6
【六】
翌日学校に行くと、教室がざわついていた。何事かと佳菜子にいつもの調子で聞いた。
「今日音海川の花火大会だから、みんな盛り上がってるんだよ。誘うなら今日が最後のチャンスだから、みんな青春してる」
聞いてハッとする。最後。今日は夏休み前最後の登校日であったことを今思い出した。それがわかると自然と気が軽くなった。答えてくれた佳菜子にハイテンションで適当に返答した。佳菜子はそっと頷くだけだった。
「友莉は彼氏とデートかぁ」佳菜子でない別の子が私に話しかけてきた。
「彼氏とはもっと大きな花火見に行く約束してるんだぁ」当然嘘である。彼氏なんていないのに、猫を被りすぎて嘘に嘘が積み重なってしまった。
「佳菜子は?」クラスメートが訊ねる。
佳菜子へ顔を向ける。佳菜子は羨ましそうにクラスメートの楽しそうな横顔を眺めているだけだった。
待っていた放課後がやってきた。一刻も早く天文小屋へ向かいたくてそそくさと帰りの支度を終え教室を出ようとした。けれど動きにブレーキがかかった。手首に温かいものを感じた。振り返ると、佳菜子が私の手首を掴んで呼び止めていた。
「どうしたの?」
早く行きたい気持ちが先行してつい強い口調になってしまった。その証拠に佳菜子の表情は強張った。しまった、と思って佳菜子から目を逸らす。
「一緒に帰りたいんだけど、帰れない?」
「……ごめん、今日は用があってさ」
「用?」
「うん、ごめんね。夏休み明けまた会おうね!」
手首から佳菜子の熱が消えていく。離れたぬくもりにホッとしながら私は佳菜子に背を向けて走った。
心のどこか、痛かった。今日は佳菜子の様子がおかしかった。佳菜子が私に何かを求めているような気がした。
けれど、それもどうでもよくなるくらいに天文小屋は心地よかった。先生は既にいて、お茶を用意していてくれた。
「今日は午前中で終わったので時間がたくさんあるのですが」
お茶を飲んでまったりしていると先生が切り出した。
「プラネタリウム見れる?」
私は食い気味に言った。
「見れますが、今日は家族と花火大会に行く約束なので遅くまでは居られません」
家族と言われあの朝方の夜に遠目で見た先生の家族を脳裏に浮かべる。
「先生も花火大会なんだ」
「井口さんは行かないのですか?」
「行く人いないし行きたいなんて思わない」
「……では、種明かし」
脈絡のない接続語に理解しがたい言葉が耳に響く。
「時間も惜しいのでプラネタリウム、見ながら話すとしましょう」
昨日入ったプラネタリウムに実際に座る。先生が投影機を操作し始めた。部屋がだんだん暗くなっていく。したがって天井に星空が映った。
「綺麗だ」
心から出た素直な感想だ。本物の夜のようだった。少なくとも昔見たプラネタリウムで夜は感じなかった。恐らくこの空間がそう感じさせているに違いなかった。
先生は私の隣の席に座ると一人語り始めた。
「昨日、ここに辿り着けない生徒がいるといいましたがそれは迷子ではなかったんですよ。何度試しても結局は入り口に戻ってしまうんです。では辿り着ける生徒ですが、その生徒こそ迷子だったんです」
「どういうこと?」
キラキラ光る星たちに返事するように言った。
「迷子だけがここに辿り着くんです」
「う~ん難しいな。……それは、つまり私が迷子ってこと?」
「はい」
天井に映る満天の星は動いていく。季節ごとに見える星が変わっていく。星は、ここに映る数でさえ数えきれないほどにある。星は迷子になるのだろうか。こんなにある星の中で、星たちは自分を見失うことはないのだろうか。
「私は何が迷子?」
星たちは教えてくれない。
頬に涙が流れた。一滴流れると、また次の涙がさっきの涙を追うように流れた。目が潤んで乾いた心を濡らしていく。星が一層輝いた。いつか、真島先生は言った。星になってほしいと。私はこんなに輝けるのだろうか。
プラネタリウムが終わると涙も渇いた。
「どうでした?」
「すごく綺麗だった」
「よかったです」
最初にお茶を飲んだ部屋でまた一服した。
先生は何も言わなかった。先生は私を迷子だと言った。けれど、考えたら先生も迷子ということになる。
「何か私の顔変ですか?」
きっとじっと睨むようにして先生を凝視してしまっていたのだろう。慌てて誤解を解く。先生は笑ってくれた。
先生の屈託のない笑顔は、夜以上に気持ちが良かった。だから私も素直になる。
「先生も迷子なの?」
先生は躊躇ったあと頷くことなく口を開いた。
「昔は確実に迷子でしたけど、どうなんでしょう。でも迷子だけが辿り着く場所というのが本当なら、僕は今も迷子なんですかね。全部高坂先生が教えてくれましたから真偽は分かりません」
「それなら、高坂先生も迷子だ」
真島先生は一呼吸置いて、宝物を愛でるようにそっと言葉を紡いだ。
「〝迷子とは、迷路のように、いくつも選択肢がある。右を行って辿り着けないのなら、今度は左を行ってみる。そこも違うなら左斜め後ろとか、真っ直ぐ前とか。いくらだって試してみればいい。迷子は無限の可能性〟」
言い終わると表情を緩めて私に微笑みかけた。聞いてる側も照れ臭くなる言葉だった。こんなに痛すぎる程の綺麗ごとを聞いたのは初めてだった。
「これは高坂先生が迷子だった僕に言ってくれた言葉です。先生は、迷子でいいのだと言ってくれたんです。そのままでいいと」
真島先生は高坂先生を心から慕っているのだと、話し方で伝わってきた。高坂先生は迷子の真島くんに迷子の選択肢を増やしたのだろう。
「私もこのままでいいのかな」
ボソッと呟くと先生はすぐさまに否定した。
「え、どうして?」
「迷子は何もしないわけじゃない。何もしないで何にも向き合わないで幸せなんてきませんよ。あなたは日々の嘘づくりが窮屈で、だから夜やここにきて猫を捨てた自分を曝け出してる。そうすれば、心が軽くなるから」
私が内で思っている心の声が漏れ出しているようだった。
「井口さんは人に合わせることに疲れを感じていますね。逆を言えば、ぶつかりたいってことでしょうかね?」
とても腑に落ちる表現だった。同時に、ぶつかっても尊重し合える関係なんてそもそも存在するのだろうか、と思ってすぐ、自分が先生にぶつかっていることに気付く。
「……先生は、夜みたい」
呟いてみる。けれど、先生は人である。
誰も知らない私。本当は私こんなふわふわ曖昧で色んな事考えてるよって、初めて夜を徘徊した時知った。夜は、〝私〟を引っ張り出して受け止めてくれる。先生は、まるで具現化した夜の本当の姿のように思えた。
「おっと、そろそろ帰らないと」
腕時計を見ながら先生は言った。私たちは立ち上がった。
「そういえば」
地区が同じなので一緒に歩いて帰る途中、先生が切り出した。
「星の正体て井口さんは何だと思いますか?」
少し考える仕草をしていると先生が答えを言った。
「星は死んだ人の魂なら素敵だと思いませんか?」
自分でいうだけあって先生はやはりロマンチストだった。
「小さい時読んだ本にそう書いてあって、中学に上がるまで信じていました。きっと違うけどそうだったらいいなって思いません? 細かくキラキラ瞬いていて、ここにいるよっみたいな」
先生は身近な人が亡くなったりしているんだろうか。私はまだそういう経験がないから分からない。いつかやってくるその時までは何も考えていたくないけど、そう思う事でいつまでも上を向いて歩いて行けるなら――
「いいと思います」
今度は私も一緒に笑った。
家に着くと携帯の画面が光っていることに気付いた。佳菜子からだった。『今日花火大会行かない?』
悩んだ末、真島先生に会える可能性を広げるために行く選択を取った。
約束時間の五分前に家をでた。着ていく服を決めていたら遅くなってしまった。おしゃれな佳菜子と並ぶには、普段着のだらしない格好ではとても隣を歩けない。佳菜子に合った服を身に纏い、風になびかせながら走った。
「ごめん! 遅れたー」
「いいよ。友莉は用済んだ?」
用があるといって佳菜子から身を引いた数時間前を思い出す。
「もう済んだ!」
「よかったよ~」
佳菜子の服はやはりおしゃれだった。その場しのぎの私の服とは比べてはいけない。それでも隣を埋めるのには許されるラインだったと思う。
音海川の花火大会には他の地域の人も来るそれなりに大きな花火大会だ。地元の人たちはこの日の為にたくさんの準備をする。最も私たちは見る専門だけど。
少しずつ太陽の残光も消えてゆき、夜が始まる。見慣れた空の色なのに、見えるのは人ばかり。屋台の灯りが強くて星は見えない。月も、今は雲に隠されているのか見当たらない。
「人多いね」
佳菜子は言う。私は頷いた。
暫く歩いて食べたい物があったら互いに買って、それを持って音海川の階段に座った。花火を見るには絶景だと佳菜子が教えてくれた。あたりにいる人は僅か数人だった。特定の人しかしらない穴場だと言っていた。
「私に教えてよかったの?」
「うん! 教えたかったから」
真島先生はこの場所を知っているのだろうか。知らないのなら教えてあげたいと思った。
「もうすぐ始まるよ」
買ったりんご飴を舐めながら夜空を見上げた。穴場だからか、人の声が少し遠くに聞こえて、屋台の灯りも微かに見えた。星が見えた。どこかで生きていた誰かの星なのだろうかと考える。
すると爆発音が空で響き渡った。
「始まった」
どこかの誰かが声に出す。
花火は空を彩った。心臓に響く大げさなほどに激しい音は、花火の叫び声のようにも聞こえた。しかし一つ問題点は、花火が明るすぎて星が見えないことだった。花火がなくったって、星と月が空を鮮やかに照らしてくれるのに。それでもやっぱり花火は大きくて綺麗だった。
「友莉、どうしたの?」
佳菜子が心配そうな顔を向けてきた。そして自分が泣いてることに気付いた。
「ごめん、あんまり綺麗だから」
花火も人もうるさいのに、綺麗で。気持ちがよくて。夜の具現化は何も先生だけではない。花火の一つ一つは、まるで星のように降っていた。
その時、あぁそっか、て納得した。
先生の言ったことの真実が分かった。先生は昼間の私は星になれと言った。先生にとっての星は死人だった。猫を被る偽りの私をなくせと言うことなのだろう。
夜を前に、本当の自分が裸になるのは気持ちがいい。私はそんな自分でいることが心地いいんだ。解放されたいよりも、そのままの自分でいたかった。先生はそれを知っていたのだ。
「佳菜子」
花火を真正面から捉えながら横で同じように花火を見る佳菜子へ話しかける。
「他の子、誘えばよかったのに、私でよかった?」
狡猾な質問だと自分でも思う。けれど不器用な私は佳菜子の本心を聞き取るにはこんなやり方した浮かばない。
「友莉がいいなぁて思ったから」
いつも通りの佳菜子だった。気づかなかった、佳菜子がいつもこんな私を思ってくれていたこと。
小さな花火が連発で空に咲く。ラストが近づいてきたのだ。ラストスパートにたくさんの花火を打ち上げて、そして最後の花火が大きく花開く。
一瞬の沈黙の後人々の歓声と拍手の音が、消えかかる花火に向けられた。完全に消えた花火の後にやってくる寂しさを、人は人で埋める。
「綺麗だったね~。じゃあ、帰ろうか」
佳菜子が立ち上がる。私は佳菜子の手を握った。
「高校最後の夏に佳菜子と思い出つくれてよかった」
それは夜が引き出してくれた本音だった。
佳菜子は幸せそうに笑ってくれた。
余韻に浸りながら夜を徘徊した。月がやっと半月になった。明日からは新月に向かってもっと欠けていく。
「こんばんは」
真島先生の家に着く前に会った。
「僕もちょっと歩きたい気分になりまして」
「先生、聞いて」
前にも同じセリフを言ったことを思い出しながら、先生の言った言葉の意味と佳菜子のことを話した。
先生はホッとしたようだった。
「素直でいるって怖いですが、気持ちがいいですよね」
なんとなく周りに合わせて疲れていた。それでもぶつかっていって関係が崩壊するのは望まなかった。けれど、佳菜子は私の本音を待っていた。
「佳菜子はきっと私が自分を隠してることに気付いてた」
今日の花火大会の帰りにクラスメートに会った。皆浴衣を着ていた。おしゃれの佳菜子もきっと浴衣を着たかったに違いないと思った。今朝教室で見た佳菜子の横顔の意味も分かった気がする。佳菜子は私のためにいくつも我慢していたのだ。
「もうこんな自分はやめるよ」
夜に誓う。
「星になれとはいいましたが、偽った自分は無駄ではないですきっと。井口さんの土台になるでしょう。例え嘘の自分でも、あなたに変わりないのです。これも自分なんだって受け止めれば強くなれます」
「……先生って、人生何周目?」
「そんな老けてる考えしてますか? もしそうなら高坂先生のせいかなぁ」
「高坂先生が泣くよ」
「笑ってますよきっと」
先生は遥か遠くで瞬く一つの星をじっと見つめていた。
あぁそうかって、すぐに理解した。
「高坂先生が大好きなんだね」
「……はい」
ずっと遠くの空から、高坂先生はいつでも真島先生を見守っていた。
先生は星空を眺めながら高坂先生との思い出に浸っているようだった。真島くんは高坂先生に救われ、私は真島先生に救われた。佳菜子含めクラスメートとの日々にうんざりしていたのは事実だが、佳菜子の優しさに胸が熱くなったのも事実だ。そんなふうに、人は人がいるから生きていけてる部分もあるのだろう。
「そろそろ帰りましょう」
寝ることができない私はいつもこの言葉が言えなかったが、今夜は睡眠の欲求が体を満たしていた。
「おやすみなさい」
毎日朝が来るように夜も必ずやってくる。眠って見えなくても、雲が隠しても、日が昇っていても夜はある。おやすみの一言が夜空で輝いた。
今夜は随分久しぶりに眠れた。
【エピローグ】
月が光り始めた。太陽が眠る頃を見計らって、徐々に月は自分を現すが、本当は月は昼間だっている。夜になるから光を放っているわけではない。昼も夜も、月の明るさは本当は同じなのに、昼間月は輝けない。けれど、それは太陽のせいではなかった。月は太陽がいるから輝けるのだと知った。
私はいつか自分のことを月の様だと思った。烏滸がましいのは重々承知だが、先生が夜なら、私はその夜を照らせる月になりたい。笑ってる佳菜子らの傍で。
太陽と月 とがわ @togawa_sora
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