魔葬機巧 デアクストス

澁澤 初飴

第1話 異星からの避難民と紫の巨大な騎士


 青空に浮かぶ白い月の横にぽつりと点のようなものが現れたのは、1ヶ月ほど前からだった。


 突然この星の至近距離に訪れたのは、遠い星の宇宙船だった。乗っているのは、母星を無くした避難民だという。

 彼らもまたこの星の人間と似たような姿形の生き物だった。頭がひとつあり、手足は2本ずつ。目と耳は2つ、鼻と口はひとつずつ。こちらが警戒すれば警戒し、笑えば笑う。表情も共通しているようであり、言葉も持っている。交渉が可能であるように思えた。


 彼らの星を突然襲った天変地異は、ここまで逃げるだけの宇宙船を建造し得る彼らにとっても想定外だったようだ。他にもいくつもの避難船が出たらしいが、この広い宇宙で、咄嗟に飛び出した船がどこかに辿り着く可能性は万に一もない。


 あの星で生き残れるのは、この船の者たちだけでしょう。


 彼らの代表は語った。彼らから渡された翻訳機は見たこともない仕組みだった。

 他の星との交流経験がないこの星の代表者達は大いに慌てたが、何とか話し合いの席を設けるところまでたどりついた。しかし、その話し合いはたった一度で頓挫した。


 調査によると、彼らの吐く息には毒が含まれていた。


 対応した事務方が次々に死亡し、慌てて原因を調べた結果、そのことが判明した。即死でなかった分、被害は拡大した。

 意図的なものではない。生物として仕方のないことだった。そこまでわかった。しかし、故意かそうでないか、それが判断にどう影響するだろう。

 断固拒否することでこの星の意見は一致した。もし相手の要求通り避難船を受け入れたら、ひと月とかからずこの星は毒を含む空気から逃げ場がなくなる。

 しかし相手も必死だ。もう帰る星がない。ここに辿り着くまでに、食糧も、燃料もほぼ尽きている。

 このままでいてもらうために、食糧や燃料を彼らの要求通りの量を提供することも、この星の資源量では不可能だった。そしてまた彼らも船内に留まり続けることは難しかった。


 彼らにとってこの星は条件を満たした住みやすい星であるようだった。彼らは共存を望んだ。

 しかし、人間の体がそれを許さなかった。彼らの息が影響するのは人間だけのようだった。他の生き物、哺乳類のヒトに近い何種類かは影響を受けて病気になったが、しかしそのくらいで死ぬほどの打撃を受けるのはただただ人間だけだった。


 彼らはその人間と交渉せざるを得なかった。後のない苛立ちは交渉する人間にも強く伝わったが、しかし、こちらも譲ることはできない。汚染された空気を完全に浄化するには、あの人数を迎え入れただけで半年かかることがわかっている。

 交渉が破綻するのは目に見えていた。

 

 彼らは業を煮やして宣戦布告した。それだけでも彼らが知的である証であった。

 それでも、共存できないのだ。同じような姿、同じような顔で、同じように同胞を愛し、他人をできる限り尊重した上で、何より愛してやまない自分より大切な人に生きていてほしいと願っているのに。


 使者は死者となり返された。自爆が失敗したためであったが、返された側は激怒した。返した方もそれ以上の誠意の見せようがなかった。全ては生中継されていたが、同じものを見ても、正解などないのだ。


 戦いが始まった。


 交渉に使っていた、湾に浮かぶ島の聖堂。長い歴史を持つ、美しい人類の宝の上に、それは現れた。


 巨大な人型のものが宙に浮いていた。手には剣と盾を携えている。全身は深い紫色だ。そうして剣を持って静かに佇む様はまさに鎧をまとい、いざ戦いに挑まんとする騎士のようであった。

 朝日がのぼり始めると、磨かれた表面が美しく輝く。まるで人類を護るために降臨した神のように。


 人々が呆然とそれを見つめる中、それは動いた。

 剣を正眼に構え、一旦停止する。朝日が剣を輝かせていく。その光を断つように、それは素早く剣を振るった。

 振り下ろした剣の一撃で、島の半分が吹っ飛んだ。


 人型のそれが降り立つと、遠浅の海が跳ね上がった。地に立つと改めてその大きさが際立つ。その巨大なものが、これほどの速さで動くとは。


 交渉が終わったことが誰の目にも明らかになった。絶望する人々の前に、次々と戦闘機が現れた。この星のものだ。巨大な騎士の表面に炎が跳ね、煙があがる。しかし騎士はさして気にかけもしないように歩みを止めず、難なく上陸した。それでも戦闘機は時間を追う毎に増え、さすがに業を煮やしたか、騎士が剣でひと薙ぎする。その軌跡に沿っていくつも爆発が起こった。戦闘機すら斬り払う素早い動き。

 そのうちはるか上空を埋め尽くすように爆撃機が編隊を組んでやってきた。一国の所有する数ではなかった。騎士が空をあおぐ。現在足止めのためにあらん限りの攻撃を仕掛けている戦闘機は巻き添えだろう。その覚悟を必要とする相手だった。

 戦闘機が爆発する。その火はすぐに他の爆弾の火に飲み込まれた。爆弾が雨のように降り注ぎ、騎士は盾をかざして爆弾を斬り払ったが、数が多すぎた。

 火の海に立つ騎士はそれでも剣を振りかざした。

 

 焼け跡から唯一持ち出された記録媒体である、焦げて歪んだカメラから抜き出された動画データはそこで終わっていた。おそらく持ち主の命もその時終わったのだろう。

 それがあった区域は現在も立ち入り禁止だ。住民の避難も間に合うはずがなかったが、死傷者の発表はなかった。


 しかし、政府が何か隠している、と人々が話題にすることはなかった。もちろん隠していることはあるだろう。しかし、何のことかはわかっている。

 つい昨日までしきりに問題となっていた、異星人の避難民との交渉の推移がぱたりと報道されなくなった。そしてそれから間もなく世界的な聖堂が巨大な人型ロボットにより破壊され、それを国の枠を超えてこの星の軍隊が迎え撃った。その被害は報道されず、しかしロボットは何度もやってきて、そのたびに軍隊が撃退しているらしい。

 公になれば生活などしていられない。遠くで大変なことがあったらしい、くらいの方がいい。庶民はそう割り切ったのである。


 だから、こんな世の中でも花は毎日入荷できたし、買いに来る人も普通にいた。

 フラワーショップカンナの店先で、雨野蓮太郎あまの れんたろうは腰を伸ばして空を見た。

 今日もいい天気だ。世界が変わってしまったらしいなんて信じられない。ニュースで何度もやっていたから見たし、この国でも被害は起きているらしいが、少なくとも蓮太郎のまわりはいつもと同じように静かだった。


 いや、静かではないか。

「ちょっと、蓮太郎、運び終わったらこっちのも早く!」

 店の中から大きな声がする。蓮太郎は慣れた様子ではいはいと答えながら店に戻った。

「サボらないでよ、早くしないと日陰になっちゃう!」

「そんなにすぐにはならないよ」

 蓮太郎は苦笑しながら観葉植物の鉢を持ち上げた。

「そんなに急ぐならカンナねえも手伝ってよ」

「か弱い私にそんな重い物持てって言うの?」

 ポニーテールを揺らしながら仁王立ちで口を尖らせているのが中村なかむらカンナ、この店のあるじだ。

 いざとなれば一抱えもある水の入った切花入りのバケツをがんがん運ぶ癖に。蓮太郎は思ったが、言い返さない。その方が時間も労力もかからないことを、長い経験からわかっている。

「早く早く、この子も日光浴したがってるよ」

 カンナがまた声をあげる。

 蓮太郎とカンナは幼なじみだった。カンナは蓮太郎のふたつ上で、蓮太郎を昔から子分か何かのように思っている。

 確かに小さい頃はよく泣きながらカンナの背中をついてまわったが、中学で身長も追い越したし、もう昔とは違う。なのに、カンナはちっとも変わらない。


 それこそ夏空の下のカンナの花のように、屈託なく、素直で、明るい笑顔。


「蓮太郎!この子も!」

 カンナがまた蓮太郎を呼ぶ。大きな明るい声。その声で呼んでもらえるだけで、この花屋で仕事ができて良かったな、と思う。


 蓮太郎はずっとカンナが好きだった。

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