1 風のボード

「たいへん、もうこんな時間! 」   


 翌朝、クルミは大慌でベッドから飛び起きると

「ルルル起きて! 寝坊しちゃった!」


 花が生けてある壁掛け籠で寝ている妖精ルルル・ルルルは目をこすりながら時計を見ると

「大変だ! 目覚まし時計は? 」


「止まっていたみたい。うっかり、止めちゃったのかなー」

「昨夜、遅くまで、起きてたからだよ」

「だって、プンラトが………」

 クルミが小声で言うと、ルルルは怪訝な表情で


「あの、自称哲学者のプンラトか……」

 胡散臭うさんくさそうに言います。


「それより早く準備よ!」

「わかった! 」


 クルミは冷蔵庫から牛乳をだして一口飲むとパンをトーストし、焼ける間にパジャマからいつもの空色のワンピースに着替えます。その間ルルルは、テーブルに飾ってある花の蜜をストローですすっていました。


「ルルル、食事がすんだら波風の様子を見て来て! 」

「はいはい! ちょっとまって」


 ルルルは慌てて蜜を吸い終わると、窓の外に飛んで行きます。

 クルミも玄関に立て掛けてある小さなサーフボードを小脇にかかえ、トーストを口に咥えながら家を飛び出しました。


 スワン・ヒルの丘の上で風を待つクルミ。

 草穂が波打つ広大な草原。


 涼風が吹き流れ、クルミの艶やかな紅髪がハラハラと揺れます。

 その時、クルミの後ろから声がしました。


「クルミ、どうしたんだい。あわてて」


 振り向くと、背中にギターを背負い、小さなロバにゴミのような生活用具を山ほど積み、よれよれの服の浮浪者風の青年が立っていました。ただ、伸ばし放題の髪と髭の間からわずかに覗く瞳はとても穏やかで、透き通るようなアイスブルーです。


 クルミが振り向くと「哲学者プンラト」つぶやくように言ったあと


「時間がとまるの」


「時間が……」プンラトは少し考えたあと

「そうか、もうそんな時期だったか。だとしたら、昨夜は遅くまで付き合わせて悪かったね」

「うんう、昨夜の『ツンデレ・ストラはかく語りき』は面白かったよ」

 プンラトは満足そうに「うむうむ」とうなずき。


「ツンデレは人の深層心理にある恥じらいと欲望からくる、人間の本質的自我の境地だからね」


「………」

 クルミは何とも答えようがありません。

 その時、風が変わった!

「行かなくちゃ」


 クルミは小さなサーフボードを両手で持ち上げると、そのボードを見たプンラトは

「それは風のボードじゃないか」


「そう、アイン・ツバイン博士が作ってくれたの」

「アイン・ツバイン博士か……彼女はどうも苦手だ」

 頭をかいて苦笑いするプンラトを、クルミはジト目で見つめ


「ツンデレ・ストラは、アイン・ツバイン博士をモデルにしていると思ったけど」

 プンラトは少し赤くなって


「哲学と科学は似て非なるものだ」

「……私は逆だと思うけど」

 そこに、ルルルが戻ってきて


「クルミ、くるよ! 」

「わかった。ルルル、一緒に来て!! 」

「ええ! ぼくも、行くの」

「今回は、お願い」

「わかったよー」


 ルルルは面倒くさそうに言うと、クルミの胸もとに飛び込みます。

 クルミは後ろに立つプンラトに


「哲学者プンラト。また、遊びにきてね」

「ああ、気を付けて行くのだよ。クルミにこの世界の存亡が、かかっているのだからね」

 クルミは笑って頷くと


「それじゃあ行ってくる」

 クルミは、はるか地平に続く緑のダウン・ヒルの先を見つめ。

「久しぶりだし、うまく乗れるかな」

 不安そうにつぶやくと


 ゴゴゴゴー――


 彼方から地鳴りのような音がして風が次第に強くなってきます。

 クルミは、ボードを持ちながら、ダウン・ヒルの草原を駆け下り始めました。

 スカートがはためき、こけそうになるのを必死にこらえながら一生懸命に駆けるクルミ。

 フォローの風が次第に強くなり


 風のビッグ・ウェイブ!


「今だ!! 乗れ!!」

 ルルルがさけぶ!


 強い風に背中を突き押されてジャンプすると、クルミの小さな体がふわりと宙に浮き、サーフボードを足の下に持っていくと四つん這いで乗り、ふらつきながら立ちあが……る


「あわわわーーー! 」


 両手をぐるぐる回してバランスを立て直し、不安定に揺れ浮かぶボードの上に、なんとか立ち上がると、サーフィンをするような姿勢でダウン・ヒルの草原を滑るように加速する。


 疾走するボードの上でクルミの髪が舞い乱れ、スカートがはためきます。

 安定したので、体重をわずかに移動し五メートルほど上昇させると、草原がひろく見渡せて爽快です。


 こうして、風の波に乗るクルミのボードは丘を越え、森を越え、お花畑を越え、空を駆けていきました。

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