(三)
(三)
「人殺しなんて……。でも、そうよね……」
うなだれた首の独り言は、力なかった。
「理由如何によっては情状が酌量され、地獄の階層も軽いものになるかもしれません。ですから正直に」
静かに告げた。
若干の沈黙。
そして、
「そもそもの始まりは、あの子が入ってきたことなの……」
真っ赤な唇は哀しげな音色を発した。
田舎から出てきて右も左もわからない
当初、見た目も立居振舞も野暮ったかった鈴蘭は、羅麗華の献身的なアドバイスでみるみる華麗になっていった。
そこには元来の線の細さもあったが、最大の要因は、彼女が男の機能をすっかり捨てていたところにある。―――告白は受けなかったが、そう羅麗華は確信していた。
躰は男だが心は女。それこそがオカマの真の姿。―――とのポリシーから、躰をいじっている者は雇わないというルールを店は敷いていた。だが、自分になついていた鈴蘭を告発する気は、羅麗華には毛頭なかった。
そんな鈴蘭だったので、当然のごとく、多くの客が彼女に寄っていった。
はじめは羅麗華も自分のことのように喜んでいた。
しかし若さは、華やかさとともに未熟さをも孕む。
トップクラスの売上げを誇るようになると、鈴蘭の鼻は自ずとそびえ、客のさばきがぞんざいになっていった。
それでも人気が衰えなかったのは、やはり美貌の引力か。
なににしろ、羅麗華は口酸っぱく注意を促していた。その態度ではいずれ潮が引くように客は離れていく。長年この世界を見てきて知っていた。
ところが彼女は一向改めることなく、逆に疎ましさを露にし始めた。それは、今までトップを走っていた羅麗華からその座を奪いとったころだった。
店は相撲部屋と一緒。
いくら後輩でも成績があがれば上に立つ。いつしか先輩陣をも粗略に扱うようになっていた鈴蘭に、誰もなにもいえはせず。それはママも一緒で……。
そんな空気感は、親友といってもよかった百合音をはじめ、店をあとにする仲間を増やしていった。そして残った者たちは彼女の幇間のごとくに成りさがった。
オープンから勤める羅麗華は、以前のトップホステスのプライドも手伝い、店に残った。―――はいいが、指名客はほぼ鈴蘭にとられ、瞬く間に配膳係同様に落ちていた。完全なる幕下陥落。
「でも、これは
潤んだ目を向けられた彼は、しかし眉一つ動かさず、無言を以て先を促した。
「だけどある日、とうとうママから解雇通知食らっちゃって」
沈んだ声は続けた。
客はとれないが精一杯やってきたと訴える羅麗華にくだされた理由は、驚くべきものだった。
入店以来、ずっと陰でねちねちいびられてきた。―――そう鈴蘭からクレームがついたから。
「もう我慢の限界っていわれちゃって」
ママはつらそうな表情を伏せた。
その台詞は、暗に自分か羅麗華どっちをとるかを迫っていた。
嘘だ! いびりではなく、彼女のことを思っての注意だ!
そう訴えようと考えたが、唇をかみ締めるママの顔は、事実を知っているそれだった。
怒りよりも悲しみに飲み込まれた羅麗華は、結局ごねはしなかった。
苦労してここまで店を維持してきたママに、これからはいい目を見させてやらなければ。それこそが自分にできる恩返し。なにしろ、この世界でここまで育ててくれたのはママなのだから―――。
また、要求を飲んだ由には、他店でもやっていける経歴、経験があると自負していたらでもあった。
が―――。
ただでさえ不況のこのご時世、四〇すぎのオカマを新たに雇う奇特な店は、いくら探せどなかった。
であれば自分で店を……など、貯金もほとんど底を突いている身で叶うはずもなく……。第一、自分についてくる客も後輩も、もういはしない。
ここにおいて、羅麗華は鈴蘭にたとえようもない怒りをわかせた。とともに、
自分の人生は間違っていたのか……。思い返すこととなった。
「自分の体質に気づいたのは高校、そう柔道部の部活のとき―――」
遠い目が続けた。
「袈裟固がはじめて決まった際に覚えた興奮は、これこそ“柔能く剛を制す”というものなのかしら!? という発見からのことではなかった。
相手の胸元のから覗く筋肉の隆起、絶え間なく吐かれる熱い息、それこそがあたしの本能に刺激を及ぼしていたの。
そして素早く返され、逆に縦四方固をかけられたときの天にものぼるような気持ち……」
しかし羅麗華は、そんなアブノーマルと思えるような性質を隠し続けた。いえば必ず変態のレッテルを貼られ、実生活に支障が出る。苦しい青春時代だった。
苦悩が解かれたのは、就職のため都会に出てきてからだった。仕事のつまらなさが、仮面をかぶったままの人間関係に疲れた心が、
「素直に生きろ」
そう命じた。
「でもその結果がこうよ……。
結局間違っていたのよね……あたしの人生」
その台詞が、私にタッチパッドボタンをクリックさせた。
モニターに映しだされたのは、小奇麗に片づけられた部屋。
ベッドに腰かけている羅麗華。
煙草に火をつけると、空になった箱をひねった。
紫煙と同じく無造作な揺れを見せる上体。それが酔いのためであることは、眼前のガラステーブルに置かれたウィスキーボトルとロックグラスから想像できる。
氷が鳴った。
それが合図だったかのように、根元まで灰にした最後の一本を灰皿に押し潰すと、おぼつかない手はグラスのかたわらにあった小瓶をとった。
そして羅麗華は、中身を数えることなく一方の掌にあけた。
それを見つめる面に表情はない。
短くはない静寂。
白い錠剤の小山が一気に口に入れられた。立て続けにあおられるグラス。
数錠が口端からこぼれテーブルに広がったことなど意に介す気配も見せず、羅麗華はその身をベッドに横たえらせた。
と、枕元にあった携帯の着信音。
しかし、涙の筋を見せる目が開くことはなかった。
「てめえは大嘘つきだ!」
じっとモニターを睨みつけていた鋭い眼光が、被告を貫いた。
「死にたくもねえのに、自分殺しやがって!」
「でも、生きていても―――」
「黙れ!」
バンッと机を叩いた彼はやにわに立ちあがり、
「薬飲む前に、あんなにためらっていやがったじゃねえか! それこそが証拠だ!」
「……」
「しかもまったくひねりのねえ死に方しやがって! てめえなぞ、シタ抜いて地獄の最下層に堕としてやる!」
というが早いか、彼は文机をまわり込み被告の脇にくると、すかさずしゃがんで、ボディコンの下にあった板を引き抜いた。
あ~! との悲鳴が聞こえたのは、開いた真っ暗な奈落の、ずいぶん下方からだった。
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