第37話 生返事の返報
薄暗くなった道を手をつないで帰った。
猫はやっと自分で少し歩いたが、やっぱり蓮太郎の上が気に入っているようで、すぐに登ってきた。ハーネスなんかいらなかった気がする。
「あやめはおばあちゃんだから、歩くのは好きじゃないんです」
頭の上の猫を見上げながら、あやめが言う。でも外は好きなのだそうだ。もともと野良だから、寝るにしても広い方が気持ちいいのかもしれない。
寝るといえば布団がないんだった。蓮太郎は思い出した。2日続けて座布団は少しつらい。腰と背中にきそうだ。しかしあやめに帰ってくれとも言いにくい。1日どこか泊まれるところはないだろうか。
あやめには相談しにくいし、白い魔女の補佐官は三者三様にまして相談しづらい。食料品店の知り合いの店員がこの時間も誰かいるはずだから聞いてみようか。
そういえば夜のごはんも考えなければ。カレーはあやめにはまだ重いだろう。でももう少し野菜や肉や魚を食べないと。鍋で簡単にすませるか。そもそも泊まりに行くなら外食の方がいいかもしれない。いや猫がいるから無理か。栄養の摂れる、何か持ち帰りのできるものは。
「……蓮、蓮!」
目の前に立ったあやめにぶつかりそうになって、蓮太郎は我に返った。
「聞いてました?」
あやめが大きな目をくりくりさせて蓮太郎を見上げる。猫みたいだ。
「聞いてなかったでしょう」
またカンナみたいなことを言って、あやめは蓮太郎の右手を両手で握り、弾むように歩いた。薄暗いせいか、白い髪が浮き上がるようにより白く見える。その髪がひらりとなびき、振り返ったあやめは笑顔で言った。
「今日は、寝るまで手をつないでいてくださいね」
「えっ」
考えていたことの前提が覆されて、蓮太郎は当惑した。あやめが向き直る。
「うんうんって何でも聞いてくれるから変だと思ったの。返事ばっかり調子いいんだから。うんって言ったこと、守ってもらいますからね」
こんなところで同じ注意をされるとは。カンナにはそれで服を買いに付き合わされた。恥ずかしかった。
「今日は一緒に寝てください。寝るまで手をつないで、あなたの魔女の話をして」
それどころの話ではなかった。現実問題としても、部屋に布団を2つ敷けるような余裕はない。そもそも布団がない。
「無理だよ」
蓮太郎はあやめを見た。あやめはにこにこしてちょっと意地悪な顔をして見せ、つないでいた手をぎゅっと抱いて顔を近づけた。
「無理じゃないですよ。一緒に寝たらいいんです。蓮が約束したんですからね」
一緒の布団で、この近さで一晩過ごせというのか。
「ダメ、無理!」
蓮太郎はつないでいた手を離し、猫を盾にしてあやめとの間に長くぶらさげた。
「大丈夫ですよ、秀柾の時もそんなに窮屈じゃなかったから。蓮の方が大きいけど、長いだけだから幅は同じくらいだし」
また佐々木さんだ、と蓮太郎は腰が引けながら思った。また何かそれっぽいことを教えたのだ。やはりなかなかのやり手だが、あやめは何でも鵜呑みにするから始末が悪いのだ。
魔女と操縦者は恋人のような関係を築くことを期待されているのはわかるが、時間がないのも了承しているが、昨日の今日だ。まだ早い。
そして何より悪いことに、こんなことを言い出すあやめがそれがどういうことなのかわかっていない。
異性でそんな距離で、お互いの好きな人の話をするなんてどうかしている。そしてそんなに近付いておきながら、これといって関係性が変わらないのが最大の難点だ。キスをしてもあやめからは全く距離感の違いを感じない。少し遠慮がなくなったくらいか。蓮太郎だけが引き寄せられてしまいそうでぐらぐらしている。何もかも秀柾のせいだ。
「一緒に寝ると、落ち着きますよ」
そのくらいの認識なのだ。落ち着くわけがない。
「ダメだって!俺寝相悪いから!」
蓮太郎の動揺に合わせて猫がぶらんぶらん揺れる。
「私はそんなに悪くないから大丈夫ですよ。蹴飛ばしません」
「ダメ、俺が蹴飛ばすから、布団持ってっちゃうから、あやめさん風邪引くから」
ついに猫が嫌がって体をひねり、飛び降りた。裏切り者、と蓮太郎が慌てて追いかけると、猫がくるりと向きを変えて逃げる。まずいと思った時には遅く、蓮太郎はリードに絡まり派手に転んだ。猫が引っ張られてぽんと飛ぶ。
「あやめ!」
蓮太郎が転んだまま手を伸ばし、何とか猫を受け止めた。
「ごめんあやめ、大丈夫」
蓮太郎は慌てて猫をあちこちひっくり返した。少し興奮しているが、特に痛がる様子はない。
「大丈夫みたいですね」
あやめがほっとしたように猫を抱き上げる。蓮太郎は足に絡まったリードを解いた。あやめは猫と顔をくっつけるようにして何か話している。ちっとも心配してくれない。手も足も痛いし、猫を受け止める時ちょっと手をすりむいたのに。
まあ、そもそもリードがついていたのだから、猫が逃げても焦る必要はなかったのだ。蓮太郎が慌てたから猫までケガをするところだった。猫にケガがなかっただけ良かったことにしよう。
あやめが猫に頬擦りして笑っているのを横目に、蓮太郎はひとりでズボンの汚れをはたいた。
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