さすらいの地②

 族長たちはカサインとしばらく話した後、彼がこの村に滞在するのを許可した。


 カサインはネレドの家に住むことになった。けれど家というほど豪勢なものではない。この村にはせいぜい樹と葦で作った小さな建物があるだけだ。


 これらの材料は森から調達しているらしい。この村は真ん中にある森を囲うように成立している。


 森はその日を生きる糧を与える恵みの地である一方、危険な動物が多く住まう殺戮の地でもある。だから、森には決して一人では行かず、長居して必要以上にものを取らない。


 だが、ただ一人森に住まう聖者がいるらしい。みな彼のことをナーガアートマ〈偉大なる魂〉と呼んでいた。


 カサインはこの村を〈さすらいの地〉と名付けた。彼らと共に生活するうちにいくつかのことが分かった。


 まず、この村は彼らだけで今まで生活しており、キャラバン隊との交流もないらしい。

 今までというのは、つまり数千年間、おそらく〈星の大災害〉以降ずっとこの

生活を送ってきたのだ。


 そして彼らは恐ろしいほど長寿だ。最初に会ったネレドとシオンは千歳を超えていて、ずっとあの見た目のままだそうだ。


 もちろん生まれた時は幼い容貌をしているが、一定の年齢を超えると容貌は変化しなくなるという。


 彼らはそれを〈アトル期〉と呼んでいた。それはカサインの感覚でいうなら二十代の容姿である。


 そして彼らは森に住まう蛇を崇めていた。ある時は、恵みをもたらす水の象徴として。ある時は長寿や子孫を授ける生命の象徴として。


 彼らは自分たちの祖先は蛇だと言って、至る所に蛇を模した木の塔を立てていた。


 カサインには彼らがとても無知で無垢に見えた。純粋そのものだった。彼らに世界の外はなく、争う必要はなく、ただその日に必要な食料や材料を必要な分だけ森か

らもって来る。


 その繰り返しを数千年も繰り返しているらしい。未だに、あの自然が差し出す分だけ受け取るという原始の生活を送っていた。


 カサインはとてもそんな生き方は耐えられないと思った。カサインは未だに心の奥では星の街と結びつていて、星の街以外をどうしても認める気にはなれなかったから。それに体内で轟々と燃える炎はどうすればいい?


 カサインにとって嬉しかったのは、植物が多くあったことだ。ここの花は天文台のそれと比べて生き生きしていた。この場所のせいだろうか。


 技術だけを比べたら、星の街のほうが遥かに進歩している。けれども発展を極めた遺宝解析の中心と言われる星の街では忘れられた、何か生物的な、肉体的な発露のようなものがここにはあった。


 それはこの土地から湧き上がっていた。それを受け取って花々は成長していた。この土地から噴出するものはカサインのブローチにとって毒だったが、ブローチより深いところでずっと前から求めているものだった。


 そして彼らは感情的で開放的だった。族長を除けば明確な身分差はなかったので気兼ねなく話していた。しかも族長との関係も職業上の区別であり、個人の生まれながらの区別はなかった。


 そして彼らは肌を出していることが多かった。子供たちは性別に関わらずみな裸であるし、アトル期に入ったものでも葦か何かで作った腰巻を付けているだけだった。


 カサインは人の裸を見るとひどく気分が悪くなった。特に女性の乳房。日に焼けて、熟れた果物のような乳房が上下するのを視界に入れるのさえ嫌がった。


 いつまでも服を着ているカサインは村人から不思議がられたが、どうしても脱ぐ気にはなれなかった。裸になるのは星の街の住人らしからぬ行為だと思ったからだ。


                   ***


 それは雲一つない快晴の午後だった。「働かざる者食うべからず」と笑顔でネレドに言われたカサインは、午前中に魚を釣って捌き、村人に配ることを日課にしていた。


 ネレドは魚釣りに同行し、午後になるとまた違う用事で出かける。カサインは小屋の入り口に腰掛け一人で物思いにふけっていた。日光は温かく、庭にあるカラミンサ・ネペタの花弁が眩しかった。


 そよ風が吹くと花は揺れて虚空をやさしく撫でていた。


 そんな静寂を破る予期せぬ客が一人やってきた。それはカサインが助けられたばかりの時、うるさく走り回っていた子供の一人だった。


「お兄ちゃん星に詳しいの?」


 どうやら族長と話した時の情報が広まっているらしい。


 カサインは「そうだよ」と答えた。子供と話すのは苦手だ。彼らの計算ずくでない自然な発話の勢いに圧倒されて返事に時間がかかってしまう。


「じゃあさ、今夜一緒に星を見にいこうよ!僕アーヤっていうの!よろしくね」

「ああ。よろしく」


 星なんて散々見てきたが、子供の頼みを断るほど飽きてはいなかった。カサイン達は夕食後星を見る約束をした。

 

                   ***


 夕食はいくつかの小屋で一緒に食べるようだった。構成員は特に決まっていないが、昔からの習慣だったり仲の良い近所だったりで一緒に食べるらしい。


 ネレドの隣の小屋にはシオンが住んでいた。シオンの小屋の庭にはブーゲンビリアが植えられていた。


 シオンとネレドを含め何人かで夕食を囲った。その間シオンが話しかけてきた。


「この前、族長に言ってたテンモンダイって何をするところなの?」


「星を調べる所だよ」


「星?あはは!なんで星なんか調べるのよ。空に浮かんでるだけじゃない」


 カサインの影は増長した。


 カサインはこの村に来てから小さな違和感があった。それはこの村の言葉についてだ。彼らの使う言葉はなぜかカサインに通じた。そして、ある領域では豊饒な語彙

があるのに、別の領域ではあまりにも乏しかった。まるで彼らの生活に関わらないものは全て切り捨てているようだった。


 例えば、蛇に関しては無数の別名や個体名があるのに、星辰に関する表現は貧弱だった。星の固有名詞は存在せずまとめて星としか呼ばない。


 そもそもなんで何千年間も外との接触を絶っている村で言葉が通じるのだろうか。

この世界に言語は一つしかないのだろうか。


 カサインが考えているうちにもシオンは話し続けていた。


「でも夜空の研究をするところって綺麗そうだよね」


「そんな良いところじゃないよ」


 カサインはそれしか言えなかった。



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