第28話 回ってきた順番
佐々木はあやめを愛おしそうに見つめている。
「佐々木さん、あなたが操縦者、って……」
「私も志願はしていたんですよ。他に優秀なパイロットがたくさんいましたから、まさか順番が回ってくるとは思いませんでしたが」
佐々木もあやめを起こさないよう小声で言った。しかしいつもと同じ淡々とした口調の中に、心から喜んでいるような嬉しさがにじんだ。
「でも……あやめさんがこんな時に選ばれるなんて」
「こんな時だからですよ。彼女が誰も指名できなくて、優秀なパイロットを出すには惜しい今だから私なんです。私はつなぎです」
佐々木は言った。
「私は1度だけなら、敵を撃退してみせます。きっと」
蓮太郎は言葉がなかった。
「ところで雨野さん、あなた猫は平気ですか」
佐々木が突然質問した。蓮太郎は少し驚いたが、別に嫌いじゃありませんと聞かれるままに答えた。
「それなら良かった。そこの服、片付けてください。毛だらけになりますから」
佐々木は大きなカバンを開けた。そして、中から白いきれいな猫を引っ張り出した。
「佐々木さん、あなたは猫が嫌いなんじゃ」
「嫌いです。むくむく動くので気持ち悪いです。でも、好きな人が好きなものをせめて手元に置いてみようと思って、飼ってみたんです。あの大騒ぎの時の猫です。だいぶ年寄りだそうなので、おとなしくてちょうど良かった」
佐々木は白猫をあやめのそばに置いた。猫はあやめのにおいをかいでいたが、顔をまたいで歩き、頭の後ろでくるくる回ってあやめの髪の上にのっしり座った。そのまま丸くなる。
あやめが少し動いた。心なしか、少しだけ表情がやわらいだように見えた。
佐々木が微かに笑って、小さくあやめに呼びかける。
「あやめ、君の好きな猫だよ」
猫が顔をあげてにゃあと鳴いた。佐々木が苦笑して、お前を呼んだんじゃないよ、と猫に話す。
「この猫の名前もあやめなんですよ」
佐々木はちらりと蓮太郎を見た。
「彼女……あやめが起きるまでいさせてもらいます。どうぞおかまいなく、あなたも休んでください。明かりも消してもらってかまいません」
佐々木はあやめに触れるか触れないかのところに座った。そして、あやめのぱさぱさの白い髪を、触れるのを怖がっているように見えるほど優しく優しくなでた。
「佐々木さん、あなたもあやめさんが好きだったのか」
蓮太郎が思わず言うと、佐々木はつまらなそうに蓮太郎を見た。
「本当にあなたは鈍感で野暮ですね」
明かりを消す頃には、もううっすら明るくなっていた。
蓮太郎がそれでも横になってうとうとした頃、あやめが悲鳴をあげた。
猫が驚いて蓮太郎を踏んで逃げ出し、蓮太郎は飛び起きた。
泣き叫ぶあやめを、佐々木が抱きしめていた。
あやめはもがき、佐々木を拒み、血を吐くようなかすれ声で死んだ男の名を呼んだ。佐々木はあやめを離さなかった。
あやめは抗い、泣いて、髪を振り乱して身をよじった。佐々木はあやめを離さなかった。
あやめは泣いた。泣いて、泣いて、佐々木に死を懇願した。佐々木はあやめを離さなかった。
あやめは徐々に力尽きて佐々木にもたれた。佐々木はやっと力を抜いて、あやめをそっと抱いた。蓮太郎は水の入ったコップをテーブルに置いた。汗だくの佐々木は薄く笑って軽く頭を下げ、朦朧としているあやめに水を飲ませた。
あやめは水を飲み込めず、水はそのまま口もとから流れて胸を濡らした。佐々木は蓮太郎から受け取ったタオルであやめの濡れた口もとと胸、そして止まらない涙を拭いた。
猫が戻ってきた。
佐々木は蓮太郎に猫をカバンにしまってほしいと言った。蓮太郎は了承し、手早く猫をつまみ上げてカバンに入れた。
「うまいものですね。私はまだ手こずります」
佐々木はあやめを抱き上げた。
「では、あやめも起きたので帰ります。このままではあやめの体がもたないので」
猫を持ちます、と蓮太郎も立ち上がると、佐々木は苦笑した。
「表に出たらきっとすぐに見張りが飛んできますから、彼らに持たせますよ。あなたはこれから店でしょう。少しでも寝た方がいいですよ」
あやめはぼんやりと虚ろな目を何もない空間に向けている。佐々木は蓮太郎からカバンを受け取ると、晴れ晴れと笑った。
「僕もやっとあやめに花を贈れるんだ。あなたの店に行くのが楽しみです」
佐々木がそんな顔で笑うことを、蓮太郎は知らなかった。佐々木は宝物を扱うようにあやめを抱いて、早朝の町を帰っていった。
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