天使のお仕事

 

 天使は名乗ったが、聞き取れなかった。

 概念的な何かが直接脳に響くような感じで、口で発音できそうにもない、音とも言い切れないようなものだった。

 けれど私が発音する必要はないのだ。何せ、思っただけで通じてしまうのだから。

「礼儀作法と思ったまでなので。でも、たまには返事をしてもらえると助かります。そうでないと、一方的に話しかけている変な人になっちゃうので」

「あ」

 確かにそうだった。

「じゃあ……返事するまで、話さないでもらっても……」

 何せ思考を読まれてすぐに返答をもらってしまうので、口に出す暇がないのだ。

「それもそうでした。失礼」

 言って天使は私を近くのベンチに待たせると、一度姿を消した。

 この間に立ち去ってみたとしても、きっと天使の力で簡単に居場所を特定されるのだろうな。

 この思考もどこまで届くのだろう。どれだけ離れたら圏外になるのだろう。

 逆を言えば、私には聞こえていない思考が、彼には無数に聞こえている可能性があるわけで。そんな中から、たった一人の思考を聞き取るなんていうのは、困難を極めたりしないのだろうか。

 真面目に考えてから、計り知れないスペックの差があるだろう事に思い至った。人間の尺度で考えてはダメだ。

 何故かどんよりした。

 勝手に落ち込んでいると彼が戻って来た。

 手にはペットボトルの緑茶と、派手なパッケージの炭酸ジュースを持っていた。

「どちらが良いですか?」

「お茶で」

「どうぞ」

 緑色のパッケージを一通り確認してみる。公園の入り口付近にある自動販売機で売っていたものだろう。

「何か不審な点でも?」

「いいえ」

 私の返事を満足そうに受け止めると、彼は隣に座った。

 私より少し小さくて、華奢で小柄だ。天使らしく中性的で、もしかしたら女性だったりするのかもしれない。

 いや性別は無いのか。

 プシュ! と音をたててペットボトルを開けると、炭酸ジュースをごくりと飲んでいる。

 わりと良い飲みっぷりだ。

 私は炭酸をぐびぐびと飲めないタイプの人間なので、感心してしまう。

「当たり障りがない飲み物は、お茶ですかね?」

 彼は純粋な眼差しで問いかけてきた。

「たまに、お茶が苦手という人もいますけれど……。炭酸よりはハズレが少ないかもしれないです」

「ありがとうございます」

 それから彼は、宣言したように質問を始めた。

 何でも、到着の直前にトラブルがあって、予定の座標と違う場所に来てしまったために、軌道修正をしたいのだとか。

 そのためには、いくつかの情報を確認する必要があるのだという。

 粒あんとこしあんどっちが好きか、なんて質問がどう役立つのかさっぱり分からないけれど。

 気が付くと何羽かのハトがつま先の少し先をうろうろしていた。

 おこぼれが無いかを探しに来たのだろう。

 けれどあいにく私の手元にはお茶しかない。

「この辺りのハトは、けっこうグレーがかってますね」

「そうかもしれないです」

 こんな情報も軌道修正の役に立つらしい。

 ハトが諦めてひょこひょこと去っていく後ろ姿を見送りながら、緑茶をもう一口飲んだ。

「天使って、何するんですか? 恋愛成就ですか?」

 我ながらバカな質問をしたと思った。誰かが聞いていたら、それこそ変な人扱いされるに違いない。

 けれど、何故かするっと言葉に出てしまった。

「そういう仕事もありますね。守秘義務があるので、あまり細かい事は言えないですけど……。質問にもいっぱい答えてもらったので。……天使に、興味ありますか?」

 守秘義務。あるんだ。

 天使に対しての興味はさほどなかったけれど、いざ目の前で炭酸ジュースを飲んでいたりする姿を見てしまったら、そりゃ少しは気になってしまう。

「今回は、天秤の調整に来た……んですが……。時間にして5年くらい。距離にして200kmほどズレてしまったらしい事が分かったので……」

 今の質問で?

「一番の決め手はこの炭酸ジュースとハトでしたけど」

 私の回答、あまり役に立ってなかったじゃないか。


  

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