第五夜 コアおでん
今年の春先は寒かった。
桜が開いてからもしばしば寒が戻るなど気温の上ではなかなか季節が進まない感もあったが、ようやく暖かさが本格化する気配が見えてきた。南には台風一号が発生し、春から初夏への移行も髣髴させる。
こうなってくると、おでんにとってはどうも具合が宜しくない。
気温が暖かくなるのに反して、季節はおでんを冷遇し始めるのである。
人々の認識においても、一体いつから冷やし中華が始まるのかといったことの方が重要性を増してくる。
自他ともに認めるおでん好きの僕としても、さすがにここまで暖かくなると、そろそろほかの食べ物に浮気をしたくなってくる。
沖縄などでは、通年でおでんが食されるやに聞くが、残念ながら僕のおでん愛も、まだまだそのレベルには達していない。
ということで、吾が家では「おでん仕舞い」の義を挙行することと相成った。
今回を最後に、次の秋までおでんの出番はいったんお休みということになる。
さて、その儀であるが、おでん三昧の世界――すなわち、連載の二回目、「天国と地獄」で述べたように、大鍋一杯では到底間に合わぬほど沢山の種類の具材を取りそろえ、結句その大量さに食べ切れず、一週間近く怒涛の日々が続くというのは、日中の気温が夏日に近付くようなこの時節にあっては、どうも精神的にも肉体的にも耐えられそうにない。
夫婦二人きり――更年期も終盤に差し掛かり、そろそろ老境に足を踏み入れそうな二人きりの食卓であっても、さっくりと二、三日で食べ切れる分量にしたい。
かといって、パックに入った、お仕着せのおでんセットに手を出すのは面子が許さない。おでんというせっかくのステージ。三文役者ではなく、それなりのしっかりした方々にご登場いただきたい。
それならばということで、オールスターキャストの大舞台は止しにして、ライブハウス程度の小劇場をご用意という運びとなる。ここで、厳選された主役級数名のみにご出演いただき、華やかながらもこじんまりとした短期特別公演を打つという趣向である。
その役者選びだが、まず、主役級中の主役としては、すぢ(牛筋)であろう。この方は、出汁の味わいにも大きく影響するので外すことができない。
そして、その相方となるのは、大根である。おでんの一般的なイメージと言えば、多くの人々にとって、じっくり味の染みた大根というが定番であろう。大根の入っていないおでんは、そもそも日本では禁じられている。
さて、次は何だろう―― そうだ、玉子。これも外すことはできない。ほんのり飴色をまとったなまめかしさは、おでんにとって主役レベルの存在感である。
その他、脇を固めるキャストについては、これはもう僕の好みで恣意的に選ばせていただく。
一人目は、竹輪さん。僕にとって、子供の頃からの親しい仲、好物の種である。
その素材である魚のすり身は、演技において実に良い味を醸し出し、出汁という舞台の雰囲気作りにも加勢してくれる。
二人目は、厚揚げさん。本質において淡白な味わいで、大根と並ぶ味染み系の具材であるが、生来の柔らかな食感やそこはかとない大豆の風味は、いかに王者大根とて、決して真似することはできない。
さて、五名の出演が決まった。これ以上の演者は、狭い舞台には乗り切れそうもない。中くらいの鍋でも、そろそろ一杯になりそうな気配である。
それでは、最後にもう一人だけ選ぶことにしよう―― 誰が良いだろうか。
里芋やじゃが芋も美味しいし、はんぺんやちくわぶといった、九州人の僕にとっては外様の方々も実は捨てがたい。
しかし、あと一人ということになると、心を鬼にしても、切るべきを切ると言った覚悟が大切である。
そこで選んだのが蒟蒻。
特に、粉ではなく蒟蒻芋を原料とし、ざらりとした風合いの、素朴ながらも存在感あふれる方。僕も家人も愛してやまぬ方である。
すぢ、大根、玉子、竹輪、厚揚げ、蒟蒻―― 役者は整った。
実に、おでんらしい究極の布陣である。おでんの核心とも言うべきものであり、僕にとっておでん中のおでんがこれである。
この六人のメンバーからなるおでん、現代風には「神シックス」とでもいうのだろうか?
しかし、僕は「コアおでん」と呼ぶことにしよう。コアおでんを食べて、吾が家はおでん仕舞い。食卓もだんだんと初夏の装いになってくる。
なお、このおでんエッセイの連載も、今回が一区切り。再開は秋以降になるだろう。
それでは皆さん、いったんごきげんよう。
<了>
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