第48話 じゃあ、行くよ


 2人きりの部屋は、狭いはずなのに広過ぎるように感じた。猫がいないだけで、こんなにすかすかで寂しいなんて。

 あやめも寂しいらしく、やけにくっついてきた。2人でいられて良かった。言葉がなくても、触れ合っていれば何となく落ち着くし、いたわりあえる。


 今日は近所を少しだけ散歩した。


 猫の思い出は至るところにあって、話しているともういない人たちのことも思い出したりして、しんみりしたけれど今までと違う話ができた。

 帰ってからもそんな話をした。あやめはかつての操縦者との思い出を、今までより少し踏み込んだところまで話してくれた。


 蓮太郎は正直に言えば、少しだけ嫉妬しないではなかった。自分のことは棚にあげて、それは重々承知の上で、それでもなお。

 けれど、それ以上に彼らの真心に打たれたし、応えたかったあやめの後悔がつらかった。全て揃えてもらったとしても、心がままならないのは、経験としてわかったから。


 あやめはどんな気持ちで蓮太郎の話すカンナの思い出を聞いてくれているのだろう。


 言葉が足りなくなると、寄り添い、手を握って、キスをした。そうして波打つ心を静めて、自分と向き合い、言葉を拾い上げて相手に伝える。

 触れ合うだけで伝わることもある。しかし、伝えたいことは頑張ってちゃんと言葉にしないと、相手もつらい。あやめといて、蓮太郎はそれがわかった。

 知ってもらわなくてもかまわないと強がって無視して蓋をした自分の心は、苦しい時ほど突然溢れて状況を悪化させる。それなら、つらいことでもわけあってしまった方がいい。相手に負担を強いることになっても、それを受け入れてくれる覚悟をしてくれた人なら、その方がいい。


「あやめさん」


 蓮太郎にとって、それは薬のような言葉だった。口にするだけで少し楽になる。救われる。そして、かけがえのない人が振り向いて、蓮太郎を見つめてくれる。

「蓮」

 そして名前を呼んでくれる。薬が魔法になる瞬間だ。その魔法がさらに奇跡をもたらす。

 かけがえのない人が向けてくれる、優しい笑顔。それを勘違いではないと確かめさせてくれる言葉。

「蓮、あなたがいてくれて、嬉しい」

 魔法を用いて奇跡を起こすあやめは、間違いなく魔女なのだ。


 猫の死をゆっくり悲しむ時間があって良かった。

 あやめと手を取り合う時間があって良かった。


 翌日も公園へ行き、猫の墓の前で少し話していた。

 その時、サイレンが鳴った。

 はっとしてあやめが顔を上げる。蓮太郎は猫の墓を見た。

 じゃあ、行くよ。

 蓮太郎は心の中で猫に告げた。


 ファウストは4人を前にして怒りがおさまらなかった。

「僕は聞いていないぞ!何だあれは!」

 机を蹴飛ばすファウストの前に並べられて、4人は口々に答えた。

「雨野さんが」

「雨野さんがやりたいって」

「私の操縦者が」

「俺です」

 魔女と操縦者、補佐官2人はしれっとしている。

 ファウストは苛々と4人の前を行ったり来たりした。男どもはともかく、今までおとなしく従順だった白い魔女までしれっとしているのが気に入らない。どういう躾をしたんだ、と蓮太郎をにらむ。蓮太郎はいつもの通りの間延びした平和な顔でのほほんとしている。全く腹が立つ。

「花屋は頭の中までお花畑か」

「そうかもしれません」

 蓮太郎がけろりとして答える。

 腹が立つが怒るだけ無駄なので、ファウストは苛々しつつもさっさと解散して出撃の準備にかからせた。


 蓮太郎はひたすらうつむいていた。うっすら話には聞いていたが、搭乗するあやめのあられもない姿は目のやり場に困った。まわりの人々が当たり前の顔をして淡々と作業をこなしているので、そうした方がいいのだろうとは思うのだけれども、どうしても顔が赤くなるし不自然なくらい目を背けてしまう。

「素っ裸でないだけまだマシだろう。これだから童貞は」

 ファウストがさっきの仕返しとばかりにぶつくさ言いながら半裸のあやめに器具を取り付けている。だって手を出すなと言ったじゃないか。

 技術者の人たちは忙しいので反応しないが、樋口が口の端でにやりとし、羽町がへえ、そうなんですか、と声に出すから蓮太郎は大変その場に居づらい思いをした。あやめが平然としているのが救いだが、聞いていないだけかもしれない。


 あやめは静かな表情をしていた。いつもこうなのだろうか。


 動揺が収まらず、気まずい思いで蓮太郎はコクピットに座った。確かにあやめが右側だ。イリスは左利きだったから。

 座席や、そこらじゅうにところどころ黒っぽい染みがある。これは落とし切れなかった秀柾の血か。

「気を付けろ、左肩が時々上がらなくなるぞ。修理し切れなかった」

 スピーカーから聞こえるファウストの声が遠く感じる。

 蓮太郎は目を閉じて深呼吸した。あやめがそっとその手を握ってくれた。蓮太郎もあやめの顔を見て何とか笑顔を作る。


 そうだ、あれ。


 蓮太郎はあやめから預かっていたリボンを取り出した。イリスの依頼で白いアヤメの花束を作った時の長いリボンを、あやめがしまっておいたものだ。

 これで、あやめと蓮太郎の手首を結ぶことにした。

 イリスは直接手をつないだから、あやめの負担を背負うことができた。蓮太郎はそれができないから、あやめの負担はきっと減らしてやれない。けれど、少しでもつながっていたい。

 イリスの長いリボンの途中には、秀柾のフラワーアレンジメントに使ったリボンも結んである。ブラシに残っていた、猫のあやめの白い毛もテープでくっつけた。

 蓮太郎の手首には、カンナの使っていたヘアゴムを通してある。あやめはその上にリボンを巻きつけ、しっかり結んだ。蓮太郎もあやめの手を取り、細い手首にリボンを固く結びつけた。


 みんなの力を貸してくれ。

 あやめを、あやめの生きる世界を守るために。


 戦場が近付いてくる。あやめが穏やかに微笑み、手をつないでいてくれるので、蓮太郎も冷静になってきた。

 俺は俺の戦い方をする。

「信じるわ、蓮。あなたの思うようにして。私は絶対に負けない」

 あやめが微笑む。

「あやめさん、ありがとう。頼むよ」

 蓮太郎も微笑み、握っていた手を解いた。


 あやめがふうっと息を吐く。そして、座席のレバーを握った。

 蓮太郎の目の前に空が広がる。操縦桿は、軽く操作できた。拒否はない。

 ありがとう、あやめさん。蓮太郎は微笑んだ。

 緊張はもちろんある。しかし、むしろ気持ちは高揚している。だって、人を殺しに行くのではなく、生かすための道を探りに行くのだから。

 しかし海を見て蓮太郎は戸惑った。

 敵機の色が違う。

 今日の敵機は向かって左側が真紅、右が金だった。両手に剣を持っていて、真紅の剣はデアクストスと同じくらい長く、金の剣は通常機用のようで少し短い。真紅の肩から胴にかけては鈍い銀色の修理跡がはっきりと残っていて、確かに金銀だった機体に間違いなさそうなのだが。

 あやめがこわばった声で言う。

「真紅は、以前戦ったわ。倒したものと同じ色の機体を見たのは初めてです。関係者かも知れません。真紅は鍛えられた剣士でした。機体の色は魔女の色、操縦者と関係はないはずだけれど、もしかしたら」

 イリスが気が強いと評価した金を、利き手から退かせてまで出てきた真紅。あやめは警戒した。

 蓮太郎はファウストに見せてもらった映像を思い出した。戦う前に礼を尽くすような動作をしていたロボットか。

「強いなら、もっと話を聞いてくれるかもしれない」

 蓮太郎が言うと、あやめは少し笑って答えた。

「蓮らしいわ」


「デアクストス、十秒後懸架拘束解除します。出撃してください。5、4、3、2、1」

 蓮太郎は少し目を閉じて、開けた。


「出撃!」

 


 


 


 


 



 

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