が溜まる感覚がないのも理解できました。これなら······)


 この場所の理解も使用方法····も修得した。

 最早苦戦する理由はない。


 ―――はずだった。



 ザバン!!


「······ハァ~。また警戒が緩んでいましたね。ルネさんに知られたら怒られてしまいます」


 レティシアの足元から蛙の触手が現れ、腹部に巻き付き持ち上げられた。足に巻き付き、腕に巻き付く。······果てはレティシアのスカートの中にも······。


「ぁ······流石に、それは見過ごせません、ね。······死になさい」


 蛙の下から先の尖った一本の水の槍が癖の悪い・・・・蛙に突き出る。

 水の槍は蛙を空高く持ち上げる。


「大樹となれ」


 葉のない巨大な水の大木が出来上がる。

 突き刺さった水の槍がレティシアの意思の下、無数に枝分かれして蛙を貪ったのだ。


『イ゛、ギャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛!?!?!?』


 蠢き、叫び、痙攣する。


 痛み、恐怖し、混乱する。


 次第に動きは鈍り暴れまわる触手は垂れ始め、遂には動きを止めた。

 当然、レティシアを絡めていた触手も力を失いレティシアに絡まったまま落ちていく。一緒に落ちるのは嫌なレティシアは《斬風》で触手を切り裂き、一周、バク転したあと華麗に着地した。


「······ふぅ、私にアブない趣味はないのですよ。変態両生類」


 ······少し、いや大分苛立った様子のレティシアがいた。


 捕まっていた手足を解しながら蛙に向かって歩いていく。前に垂れた髪を払い、ああ、邪魔だなと考えた時、ふと思い付く。


(ここは己の心の中です。創造することで水を操れたり出来るのだから、物を作れたりもできる······はず)


 短絡的とも取れるそこそこ筋の通ってそうな理論を展開したレティシアは目を閉じて、あるものを想像してみた。

 そして、ゆっくりと目を開けてみるとそこには髪を止めるための青色のシュシュがあった。


「やた! ············それでよし」


 可愛らしく喜びの声を出し、創造つくったシュシュで髪を止める。

 ポニーテールとなったレティシアは元の神聖な様相からミステリアスでクールな年上のお姉さん感を醸し出していた。


 蛙の近くに着いたレティシアはじっと見つめる。少しして何かに納得したのかひとつ頷いてから立ち上がる。


やはり・・・、そうでしたか。ルネさんの屋敷に居たときから想定はしていましたが、驚きました。·········確かに、この能力を示唆している文献もあるにはありましたが、確信が持てる程ではなかったですからね···········気付くのが遅れてしまいました」


 それにしても、とレティシアはとある方向を見た。


 そこは蛙が垂れ流した体液らしき黒い液体が漂っていて今もなお拡がりをみせていた。さらに最悪なことに死んでしまった蛙からもその液体が出ていた。


 それに気がついたレティシアは急いで炎の魔術で蛙を燃やす。


「っ!?」


 そして自分の失態に気付いた。

 肉は焼けても蛙の持つ血は蒸発せずに水に落ち続けていることに。


 そう、蛙が垂れ流していたのは粘液でもなければ唾液でもない、血だったのだ。


 数十秒後、跡形もなく肉体を燃やしたレティシアは海に染みていった血をどうするか悩んだ。


(流石にこのままにはしておけませんが·······どうもこれは創造しても消せないようですし······んー、取り敢えずどうするかはひとつに纏めてから決めることにしましょう。)


 レティシアは右手を上げて想像する。


(固まれ、そして浮け!)


 黒い液体が消せなくともその周囲にある水は動かせる。ならばと、レティシアは黒い液体を周囲の水ごと持ち上げることにした。


 結果は見事に成功し、多少の水と共に持ち上げることが出来た。しかし問題はここから。


(血は消えることはなく残り続ける。なら、利用しない手はありません)


 集まる黒い血を囲むように魔術陣を展開する。


「·······成功確率は······8割、といったとこでしょうね。10割に達していないのが失点ですが······」



―――世界が薄く、消えていく。



 この空間を保っていた能力が消えたのだろうか? と思案するが頭を横に振り否定する。

 しかし数瞬後、気付く。



「··········あぁ、なるほど。あの変態両生類の討伐が解除の条件でしたか。」


 このままではこの黒い血を放置したまま目覚めてしまう。そうはさせないと自動で発動する魔術陣に切り替えた。



(······魔術陣の自動化、起動。······うん、これで意識を失くしても発動するでしょう)



 世界は黒く染まり。

 そこで再び、意識は暗転した。









 



 






























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る