第4話(中継ぎ:上坂涼)
神霊の気が備わった息吹で葉が揺れる。風の往来を楽しむように木漏れ日が踊る。境内では竹箒を動かす初老の男性が一人。悠々かつキビキビと洗練された所作で
「もしもし? 永鯉かい?」
『うん。怖いおじさんは帰った?』
「いいや。まだその辺りをウロウロしてるよ」
『ふーん。そっか。」
「またいつものところかい?」
『うん! このツブツブがたまらないよねー』
「飲みすぎてお腹壊さないようにね」
『わかってる! とにかくおじさん帰ったら教えてー!』
「ああ分かったよ。けど夕方には帰ってくるんだよ?」
『おじさんがいなくなったら帰る!』
「はいはい。また後でこっちから電話するからね」
『はーい!』
長年の同居人との会話を終えて、神主は箒を掃く所作に鼻歌を交えた。
「ネタバラシをすればそういうことだ。このような人気のない神社にキョロキョロと落ち着きのない女学生が一人やってくれば、特別な用事なのはすぐに察しがつく。そして私は事前に場にそぐわないゲーム機が放置されていることを知っていたとなれば、たどり着く答えは一つしかない」
「……じゃあ最初から龍とエリちゃんがいないのを知っていたってことですか!?」
「ご名答」
「なんでそれを早く言わないんですか!? すぐに探しに行っていれば、もしかしたら見つけられたかもしれ――」
真っ赤になってわめく鈴希の前に平然と手のひらをかざし、にやりと笑う。
「ふふっ。そう簡単な話だったら良かったんですけどねえ」
おもむろに旧本殿前の階段に腰を下ろし、手のひらを床へと差し向ける。隣へ座れという合図だ。鈴希はまだ納得していないぞという気持ちを見せつけなければ気がすまなかったので、男の顔をじっと睨みつけながら移動し、同じ段の端っこへと腰を下ろした。門を守る番のようにちょうど端と端を陣取る形になる。人気のない古めかしい建物前で距離を空けて腰を下ろす二人は、側から見れば一発でワケアリだと気づかれてしまうだろう。
「さて。まずは私がここに赴いたワケからご説明しましょうか。これを話せば、おのずと貴女の弟クンが無事な理由を説明したことにもなります」
鈴希は返事をしなかった。ただ黙って反対の端に座る男が再び口を開くのを待つばかりだ。藤村は胡散臭くて危険。その印象は彼と道中で会話を交わすほどに薄まるどころか濃くなっていた。
「私の職業はバウンティハンター。いわゆる賞金稼ぎです。そして賞金稼ぎの中にもアマチュアとプロはいる。熟練の賞金稼ぎは裏の世界でも名が知れ渡るようになり……別の呼ばれ方をするようにもなる。例えばそう、エージェントとも」
ちらと鈴希を見やる。彼女は依然として沈黙を貫くつもりのようだった。やれやれと言わんばかりの微笑を一瞬浮かべ、男はその続きを紡ぐ。
「私がここへ来たのは、『怪異研究所』の所長から調査依頼を引き受けたからです。研究所のネットワークを介して情報収集を行なった結果、この町周辺に怪異が潜伏していることがデータで指し示されたので。
私は早速この町に住み着き、怪異の居場所を突き止めるために邁進しました。時に図書館で文献を漁り、飲み屋で地元の人間から噂を集め――」
「あのもういいんで、結論だけ教えてもらえますかっ!」
男がまたやれやれと言わんばかりの微笑を浮かべる。
「結論というと?」
「……だから! その、龍が無事なのかとか、どこにいるのか……とか」
「無事だよ」
「だからなんでそれが分かるんですか?」
「怪異の正体がエリちゃんだからだよ」
「えぇ!?」
驚くべきことを言い放たれる。あまりにも突拍子もなく、しかもなんでもないことのようにさらりと言うものだから、鈴希は激しく混乱した。
「え、あの、なにを、言ってるんですか?」
この世に魑魅魍魎は無し。世界のあらゆる真実は化学式で説明が付くはずだ。それなのにエリちゃんが怪異……だって? 龍がいつも遊んでいる仲の良い女の子が人ならざるモノ? そんなバカな。ありえないよ。
人にあらずんば、怪異にあらず。
何者の口から紡がれた物語にしか存在出来ないはずの奴らが本当に存在しているともなれば、鈴希の倫理観は崩壊する。化学式に置き換えられるはずの周囲の風景が淀んだ気がして、目眩を覚えた。優しく揺れていたはずの木々が怪しく手を振っている。大らかに空に向かって手を広げていたはずの草葉が鈴希の前に立ち塞がる壁となる。
「そんなわけあるかぁ!」
だが鈴希は強い子。迫り来る闇をあっという間に払いのける。その様子を見て藤村が目を白黒させた。
「いやあ、これは確かな情報を寄せ集めて導き出した――」
「うるせー!」
鈴希は両手をグーにして腹の底から声を絞り出した。一方の藤村も目を白黒させるだけでは足りず、片方の手を後ろに付いて身体を仰け反らせた。
「け・つ・ろ・ん! 結論だけ言えー!」
男はすぐに気を取り直して首を小さく振った。
「やれやれ。分かりましたよ。鈴希くんは興味深い性格をしているね」
「いや深く悩まない質なんで! それだけなんで! こっちは早く弟の安否確認してホッとしたいわけですよ。ややこしい話を持ち込むのはやめてください」
「手厳しいねえ。ふふ……」
「あーもー! 早く!」
藤村もいい加減、彼女の言い分を承知したのか、朗らかな笑みを浮かべたまま話す姿勢を作った。
「簡潔に言いましょう。エリちゃんは超強い女の子なので、弟くんに危険が及ぶことはないんですよ。エリちゃんが守ってくれますからね」
「女子小学生が超強いわけないでしょ!」
「いやいや、それが強い――」
「ありえない!」
「それがあり得るんですよ。世界は広いんです。アジア諸国のスラムで五歳の暗殺者に殺されかけたことだってある」
「あ、じゃあそれは分かりました!」
ややこしくなりそうな話は即刻方向修正。藤村は鈴希の圧に押されつつあった。
「それで龍とエリちゃんは結局どこにいるんですか。荷物だけ置いてどこか行くなんて、何か急がないといけない出来事が起こったかもしれないんですよ?」
時が来るまで年の若い娘と会話に花を咲かせようと思っていたが、彼女はどうも自分には制御しきれないと悟った藤村は、とうとう観念して本題を切り出すことにした。
「二人がなぜここを離れたのかは不明です。いくつか理由は考えられますが、どれが正解かまではちょっと。……ただエリちゃんと龍くんは、ここに戻ってきますよ。しかしその時に、二人だけで戻ってくるかどうか」
「誰かが付いてくるんですか? あ、神主さんとか?」
「いいえ。私と同じくエリちゃんに会いに来た連中がいるんですよ。それもよろしくない目的で」
「だからそういうややこしいの――」
「よくないんですよ。こればっかりは」
険しい語調だった。これまでの態度とは打って変わって、
「私と同じくエージェントクラスの連中です。エリちゃんが体よく伸してくれているなら万々歳なのですが、事がそう上手く運ぶかどうか」
「そ、そしたら龍がやっぱり危ないじゃないですか!」
「いいえ。それについては先ほど答えを言いました。龍くんは安全です」
その時。かすかな異変を察知したのか、藤村が旧拝殿正面の草木に視線を投げる。それから、ピンと伸ばした人差し指を口に当てて鈴希を真っ直ぐと見据えた。
「危ないのは貴女の方です」
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