第八夜 出汁が肝要

 日本料理というものは、実に出汁が大事。何を当たり前の事をとのそしりを受けることはあるやも知れぬが、これに異論を唱える向きは余りあるまい。

 宮中料理、御殿料理、懐石料理などとは比ぶべくも無かろうが、おでんとて日本料理。ことに、大根、じゃが芋又は里芋、厚揚、竹輪麩といった、自らは主張せず出汁の味わいを際立たせてくれるような種の面々がずらりと控えているのだもの。いかに屋台や家庭で味わう庶民の食べ物とは言えど、日本料理としての地位において、末席よりかは若干上座にあってもよかろう。

 吾が家でも、おでんの出汁には細心の注意を払っている。

 利尻昆布に、枕崎産の本枯節?

 いやいや、さにあらず。

 吾が家で用いているのは、「明治 おでん横丁」、これである。

 インスタントと馬鹿にするなかれ。上品な昆布の風味と味わい、ほのかな甘み。僕の郷里、九州で、おでんの出汁と言えば、上等の昆布でも最高級の鰹節でもない。最も権威ある、由緒正しい味が「明治 おでん横丁」なのである。

 子供の頃から、この味に慣れ親しんでいるため、他の出汁では何だか、おでんとしての正統性を欠いているように、僕には思われる。もちろん、おでんの出汁の素は、複数のメーカーが色々な製品を発売しているが、僕の母はそれらを決して用いようとしなかった。「明治 おでん横丁」一択で、これが一番おいしいと言っていた。僕の実家のみならず、家人の実家でもやはり同様だったらしい。

 九州一円において、そのようなイメージが定着しているのではなかろうかと思われる。当該製品のサイト(https://www.meiji.co.jp/foods/oden/products/)を覗いてみても、「九州で愛されています」と明確に記されている。何でも、一九五八年から販売されているロングセラーであるらしい。


 パッケージも子供の頃からほとんど変わっていないように見える。

 およそ縦一五五ミリ、横一一〇ミリの、いささかくすみを帯びた朱色の袋の真ん中に、やや斜めになって、串に刺さった三つのおでん種が、薄い黄色で丸形、菱形、台形様にデフォルメされて描かれている。そして、それぞれの種の上に、一文字ずつ「お」「で」「ん」と毛筆風に記され、この串の左横、下の方に「の素」とある。

 商品名である「明治 おでん横丁」の文字は、左上にハンコでちょんと押したようなデザインとして、ごくごく控えめに記されているのみ。パッケージを見た際の第一印象として目立つのは、何と言っても「おでんの素」の文字であるため、僕は長い間この商品名を「おでんのもと」だと思っていた。僕の母も「おでんのもと」と言っていたように思うし、家人の認識もそうだったらしい。

 しかし、正式の商品名は「明治 おでん横丁」。数十年にわたって名前を取り違えていたとは、株式会社 明治の皆様に申し訳ない。

 しかも、よくよくパッケージを見てみると「素」の字の横に小文字で「だし」のルビが打ってあるではないか。

 これはしたり!

 すなわち、「おでんのもと」ではなく、「おでんのだし」だったのである。

 物事をあまり吟味せずに、いい加減に扱っていると、このように幾重もの誤りを平気で犯してしまうという好個の教訓である。

 早速、家人のみならず、実家の老母にも、この新事実を伝えねばならない。自らの誤謬に気付くこともなく安穏と一生を終えてしまうというのは、何とも取り返しのつかない怖ろしい話である。


 さて、パッケージの裏側を見ると、販売元の明治は東京に会社があり、この商品の製造所は長野にあるらしい。また、再度表を見返すと、右下に青い帯に白抜きの文字で「関東煮かんとうだき」とある。おでんのことを関東煮と書き、「かんとうだき」或いは「かんとだき」とむのは、関西のならいである。

 関東の会社が関西風のおでんの素を信州で製造し、それが九州でよく売れるというのは、非常に面白い取合せであるように思われる。

 ところで、この商品、僕が住んでいる関東のスーパーその他の店舗で目にすることはほとんど無い。したがって、九州に帰省した折に買い込んだりして間に合わせているのだが、実は今、吾が家のストックも残りわずかとなっている。

 せっかく会社が東京にあり、関東からそれほど離れていない信州で製造されているのであれば、なにとぞ、関東方面でも販売していただけないだろうか。



                         <了>







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