本当の人生

 夜空の鑑賞会は村のはずれの小さい丘で行われるらしかった。アーヤは他にも沢山の子供を誘ったのでカサインはげんなりした。


 気分を子供と同じように明るくするのが思った以上に大変だった。陵丘へ行く途中アーヤと話していた。


「お兄ちゃんはもともと星を調べてたの?」


「そうだよ」


「それは楽しかった?」


「楽しかったよ…… 」


 アーヤは怪訝そうにこちらを見ていた。


「嘘だ!」


「え??」


「本当に楽しかったら楽しそうに話すもん。今のお兄ちゃんぜんぜん楽しそうじゃない!だから本当は星なんか調べてなくて別のことをしてたんだよ。でも言いたくないから隠してるんだ。ずるい!」


 アーヤは機嫌悪そうに大股で先を歩いていった。


 カサインの周りの影は濃くなった。一瞬反発しそうになったが、何か心の奥をえぐられた気がしてハッとした。


 ―― そうなのか?あそこにいた時は、他の学徒を何の値打ちもないもののために身を削り合っていると見下していたが、俺もそうだったのか?


 小さい頃からあそこに入るために頑張って頑張って欲しい物も我慢して、ただひたすら星の知識を吸収した。あそこに入ると全てが上手くいき人生が変わると思った。今まで犠牲にした分だけ恵まれると思った。


 でも結局何も変わらなかった、むしろ酷くなった。あそこは終わりではなく始まりだった。優劣争いはますます激しくなり、求められる基準は上がる一方だった。


 そうだ。何もいいことなんてなかったんだ! 俺も天文台なんかのために身を削ってしまった。


 天文台なんて…… 俺の生を預けるだけの価値はなかった。そうか、俺は生きた屍なんだ。心臓は鼓動し、血は体を巡る。だけど! 心は死んでいる! 血は赤くな

く無色だ! もう嫌だ、こんな生き方は嫌だ! 


 俺は生きたい。本当に生きたい!


 そう思うと胸のヒメユリが忌々しく思えてきた。外したいと思ったが、本当に外していいのか分からず悶々とした。


 外したらもう後戻りはできない。今までの努力はどうなる? 


 決心は出来なかった。


 八つの星と十二の星座が彼の心を握っていた。


                    ***


 丘に着いた時も彼は悩んだままだった。丘は一面草原が広がるばかりで視界を遮るものはなかった。夜空には無数の星が光っていた。


 星の街では、空に向かって伸びる挑戦的な無数の黒い舌の塔が視界を邪魔したが、それもなく直に夜空を見た。


 虚空を背にして、よく磨かれた鏡には青紫の染料が塗られ、大きい光も小さい光も遠慮せずに輝いていた。


 今にも降ってきそうな無数の星々。その一閃は命の輝き。その質量は命の重さ。


 星の名前はもちろん、星という言葉さえ、美しいという言葉さえ出てこなかった。その前にカサインは心を奪われて動けなかった。


 彼は生まれて初めて星を見た。今まで見なかった分まで味わうようにじっくりと見た。


 実際そうだった。今までは星を見ても、星を通して違うものを見ていた。


 そして星だけでなく、他の沢山のものも本当に見てはいなかった。そう思うと、あの星の輝きが今まで見失っていたものの輝きに感じた。その時だけは胸のヒメユリ

を忘れられた。


 ―― そうか。あの輝きは俺の人生の輝き。本来送るはずだった本当の人生の輝き。あの数量は俺が本来選べたはずの人生の選択肢。


 それに気づいた時、彼は急に悲しくなった。今までの自分をもの悲しく思った。


 彼は目覚め始めていた。


「お兄ちゃん!綺麗だね!星はなんで光るの?」


「…… 」


「お兄ちゃん??」


「くうっくっくっううっうっうっ」


「うわ!なんでお兄ちゃん泣いてるの?」


 彼は訳が分からずに泣いた。噛みしめた歯の間から、嗚咽が迸り出て止まらなかった。今まで生きた分の、失った生の分だけ涙した。


 人前で、しかも子供の前で泣くのは恥と思っていたがそんなことはどうでも良かった。


 無償の愛の大地が見守っていた。


「もーう、これじゃあ星の話聞けないじゃん!つまんないの。せっかく楽しみにしてたのにさぁ」


 横でアーヤが話しかけていたが、彼は泣き続けた。


                    ***


 長く続いた鑑賞の間、夜空をみて子供たちは喚声を上げていたが、その中に一つ慟哭が混ざっていた。


 端にいたその男は子供など気にせず大人げなく喚いていた。夜空は彼らを包むように見下ろし、星はこの切ない夜を物語った。

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