第38話 白い魔女の好き勝手


 結局お弁当を買って帰ってきた。あやめはサンドイッチだ。たまごが好きだそうで、他にも色々あったのにたまごサンドだけ選んでいた。

 ミックスサンドを選んでくれたら、少しだけでも栄養の心配が減るのに。

 今日だけ、仕方ないから今日だけ、と蓮太郎は自分に言い聞かせた。

 他に、猫の缶詰と明日の分の食べ物もいくらか。買い物の間はあやめが猫を見ていたが、帰りはもちろん猫は蓮太郎の頭に乗り、あやめは手をつなぎたがって、荷物は全部蓮太郎が持った。何だか家を出た時と違う。どっちのあやめも勝手だ。


 あやめは手をつないだまま、蓮太郎の頭の上の猫と遊びながら、後ろ向きに歩いたりするから危なっかしい。違う意味でつないだ手が離せない。そのくせ、ふと空を見上げた時など、驚くほどしっとりとした大人の女性の顔をする。そしてその姿は本当にきれいだった。

 泣いていたり、微笑んでいたり、祈っていたり、ふとした時のあやめは天使のように美しい。なのに、この無邪気に手をつないで子供のように笑っているのもあやめだ。蓮太郎はあやめがよくわからなくなってきた。

 カンナに似ているのか、似ていないのか。カンナの代わりにしてしまっているのか、あやめにちゃんと向き合えているのか。

 カンナを失った寂しさを紛らすために勘違いしているのか、それとも本当に惹かれてきたのか。

 こんな蓮太郎でも、あやめを思っていいのだろうか。

 つまずくあやめを受け止めるのは何回目だろう。あやめは屈託ない笑顔で、ありがとうと言う。蓮太郎は笑い返すのが少し怖くなってきた。

 変わることが怖い。自分の心が、あやめとの関係が。


 カンナは悲しむだろうか。


 蓮太郎は帰ってすぐに荷物を片付け、猫にエサをやった。猫が食べている間に買ってきたカット野菜を鍋に入れて水を張る。沸騰したら、これも既製品の肉ワンタンと付属のタレを入れて即席のスープにした。とにかく野菜と名の付くものを食卓に並べたかった。猫もちょうどよく食べ終わり、顔を洗い始める。

 あやめは猫を見たり花を見たり、蓮太郎のまわりをうろうろしたりしていた。手伝う気はないらしい。

 猫の皿を洗って、鍋の火を止める。器がないので、丼とマグカップに取り分けた。


 夕食をテーブルに運ぶと、猫も一人前に席についた。猫の分のごはんはないが、あやめと蓮太郎と猫、これで全員揃った感じがする。

 あやめは猫と遊びながらごはんを食べるので、蓮太郎は何度も注意した。スープを手にしながら、猫にちょっかいを出したり、出されたり。引っ掻かれたばかりで、大きな絆創膏を貼っているのに。

 注意されたあやめはその時ははいと可愛く返事をするのに、猫が手を出すとすぐに応戦してがちゃがちゃしている。意外とがさつだ。今まで猫をかぶっていたのだろうか。

 蓮太郎は何だか疲れてごはんを終えた。


 あやめはサンドイッチの包装紙を丸めてテーブルに置きっ放しにして、猫と遊んでいる。実にくつろいで、自由で、リラックスしている。食器を片付けて戻った蓮太郎は、思わず包装紙を丸め直してあやめに投げた。

 猫がまず反応し、あやめが新しい遊びを見つけた顔をする。そうじゃない。

 あやめが包装紙を投げ返し、受け止めた蓮太郎がやり場のない怒りと共に結構強く投げ返したのを受け止め損ねて当たって笑う。猫と競争して包装紙を奪い合い、あやめが勝ち取って投げ返して、ほくほくしている。猫も次こそは飛びかかろうとほくほくしている。本当にそうじゃない。

 蓮太郎が諦めて包装紙を捨てると、あやめたちはもう終わり?とあからさまにがっかりした。その時が一番蓮太郎の溜飲が下がった。


 あやめが薬を飲むと言うので水を渡した。あやめは手のひらいっぱいの薬を無造作に飲み込んでいる。

 蓮太郎は心配になったが、医者でもないのにやめさせる訳にもいかない。あやめと食事をしたことは何度かあるが、今までこんなに薬を飲んでいなかったように思う。やはり調子が良くないのか。


 あやめにお茶を出し、蓮太郎は先にお風呂に入ることにした。猫を乗せていた頭がまだ砂っぽいし、転んだりしたし、とにかく気持ちがもやもやする。早くリセットしたい。あやめは沸かしてさえおけば好きな時に勝手に入るだろう。

 

 体を洗いながら蓮太郎はあちこちにアザを見つけてため息をついた。今日一日であちこちケガだらけだ。変な一日だった。あやめとも、少しは仲良くなれたような、しかしキスまでしたのに何だか距離感がおかしいような。

 キスは、良かったな。

 思い出して手が止まる。

 柔らかかったな。温かくて優しくて、本当に気持ちが楽になった。

 しかし、それだけではすまないのをあやめはわかっていないのだろうか。

 考えても仕方ないので手を動かす。擦りむいた手の傷が痛む。

 あやめは、少しは癒されただろうか。あの小さなお葬式ぐらいで気持ちを区切らなければならないのは、本当にかわいそうだ。しっかりお葬式に参加させて、気持ちの整理がつくまでそっとしておいてあげたかった。

 秀柾も本当はそうだったろう。あやめをかわいそうだと言っていた。だからキスも、一緒に寝るのも、きっと半分は本当にあやめに教えた通りの理由だ。安心させてあげたい、落ち着かせてあげたい。そうしてあやめを支えたかったのだろう。

 それでも、と蓮太郎は少し不安になった。

 あと他に変なこと教えてないだろうな。

「あ」

 蓮太郎は持っていたシャワーヘッドを取り落としそうになった。

「どこかに泊まりに行きたいんだった」

 お風呂に入っちゃった。どうしよう。

 どうしようもこうしようもないから、あがったらファウストに連絡して泊まるところを何とかしてもらおう。

 開き直って頭を洗っていると、突然お風呂の扉が開かれた。

「蓮、あやめのおもちゃが見つからないの」

「うわあ!」

 開けた!

「あやめのおもちゃ」

 蓮太郎はものも言わずあやめを閉め出した。シャンプーが目に染みる。

「蓮、あやめの」

「今出るから、ちょっと待って!」

 蓮太郎は悲鳴をあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る