1 風のボード
「たいへん、もうこんな時間! 」
翌朝、クルミは大慌でベッドから飛び起きると
「ルルル起きて! 寝坊しちゃった!」
花が生けてある壁掛け籠で寝ている妖精ルルル・ルルルは目をこすりながら時計を見ると
「大変だ! 目覚まし時計は? 」
「止まっていたみたい。うっかり、止めちゃったのかなー」
「昨夜、遅くまで、起きてたからだよ」
「だって、プンラトが………」
クルミが小声で言うと、ルルルは怪訝な表情で
「あの、自称哲学者のプンラトか……」
「それより早く準備よ!」
「わかった! 」
クルミは冷蔵庫から牛乳をだして一口飲むとパンをトーストし、焼ける間にパジャマからいつもの空色のワンピースに着替えます。その間ルルルは、テーブルに飾ってある花の蜜をストローですすっていました。
「ルルル、食事がすんだら波風の様子を見て来て! 」
「はいはい! ちょっとまって」
ルルルは慌てて蜜を吸い終わると、窓の外に飛んで行きます。
クルミも玄関に立て掛けてある小さなサーフボードを小脇にかかえ、トーストを口に咥えながら家を飛び出しました。
◇
スワン・ヒルの丘の上で風を待つクルミ。
草穂が波打つ広大な草原。
涼風が吹き流れ、クルミの艶やかな紅髪がハラハラと揺れます。
その時、クルミの後ろから声がしました。
「クルミ、どうしたんだい。あわてて」
振り向くと、背中にギターを背負い、小さなロバにゴミのような生活用具を山ほど積み、よれよれの服の浮浪者風の青年が立っていました。ただ、伸ばし放題の髪と髭の間からわずかに覗く瞳はとても穏やかで、透き通るようなアイスブルーです。
クルミが振り向くと「哲学者プンラト」つぶやくように言ったあと
「時間がとまるの」
「時間が……」プンラトは少し考えたあと
「そうか、もうそんな時期だったか。だとしたら、昨夜は遅くまで付き合わせて悪かったね」
「うんう、昨夜の『ツンデレ・ストラはかく語りき』は面白かったよ」
プンラトは満足そうに「うむうむ」とうなずき。
「ツンデレは人の深層心理にある恥じらいと欲望からくる、人間の本質的自我の境地だからね」
「………」
クルミは何とも答えようがありません。
その時、風が変わった!
「行かなくちゃ」
クルミは小さなサーフボードを両手で持ち上げると、そのボードを見たプンラトは
「それは風のボードじゃないか」
「そう、アイン・ツバイン博士が作ってくれたの」
「アイン・ツバイン博士か……彼女はどうも苦手だ」
頭をかいて苦笑いするプンラトを、クルミはジト目で見つめ
「ツンデレ・ストラは、アイン・ツバイン博士をモデルにしていると思ったけど」
プンラトは少し赤くなって
「哲学と科学は似て非なるものだ」
「……私は逆だと思うけど」
そこに、ルルルが戻ってきて
「クルミ、くるよ! 」
「わかった。ルルル、一緒に来て!! 」
「ええ! ぼくも、行くの」
「今回は、お願い」
「わかったよー」
ルルルは面倒くさそうに言うと、クルミの胸もとに飛び込みます。
クルミは後ろに立つプンラトに
「哲学者プンラト。また、遊びにきてね」
「ああ、気を付けて行くのだよ。クルミにこの世界の存亡が、かかっているのだからね」
クルミは笑って頷くと
「それじゃあ行ってくる」
クルミは、はるか地平に続く緑のダウン・ヒルの先を見つめ。
「久しぶりだし、うまく乗れるかな」
不安そうにつぶやくと
ゴゴゴゴー――
彼方から地鳴りのような音がして風が次第に強くなってきます。
クルミは、ボードを持ちながら、ダウン・ヒルの草原を駆け下り始めました。
スカートがはためき、こけそうになるのを必死にこらえながら一生懸命に駆けるクルミ。
フォローの風が次第に強くなり
風のビッグ・ウェイブ!
「今だ!! 乗れ!!」
ルルルがさけぶ!
強い風に背中を突き押されてジャンプすると、クルミの小さな体がふわりと宙に浮き、サーフボードを足の下に持っていくと四つん這いで乗り、ふらつきながら立ちあが……る
「あわわわーーー! 」
両手をぐるぐる回してバランスを立て直し、不安定に揺れ浮かぶボードの上に、なんとか立ち上がると、サーフィンをするような姿勢でダウン・ヒルの草原を滑るように加速する。
疾走するボードの上でクルミの髪が舞い乱れ、スカートがはためきます。
安定したので、体重をわずかに移動し五メートルほど上昇させると、草原がひろく見渡せて爽快です。
こうして、風の波に乗るクルミのボードは丘を越え、森を越え、お花畑を越え、空を駆けていきました。
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